蝦夷(エミシ)とは? 「蝦夷」と表す漢字は、エミシと呼ぶ時 とエゾと呼ぶ時の二通りが有りますが、追 求すると難しくなります。アカデミックで も諸説有るそうですが私の独断では、
要するに朝廷に従わない各地の住人を地 方によって、 「クマソ」 「ハヤト」 「サエキ」 「ツチグモ」 「クズ」そして「エミシ」と呼び変えていたものと思 われます。 さて、エミシは縄紋人でしょうか? 弥生人でしょうか? 米が生産されたとする弥生時代は、紀元 前300年頃からとされていますので、縄 文時代と一般に云われるのはそれ以前とい う事になります。 「紀・記」に依ると初代神武天皇は紀元 前4年頃の即位とされていますので弥生人 となりますが、その周囲はどうだったんで しょうか?紀元前300年を境にして、日 本国は瞬時に弥生人に切り替わったんでし ょうか?そんな事考えられないですよね。 |
私の独断では、中国の「春秋戦国時代」 から「南北朝時代」にかけての1000年 に渡る争いの結果、戦争難民や敗者の武官 ・文官などがその都度渡来し、(一説には この間、年に平均1千人を越える渡来人が 来たという仮説も有るそうです。)グルー プを作り、周囲の縄紋日本人を吸収しなが ら拡大して云ったものと思います。 この1000年間の血の交わりは、世代 にしておよそ20世代(一世代50年とし てですが、実際は15・6才で成人と認め られていたようですし、20才で子供を持 っても40才でお爺ちゃんになる計算です から、1世代20年で計算すると実に50 世代)に渡るわけです。 さて、遺伝学的に初代から20世代後の 子孫を見た場合、初代の面影は残っている でしょうか? 特に縄紋後期の人口が7〜8万人だった のが弥生時代になると5〜60万人になり、 それが古墳時代で500数十万人に急増す るという試算があります。世代が増えるほ ど元の特徴は減って行くのではないでしょ うか? 日高見国を含む東北・北海道地方は、関 西・九州地方に比べて渡来人との交わりは 薄く、縄紋人としての特徴を色濃く持って いたものですから、エミシと呼ばれたので しょう。 大和朝廷の陸奥・出羽の支配が延びるに つれ、朝廷に従ったエミシを「俘囚(ふし ゅう)」と呼ぶようになります。 阿倍比羅夫(あべのひらぶ)の大がかりな 東北遠征(656年)から始まり藤原保則 (ふじわらやすのり)の出羽の戦乱が収ま る頃(879年)までの200数十年で、 陸奥・出羽のエミシはほとんど「俘囚」に なり朝廷と同化していきます。 ここに日高見国は消えてしまったのです。 |
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