日高見国から

(日高見国)北上地方の歴史

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日高見国の中心? 


 この頃の北上市付近は朝廷の毛嫌いする
エミシの人々が住んでいたと思われます。
何しろこの後登場する阿弖流為(あてるい
)の支配地とする江刺・胆沢より北に位置
しているのですから。

 それを示すようにここ北上・和賀地方に
は、蝦夷塚と呼ばれていた、この頃に造ら
れた古墳群や住居蹟が他に類を見ない程の
規模で発掘されています。

「江釣子古墳群(えづりここふんぐん)」
と呼んでいますが、この古墳群は和賀川北
岸に所在する五条丸(ごじょうまる)・猫
谷地(ねこやち)・八幡(はちまん)・及
び和賀町長沼(ながぬま)の各古墳群を総
称しています。

 その古墳数は確認されたもので120数
基に及び、破壊されたり未だ埋まっている
ものを推測すると数百基にのぼり、しかも
副葬品等から7〜8世紀の1世紀の間に造
られたものと推測されています。

 古墳時代に限らず個人が一つの墓に葬ら
れるのは、族長や支配者・特別な役職に有
った者が多く、更に故人が生前使用してい
た品物や、財宝を一緒に埋めたと思われま
すが、「江釣子古墳群」の数は異常と思わ
れるほど多くて、特に疑問なのは、この時
代の古墳が広い北上・和賀地方の中でも「
江釣子」に集中していることです。

 100余年間で亡くなった族長を葬った
として考えると、3〜4代の世代交代です
から、普通に考えると族長だけで3〜4個
の墓で済むはずで、兄弟や、戦死などが有
ったとしても一部族の墓ならその2倍や3
倍程度で済んだ筈です。また、各村の族長
ならば各村々で個別に葬られたと考えるの
が自然で、各地の古墳や史蹟がそれを物語
っています。
    とすれば、「江釣子」の百年間に数百基
に及ぶとされるこの古墳の数は何を意味す
るのでしょう?

 7〜8世紀年頃といえば先に述べたよう
に朝廷のエミシに対する軍事行動がスター
トした頃ですが、未だ宮城県北部や、岩手
県南部(一関あたり)迄しか手が伸びてお
らず、戦争に依る族長同時多数死亡といっ
たたぐいの事で造られた墓でもないようで
す。
 
 この古墳群の示す百年間は、従来バラバ
ラだった一族が日高見国としてまとまった
百年間と私は考えています。

 当時1村で50戸程度の集まりですから
人口300〜500人が一部族の集まりで
、約50部族が纏まったとしても2万人位
が傘下にいたものと思われます。

 「江釣子」の地名は、アイヌ語の「カム
イ・ヘチリコホ(神々の・遊び場)」から
の変化とする説もあり、又、この周辺は古
代アイヌ語で示される古地名が多く、古代
は特別な聖地とされていた事が伺われます

 いずれにしてもちょうど大和朝廷の侵攻
前の百年間だけのこの江釣子古墳群は、日
高見国の族長達の共同墓地と考えてもいい
のではと思われます。

 朝廷の侵攻と共に共同墓地としての役割
を終えて、あるいは朝廷側で禁止したのか
もしれません。
 



 縄紋時代晩期の日本の人口は7〜8万人
でしたが、その6割が東北地方に有りまし
た。ところが世に云う弥生時代になると九
州・西日本の人口が爆発的に急増し、たち
まち逆転します。

 東北地方は古墳時代になっても横這い状
態の増加だったようです。その中での2万
余人のグループは結構な大きさと思います
。つまり戦士になれる成人が5〜6千人に
なるからです。

「阿弖流為」は当初で5千人位(5万人の
説も有り)の戦闘員を引き連れていたよう
ですので、やはり同程度のグループが江刺
・胆沢地方に有った事になります。

 しかし、「阿弖流為」の事が朝廷側に残
されているけれども、この地域のリーダー
の名前は見あたらない様です。


 北上市は元々、和賀郡の町村が合併して
出来たものですが、737年「和我君計安
塁(わがのきみけあるい)」を夷狄の慰撫
に使わしたと有ります。
    この「和我君計安塁」という人は、現在
の和賀郡沢内村和賀部落の出身で、当時の
和我郷(今の湯田町・沢内村地方)の首長
と思われます。

 この地域は、秋田県雄勝郡や、平鹿郡と
隣同士で、胆沢・前沢地方のグループとは
一線を引き、どちらかと云えば、親朝廷側
と思われ、早くから朝廷に従っていたよう
です。

 「和我(和賀)は東西に長い地域で、西
は「沢内村」〜東は「東和町」まで渡りま
すが、北上・江釣子はその真ん中付近で、
東西共に別個な首長がおり、それぞれ親朝
廷、反朝廷の施策を行っていた模様です。

 この辺が狩猟民族たる縄紋人の特徴で、
結局自己の保守を個別に行い集団化を図れ
ず、朝廷に付け入られます。

「和我君計安塁」は親朝廷で有った為に記
録に残り、他はその他大勢で、記録にも残
らなかった・・のか抹殺されたのか・・・ 

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