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レンブランド(4)

 レンブラントで1番私がすきな絵は、やはり女性を描いた絵で、下の『ヘンドリッキエ・ストップフェルス』という絵です。1654年に描かれていて、縦74cm×61cmの大きさで、今ルーブル美術館にあるみたいです。来年(2003年)、『レースを編む女性』と一緒に是非観たいと思ってます。


 作品としては、この女性(ヘンドリッキエ)の、何か落ち着かなくオドオドしている表情が、たまらなく、いとおしいと思います。彼女は、ほとんどレンブラントの三番目の奥さんなのですが、正式に結婚すれば、サスキアの遺産を放棄しないといけないため、ずっとレンブラントの愛人でした。そのような、背景がなんとなく、絵からも伺うことができます。何か諦めているような表情が、ありませんか?


 また、両耳の真珠のイヤリングが、とても奇麗です。素適だと思います。彼女は、この年、コルネリアという娘を産みます。女性は、やはり強いです。


 レンブラントの生活が、悪化する原因は、彼の浪費とティトゥスの乳母として雇ったヘールト・ディルクス(2番目の女性)との間のもめごと、でした。彼は、自分の絵の勉強のためでしたら、何でも買うという感じです。ところが、描く絵は芸術を重んじるため、依頼者の意向を無視するわけです。段々、皆に見捨てられるのは、仕方なかったのかもしれません。


 1656年7月20日、裁判所はレンブラントに「セシオ・ボノルム(財産譲渡)」の処分を下します。こうやって、無一文になっても、レンブラントは、絵を描き続けます。1658年2月、シント・アントニスディクの豪邸は売却されて、1660年12月18日に全ての競売が終わり、ローゼンフラフト街の借家に住むました。今後のレンブラントの生活は、ティトゥスとヘンドリッキエが面倒をみるということで、債権者から開放されることになりました。レンブラントは、二人のお陰で助かったのでした。


 その後も彼は制作を続け、名作を残しています。『織物商組合の幹部たち』(1662年・アムステルダム国立美術館)、『アレクサンダー大王』(1663年・カローシュテ・グルベンキャン財団)、『ユダヤの花嫁』(1667年・アムステルダム国立美術館)など、他にも沢山あります。

ヘンドリッキエ・ストップフェルス


 しかし、彼の不幸はまだ続きます。1663年7月、ヘンドリッキエが亡くなります。彼女とレンブラントの生活は、1649年からですから、14年です。サスキアとの生活が8年ですから、それより長かったのです。そして、最後はレンブラントの『妻・夫人』となっています。破産した時点で、結婚したようです。破産が彼女にとっては、幸せだったのかもしれません。


 そして、レンブラントの最後の不幸は、最愛の息子・ティトゥスが、1668年9月4日亡くなります。親にとって、自分の子供が亡くなるというのは、かなりショックです。それは、私でも想像がつきます。自分の親が、先に亡くなるのは、仕方ないことと思います。ただ、娘の方が、自分より先に死んだらと、考えたらゾッとします。

 特に、レンブラントのティトゥスへの愛は、相当のものだったと思います。『勉強するティトゥス』(1655年・ポイマンス・ファン・ビューニンゲン美術館)、『読書するティトゥス』(1656〜57年・ウィーン美術館)、『カプチン派修道士の姿をしたティトゥス』(1660年・アムステルダム国立美術館)など、彼の成長を現す素晴らしい作品を残してます。絵を観る限り、レンブラントより、美少年だったのだと思います(^-^)。


 彼は、ティトゥスが亡くなった翌年、1669年10月4日、63歳で、レンブラントは亡くなりました。彼は、10月8日ローゼンフラフトの西教会のヘンドリッキエとティトゥスの傍に、埋葬されました。


 レンブラントに関しては、これで終わりにします。次は、ゴッホにトライしたいと思います。


(2002年9月4日作成)

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