[目次] [前話へ] [次話へ]
(2000/10/11) 第八話:「楽器の試験の巻」 てんてんでございます。 以前、レッスン内容をお話したことがあると思います。その二に、二胡の楽器の構造等についての勉強(簡単な修理方法とメインテナンスについて)という項目がありました(注、第5話参照)。 今回はそのお話をするつもりです。 二胡の弦は1950年代の後半以前には絹弦を使っていました。ところが、二胡の独奏曲が増え、奏法が拡大し、調弦も変化しつつあり、絹弦の改良を時代が進めていたようです。 Z老師は、その時期、絹弦からスチール弦に変わったことに関しても関わりが深かったようです。 そういう点ではZ老師は、いわゆる二胡の改良の生き証人の最後の世代かも知れません。そういうわけで、楽器の改良の歴史等にも詳しく、また自ら微調を改良したりと、今日までも続けられています。 さて、1950年代当時、絹弦で<空山鳥語>をひくと必ず高音部で、切れてしまうという困った事態があり、弦の改良を試み始めたようです。それで、ピアノの弦、ヴァイオリンの弦などで試し、現在のものになっているそうです。 よく見ると上海の弦と北京の弦は耐久性も特性も形状も違うので、独自に改良を重ねているんだと思います(上海に行くと私が改良したんだという老師に会いましたもの。そこが不思議な中国)。 一度、弦の違いを見てみて下さい。 さて、二胡のメインテナンスに必要なものとは? Z老師は私にひつこく、ひつこく、工具を買いに行くようにいいました。 ところが、中国のどこに行けば、工具が買えるのか、その時はわからず、とっても困りました。その後、日本のような小さい工具がなく、私は大工さんになるの?というような工具ばかりしか売っていませんでしたので、これもとっても困りました。 で、工具を使って何をするのかと言うと、二胡の分解です。 二胡を分解しながら、 ・二胡の材質、その材質の善し悪しについて ・琴馬の種類、その音質の変化について ・蛇皮の状態について ・軸の種類 ・北京と上海の弓の違いについて、また、弓の選び方について ・微調の種類について ・使ってから三年以内に起こる可能性のある問題を修理する方法 などを話しをしてくれました。 本来ならば、分解するというのは理由がないかぎりバランスを崩すのでよくないそうです。ですが、勉強という意味でばらばらにして行きました。 Z老師の考え方はこうです。 日本では二胡を修理することができない。深刻な問題は工房でするにしても、自分でできる修理は自分でできるように。 ということでした。 楽器の構造を知るにも、二胡を扱う動作に伴う筋肉など、「科学を学べ」がモットーでした。 一通り、説明が終わると、にっこり笑って、「てんてん、さて、組みたててごらん。」ということで、組み立てることが試験の一つ。 今だからこそ、さっさと組立できるようになりましたが、最初は弦の巻がどうだったかとか、弓を挟む向きがどうだったとか変なことばかりしていましたね。 また、別の機会には、よい弓の選び方を習いました。 ある日、Z老師のお宅に行くと机の上に10本ほどの弓が並べてありました。 「これ、試験ね。いい弓の順番に並べてごらん。」ということで、早速試験が始まりました。特に毛並みと竹の部分の堅さやしなやかさ、節の位置、太さなどが問題になっていました。 Z老師は弓子大王と呼ばれている職人さんに、弓を特注したりしていたようですが、その大王も亡くなり、よい弓が手に入らなくなったと言うことです。確かに、その大王の弓は南の弓の特徴を残っている弓でした。察するに、南の出身の人だったのでしょうか。 中華人民共和国建国後、音楽学院が天津にできた時に、南の有名な奏者が北の方に移住しました。たぶん、その時に楽器の作り手も幾人かは、北に移住したので、名残のある作り手もいたのかも知れませんね。 というような、突発的な楽器の試験がありました。うーん、抜き打ち。 弓については次の次の巻、上海へレッスンへ行くの巻でお話したいと思います。 次回はレッスン中のお客様について、です。
|
[目次] [前話へ] [次話へ]