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(2003/1/9) 第二十三話:「年頭にあたり。の巻」 明けましておめでとうございます。 この体験記も育児により滞っているまま、年を越してしまいました。 今年もきっとこのようなマイペース、お許しくださいませ。 さて、この留学体験記は現在から4,5年前にさかのぼる話しであります。その頃に比べると、二胡を勉強する人も増え、留学を希望される方も急に多くなったように思います。中国の情報が日本でも得やすくなったとはいえ、音楽に対する、また、二胡に対する修得方法は、中国と日本では隔絶したものがあるように思えます。 音楽の修得方法の考え方は、当然、中国で培われた文化や習慣を背景にしているので、進度や、教え方が日本とはとても違います。 例えば、中国の音楽学院では、調式については教わったこともありませんし、譜面をよんで、一通りひくまでも指導はありません。次のレッスンの時にはほぼ完璧にひけているのが普通なのです。 しかし、日本のレッスンのおおかたは、調式を丁寧に教えて、曲は移動の場所など、初めから教えていく場合が多いですよね。時々、中国式で教えてられる先生もいらっしゃいますが、逆に評判が悪かったりすることもあります。 ところが、中国では、「見たらわかる」と言って教えることはしないのが常です。最近は外国人を理解する先生も多くなっているので、親切にはなりましたが。 なので、日本の受け身的なレッスンに慣れていると、中国でのレッスンにはついていけず、上達も得られないということになってしまいます。 また、二胡の上達には 二胡の技術ばかりではなく音楽への理解が重要ですが、日本で、専門に音楽を勉強された方は、やはり理解しやすかろうと思います。 この点については、今後の体験記にも書く予定ですが、私のように音楽の専門家ではない人間にとっては、とても大変なことでした。 それから、大人になってから学ぶということに中国では慣れていませんので、その指導法は確立されていません。基礎を学ぶにあたって、先生方は非常に正しいことを言われますが、大人になって、体が硬くもなり、また、頭でっかちにもなり、体の感覚もはっきりしなくなっている状態では、はたして、それが瞬時にできるかというと、それは難しいことです。 日本にいる先生方の方がある意味親切で、大人になってから学ぶということの苦心について、理解をしてられると思います。 自分の進度をよく理解し、学んでいる先生によく相談して、留学を決めて下さい。 二胡には個人のスタイルというのがあり、人によって、様々であることは皆さんもご承知かと思います(それだから、おもしろい楽器なんだと思うのですが)。初期の段階で、先生をかわる、または、複数の先生に師事することは、体の混乱を招きますので、注意が必要です。 音楽学院で二胡を学ぶということは、日本で、ピアノやヴァイオリンをほんの数年くらい習って、いきなり有名音楽大学の先生に師事するというくらい、恐ろしいことです。 日本でも、そういう先生に師事できるまでには、小さい頃から、楽器の技術以外にも音楽全般の知識や経験がいるものです。 北京の先生が言われるには、6級以上の程度があればよいとのことです。それも正確にです。 しかし、語学留学をしながらの二胡修行だとこの限りではなく、もっと自由に考えてよいかと思います。 先頃、友人が一学期間の留学から、帰国しました。開口一番、「甘かった」という言葉でした。同じ場所にいた人間として、あなたもあの感じの中にいたのね。と思いました。 友人は全力を尽くして、準備をして留学へ行ったと、私は端で見ていて、わかっていました。それでも、簡単には乗り越えられないものを、その友人は感じたのだと思います。たぶん、そこに行った多くの留学生の思いでしょう。 しかし、それがわかったことが、一番重要なのだと私は思っています。 音楽は深淵で、そう簡単に人間の手の届く所にはなく、命をかけてさえ、得ることが難しいものだということです。 かと言って、あきらめることなく、人生をまっとうするまで、続けること。それを振り返ると、ナメクジの歩んだ後のように、ねらねらと、自分の足跡が残っている。そしてそれは、大きな時間の中で消え去っていくものであると思っています。 老婆心ではありますが、そこで、勉強した人間にしかわからない厳しさというのがあり、それだけでなく、音楽の修行は、留学で完了するようなことはなく、人生の最後まで続くもの。その一つの過程でしかないと思えば、よいのではないでしょうか? 私自身、曲をひくということに挑戦的で、音楽がうつくしいか、一つの音が生きているかということをあまり意識していませんでした。上達したいと思う方には、きっと、焦って、本当には音を生かしていないという場合は多いのではないでしょうか? 私は自分の過去を振り返ると、たくさんの音の卒塔婆がたっています。それがわかったからこそ、音一つをもっと大切にできないかといつもいつも思います。 |
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