「これこそ正しいベートーヴェンの聴き方」
ベートーヴェンの曲をどう演奏すべきなのか
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シリーズでお読みの方には遅ればせながらですが、予備知識として…
シンドラー、アントーン・フェリークス Schindler, Anton Felix 1795〜1864 ヴァイオリン奏者、ベートーヴェンの伝記作家。一時期はベートーヴェンと非常に親密な関係にあったが、杜撰(ずさん)で何事もでっち上げてしまう性癖が非常に強かったので、最近の研究で明らかになったように、彼が記録したものは事実上、他の証拠によって保証されないかぎり、何一つとして信頼できない。シンドラーは1814年から1827年までの間ベートーヴェンとは親密な友人であったと主張しているが、ベートーヴェンの無給秘書というような形で密接に接触していたのは、証拠が示すとおり、1822年から1824年5月までと、1826年暮れから翌年3月にベートーヴェンが他界するまでの期間だけである。(後略) バリー・クーパー原著監修「ベートーヴェン大事典」 |
チェルニー、カール Czerny, Carl 1791.2.21〜1857.7.15 ヴィーンのピアノ奏者、作曲家。1801年から1803年までベートーヴェンからピアノのレッスンを受け、また逆に1816年から1818年まではベートーヴェンの甥カールにピアノを教えている。ベートーヴェンのすべてのピアノ作品に精通していただけでなく、人間ベートーヴェンについても深く理解していた。(中略)なお、彼が1842年に出版した回顧録には、ベートーヴェンに関する多くの魅力的な記述が見られる。 バリー・クーパー原著監修「ベートーヴェン大事典」 |
(*)チェルニー、ツェルニーと、表記が統一されていませんが、ご容赦ください。
その、胡散臭さがプンプンする記述であることを勘弁してシンドラーの話を引用すると、こうなる。
我々は先ほど弦楽四重奏曲のハイドンの伝統の推進者として、ラズモフスキー伯爵の名をあげた。これはどのような理由からであろうか? 答えは簡単である。ハイドンはこの芸術愛好家[ラズモフスキー伯]に、表面的ではなく、通常の[音楽]記号では伝えることのできないような、ハイドンの四重奏や交響曲の特性の多くを理解するに必要な「せん細な」感受性を明かしたのである。これらの特性がほかの芸術家に理解されていなかったので、ハイドンは、伯爵に彼のかくされた意図を知らせる労をとった。それで伯爵はその意図を演奏家に伝えることができたのであった。この事実は、ラズモフスキー弦楽四重奏団の真の正確を知る上できわめて重要なことである。特にベートーヴェンの四重奏に関しては重要である。 (中略) 事実上ラズモフスキー弦楽四重奏団は、ベートーヴェンの弦楽四重奏団と同じことになったからである。(中略)四重奏団は、ベートーヴェンの意のままとなったのである。 アントン・シンドラー「ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン」 → ランドン「偉大なる創造の生涯」に収載 |
ベートーヴェンが演奏するのを私自身が聞いた曲は、殆ど例外なしに、テンポの制約からは全く自由なものであった。文字通りのテンポ・ルパートであって、内容や場の要求に従うのであり、かつ風刺的な傾向のないものであった。これは最高級の、明快な説得力のある熱弁であって、おそらく彼の作品からのみ引出されるものであろう。 いろいろな面で彼の精神の発展を注意深く見守って来た彼の旧友たちは、彼の生涯を三時期に分けて、その第一の時期に彼が演奏スタイルを発展させ、ニュアンスの少い初期の演奏様式から完全に脱皮したのだと、私に語ってくれている。このことから見ても、彼の発見への衝動が、素人にも専門家にも神秘であるものの入口へと、確実な歩みをしていたのが明らかである。彼は四重奏もソナタと同じように演奏するよう望んでいた。というのは、四重奏もソナタの大多数と同じ精神状態を描いているからである。 フリードリッヒ・ケルスト「ベートーヴェンの思い出」にあるシンドラーによる記録 → ランドン「偉大なる創造の生涯」に収載 |
ばっさり信用できないと断定されてしまった記録で何を考察しても仕方がないが、とにかく言えることは、ベートーヴェン存命当時にベートーヴェンからのみ演奏の奥義が伝授されうるということだ。考えれば、当然のことだ。そして、その恩恵にあずかることができたのは、ラズモフスキー弦楽四重奏団のシュパンツィッヒ他の面々、そしてツェルニー、おそらくリースも、といったところであろうか。
とりあえず、以上で、十分に思索を重ねてみることができるだけの材料を揃えてみた。
注意点があるとすれば、直接に見聞きできた年代だ。資料に従えば、シンドラーが実際に聴いたのは後期のピアノソナタの一部であろうし、ツェルニーは「テンペスト」あたりまでの作品でなら、実際に聴き指導をしてもらえた可能性があったということだ。
結局、ベートーヴェンがどのように演奏したのか。交響曲をどう演奏するのが理想だったのか。それは謎のままなのだ(今の手持ちの資料では、そうなる)。
まとめ
わかりにくかったので、まとめておく。
(1)ベートーヴェンが演奏の奥義を伝授した人は、少数に限られている。それがどの曲についてのことかは、推定するしかない。
(2)テンポの揺れ、その他の微妙なニュアンスは?
直接奥義を伝授されていない人は、楽譜の通りに演奏すべし。ピアノに限らず、どの曲種でも同じ。
(3)今後、いろいろな情報を見つけた場合は?
シンドラーの記録だけは、アテにならない。
結局、正統な北斗神拳のみが存在を許されているようなものだが、事実上、ベートーヴェンの奥義は継承できずに絶えてしまった(埋もれてしまった)とみるべきだろう。
(2009.1.3)(2009.1.6) →【続く】