[目次] [前話へ] [次話へ]
(2002/5/9) 第十八話:「<懐郷行>その二の巻」 前回のお話で、抗日戦争の時代について、多くの方がいろいろ考えてられるのが掲示板にてわかりました。これについてのお話はこれからも何度も出てくると思います。また、皆さんの意見を聞かせて下さい。 さて、前回の続きであります。 実際のレッスンに入る前には、こうして、いろんなやりとりがあって、スタートします。ですので、レッスンの時間がいつも長引いてしまいます。 短期間の留学生にとっては、一分一秒でも惜しい所です。ですが、今にして思えば、こうしたやりとりというものが、音楽を広い意味で捉えることができるこれ以上にない教育であったのだと実感しています。 さらに、実際にレッスンする前には、譜面をどの譜面でするかを決める作業があります。 以前、お話したことがあると思いますが、ほんの数年前までは、教則本というものの種類も少なかったですし、印刷される部数も限られていましたので、譜面を手に入れること自体が困難でした。 でしたが、学生として、レッスン前までに資料をどこまで揃えられるか、譜読みをどこまですすめられるかというのは、これまた、短期間の留学生にとっては上達の時間を左右する重要な事柄でした。 <懐郷行>については、すでにいくつかの曲集に印刷物としてありました。 Z老師は、始めはテキストの楽譜を使っていましたが、「これだと、リズムの表記に問題があるなあ」ということで、書き込みをばんばんしていくうちに非常に見にくくなり、ついには、自分が1980年代に演奏した手書きの譜面をコピーして、これでやりましょうということになりました。 そこには、演奏時に小合奏の形態で、どのような編成で、曲をどう抜粋して演奏したかということとか、それがいつ演奏されたかということが細かに書いていました。 やっと、実際のレッスンの開始です。 始めの引子では、多くの技法が隠れていました。 遅到揉弦と言われる、最初ビブラートをかけないで徐々にかけていく技法とか、0というのは無声であっても、実は有声であるという考え方、クレッシェンドの音量の幅とか、細かい指定をされ、それを即座に再現しなければならないレッスンでした。 が、が、体がそんなに思うように動かないのが現実で、ひとつのりきれたかと思うと、次への集中力がなくなり、指定されたことができないばかりか、緊張がすぐに切れてしまいます。 しかし、<懐郷行>では、重要な技法の数々と、その組み合わせの方法を教えてもらったような気がしています。 トリル一つにしても、短い時間に最初はゆっくりかけて、徐々に速度を速めることとか、はじめっからかけ続けるとか、いくつぐらいかけるとか、半音でかける場合や、全音でかける場合、中立音でかける場合、意識して高めにかける場合、低めにかける場合など、曲想によって、選択はたくさんあることがわかりましたし、滑音は前後の組み合わせによって、その速度や味わいを変えることとか、細々とその選択肢は星の数ほどあります。 その中から、曲全体を意識して、調和するように一部のフレーズの処理を選択するということでした。 一番、重要だったのは、心情をどのような音で、表現するかということだったように思います。 先に書いたような、0は音の表記としては無声(無音)であります。が、有声であるという考え方、この有声というのは空気感やその密度が表すところだったり、また、主要な音の陰に先行して潜伏している陰伏音という考え方、それから、芝居で培われた、泣く腔音(漢字がないので)をどのように作るのか、また、弓をどの部分でひき、スピードをどうするかによって、それらを効果的につなげていくことができるかなど、神経がいる非常に細かい作業でした。 引子と慢板だけで、相当時間を使ったように記憶しています。 技術的にも、心情的にも満足にひけないままですが、最後のレッスンの時に、ひきながら涙してしまい、夕暮れから真っ暗になっても電気もつけずに、Z老師と向かいあい、自分の涙が譜面に落ちる音だけがぽたぽたと聞こえるという不思議な思いをしました。 日本に帰ってきて遠ざかってしまった曲ですが、自分にとってはいろんな意味で大事な曲となりました。頭の中には音があるのですが、今の私には到底そのような音をつくることはできません。 この曲に関して、さらに付け加えるならば、時々この譜面の最後に王乙という人の注釈が書かれていることがあります。 王乙という方は、上海で二胡の作曲や演奏家の育成に励まれた方で、二胡の発展にはかかせない方だとうわさだけは聞いていました。現在上海に留学中の友人W嬢の便りによると、今年になって80代で、亡くなられたと聞きました。 彼女が言うには、二胡の歴史に重要な方が亡くなられていくのは、本当に惜しいことだし、できれば、どういう形でも指導を受けられたらないいのになということでした。 私の願いもまったく同じです。 |
[目次] [前話へ] [次話へ]