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(2000/12/3) 第十二話:「代理のR老師、留学生楼に突如現る、 てんてんでございます。 前回の続きですが、上海から北京に帰り、しばらくはショック(何から何まで違う)と疲れで、こんこんと寝ておりました。 上海で、何度も練習した“帯音”或いは“摯指滑音”と呼ばれている奏法のために、左手の薬指が弱くなってしまい、左手の指が均等に動かなくなりました。最近では、双方の奏法ができるようにそれを包括した動きができるように気をつけていますが、なかなか薬指はいうことをきいてくれませんね。 基礎練習のし直しです(第六話「基礎改造計画練習の巻」を参照)。 すごろくでいうと、最初に戻るってことかなあ。 北京のZ老師は私と入れ替わりで、南京に出張されるらしく、代理に別の老師を紹介して下さるということでした。疲れもありましたので、しばらく休みたいと言って代理の老師を断るつもりでしたが、なんの手違いか、断る前にその老師はやってきました。 突然、留学生の寮の私の部屋のドアがどんどんと叩かれ、一人の中年男性が立っていました。 彼こそ北京の二胡協会に所属するR老師でした。 R老師は、「Z老師から聞いてるよね。君に<江河水>を教えるように言われてるんだ。じゃ、始めようか」と私は断りきれずにレッスンが始まることになりました。 ところが、その先生は、一挙一動まったく、同じでないと、許してくれません。たぶん、これがいわゆる中国式な教育方法なのでしょうか。 とまどいながら、また、見よう見まねでついていっていると、どうも、換把(ポジション移動)がいつもしているのとは、違う移動の仕方をしていることに気がつきました。それが、私には効率が悪いように思えて、どうもなじめません。 滑音をどうかけるかとか、この音を内弦の音色でひくか、外弦の音色でひくかという、音楽的な音質の意識的な選択によって、ポジションを移動するかしないかが決まってくるように思っています。 それは、その曲を自分がどうひきたいかということと、とても密接につながっているようにも思えます。 また、その老師の弓のひき方が、肩を男性的な感じで動かす奏法で、女性の私には、その様な動きはまったくはまねできそうもないということもあったのです。 結局は、その先生の処理の仕方(中国では処理と言うのですね。)が好きではないということが、やってるうちにわかってしまったんです。 また、揉弦(ビブラート)のし方。特に<江河水>は通常の揉弦ではなく圧弦とよばれている、弦を圧すことによって、音の揺れを出すビブラートを使います。 心情の繊細な震えのようなもののイメージがあった私には豪快におしまくるR老師のは合わなかったんですね。 でも、別の人が聞いたら、とても良いと思うかも知れません。これは好みと、イメージの問題なので、千差万別でよいかと思うのです。 でも、強制的にひかされていたもので、その後、なかなかぬけなく、それから、何度かいろんな先生に同じ曲を習いましたが、なんだか魔法にかかったように身体がこわばってしまい、はっきり言って、今でもひけません。 つくづく、老師との相性って、大事なんですね。 <江河水>は元は東北地方の曲で、管子と呼ばれている日本でいうと篳篥に近い楽器(音は違って、しぶしぶです。)で、演奏されていたのを、二胡曲に改編したものです。 ビブラートについては、その管子の音の響きに似せている面もあるとは思うのですが、曲の内容の慟哭できず、涙もでない本当の心のうち震える悲しみというかそういうのを通りこした激しさも表していると聞きました。 圧弦については、板胡の奏法にもみられますし、また、二胡のお里である江南地方では昔の揉弦と言えば、圧弦でした。板胡の弦の張りは二胡のそれと違って強く、指の皮膚が痛んでしまうぐらいのものなので、繊細な圧弦は楽器の特性上難しいかと思います。 二胡は昔、絹弦でしたので、圧弦の場合でも、細かく繊細にかけられるようなので、<江河水>の名手に江南地方の方がいらっしゃるのも道理だと思います。 ちなみに、R老師は広州の出身で、二胡をひく前に、どんな先生でも自分のフレーズを持っていて、それをさっとひいて、指のウォーミングアップをするのですが、その先生のフレーズは広東音楽そのまんまでした。 それを聞いて、小さい頃からの馴染んでいることと言うのは、やはり染みついているのだと思い、外国人として中国音楽を勉強することの難しさをつくづくと思ったのでした。 次回は 香港回帰で、北京の天安門広場は人人人の巻。 ちょっと、レッスン話もブレイクです。
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