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レンブランド(3)

 レンブラントの1番の絵というより、世界中でも10本の指に入る絵が、『夜警』です。この絵は、1642年に制作され、正式の名前は『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルグ副長のひきいる部隊』といいます。ほこりとニスの劣化から黒く変色して、『夜警』とよばれるようになった、といわれてます。もちろん、アムステルダム国立美術館にあり、大きさは、縦363cm×横437cmと大変大きいです(⇒『夜警』とフェルメール全作品大きさ比較)。


 私が、この絵を観た時、1番に眼がいったのは、コック隊長の後の女性でした。この女性は、病弱になったサスキアを描いたもので良いのでしょうか?そのことが、大変気になりました。それと、眼の描き方が、「真珠の耳飾りの少女」に似ている気がしました。同じ時代の画家なので、何か共通するものがあるのかもしれません。


 コック隊長のすぐ後をかける甲冑の人物・銃を持つ人物たち・太鼓をたたく人・旗を掲げる人など、それぞれが、独特の表情をしている。まさに、義勇団で戦いに向う人たちという感じだ。本当に、凄い絵だ。


 この絵は、制作に1年以上を要して、1642年の初めに、市民軍本部に渡されました。その出来栄えと全く新しい構図に、「この絵の横にかけられた、市民軍本部の絵は、皆トランプ・カードのように見えた。」と、弟子のホーホストラーデンは、いってます。弟子の言葉ですが、少しも割り引く必要はないでしょう。
 

夜警


 しかし、この絵の成功は、レンブランドにとって、良い方向に働きませんでした。そのころの、オランダの、このような絵画は、集団肖像画と言われて、絵画の代金は描かれた名士が負担していたことは、前のページでも話しました。レンブラントは、絵の芸術性を追求するあまりに、「注文主の意向」を忘れてしまったのです。この絵に登場する人物は、24人です。そして、描かれて本当に満足できる人物は、多分中央の二人だけかもしれません。他の人たちは、この絵に描かれたことに、満足できなかったのかもしれません。その点が、前ページで述べた『トゥルプ博士の解剖学講義』との、大きな違いです。


 人というのは、我儘なもので、「歴史的名画の脇に、ちょっと描くから、お金を出してくれ」、と言われても、中々出さないものです。私個人でも、二つのうち、どちらに描いて欲しいかと言われたら、『トゥルプ博士の解剖学講義』を選びます(^-^)。

 脚光を浴びましたが、注文を受けなくなって来て、レンブラントは栄光の階段を降りていくのでした。そして、運命の女性・サスキアを、同じ年の、6月14日に失います。サスキアは、身体の丈夫な女性でなく、産後のひだちが悪く、また、生まれた子供も、すぐに失ったみたいです。最終的には、結核で亡くなったと言われてます。


 彼女は、レンブラントに沢山の財産と優秀な息子・ティトゥスを残しました。結婚生活は、8年でした。8年という歳月を長いと思うか、短いと思うかは、個人により違いがあると思います。私たちは、結婚して10年を向かえようとしていますが、過ぎ去ってみると、そんなに長い歳月のように思えません。


 次のページでは、(今知っている限りで)私の一番好きなレンブラント作品『ヘンドリッキエ・ストッヘンス』について述べたいと思います。


(2002年9月2日作成)



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