[目次] [前話へ] [次話へ]
(2000/9/7) 第四話:「Z老師、留学生楼に現るの巻」 てんてんでございます。 さてさて、ようやくレッスンが始まります。 先のシンリさんにZ老師に電話をしてもらい、Z老師が来られるというので、寮で待っていました。これが初対面になります。ところが老師遅れること30分。 やってきたのは、にこやかな笑顔のおじいさんでした。 どうも南方の方言があり、会話は聞き取りにくいものでした。 「やあ、この寮の外で卓球してる人がいてね。一緒にやらせてもらってたんだ。」 ですって。そう、中庭に卓球台があり、そこで、他の留学生と卓球をしていたんだそうです。 なんだか拍子ぬけ。 ところが、一緒に卓球していた留学生の人がレッスンの見学を希望すると、Z老師はきりりとこう答えました。 「レッスンは見せるものではありません。残念ながら、見せられません。シンリさんは通訳のために同席してもらうのです。すみませんね。」 その言葉を聞いて、守られていること、レッスンは真剣勝負だということ、Z老師はやはり老師だったと感じました。 Z老師がおもむろに「じゃあ、今までやってきた曲をひいて下さい。」と言われて、緊張感が走りました。 へたくそながら、最初に<良宵>を、その後<賽馬><喜唱豊収><拉駱駝><山村変了様>をひいたかと思います。 もうすでに日が傾きかけて、老師のお顔は紅く染まっていました。 老師は「良かったです。思っていたよりもレベルは高かったです。それから、音楽性があります。これが一番重要です。ですが、まだ、二胡の基礎的なこと、技術面が不足しています。」 たぶん、これを読んでられる方で、大先輩がいらっしゃると思います。 最近つくづく思うのですけれど、時間は重要ですよね。 どうしても楽器を扱う年数が短いと、楽器の性質とかつきあい方とかがわからなくて、楽器に振り回されちゃうように感じます。コントロールしようとやっきになってしまうし。 この時点で問題山積みでした。 この後、基礎改造計画なるものがZ老師によってたてられるのです。 話は戻って、Z老師は続けて言いました。 「あなたには未来があります。10曲を完全にマスターすれば、演奏家になれます。教育家になるにはいろんなことを学ばなくてはなりません。どちらを取るのもあなた次第です。これから、努力して下さい。」 と、レッスン開始のスタートがきられたのです。 今にして思うと、本当に未来があったんだろうか、私はだまされていたのではと思いますが。それはZ老師にしかわかりません。(自分の今の結果をみてしまうと、やはりだまされたかも。ただ、単に私の努力不足か。) 私は、こう答えました。 「日本では中国音楽を学べる環境はありません(関東は情報は多いと思いますが)。知らないことがたくさんあります。まず、基礎を学びたいのと、各地方の風格を知りたいと思っています。また、先生の本を訳すことができたらと思っています。」 と希望を述べました。 そうして、Z老師は愛用の自転車にのって、帰っていきました。 この出会いは一生忘れられません。 そうそう、寮と老師の家は遠いのです。 なぜ、Z老師は他の交通手段を選ばず、愛車の自転車を乗り回しているのか、また、お話しますので、覚えておいて下さいね。 |
[目次] [前話へ] [次話へ]