なるほど納得、「初音ミクは女神」
ここ3週間ほど、ボーカロイドの曲を聴きまくっている(2010/11/3現在)。
2010年10月中旬、時折行くレンタルビデオ屋に入ったとき、ふと思いついてCDを1枚を借りただけだったのに、今にして思えばあれはご神託みたいなものだったのか。
ちなみに、私のPCにつながるモデムは残念ながらブロードバンド対応ではないので、ニコニコ動画とかYOUTUBEを見るわけにはいかない。だからレンタル屋でCDを借りてきたのだ。
最初はたった1枚(「初音ミク ベスト-impacts-」)を借りただけだった。しかし、それがツボにはまった1枚だった。1週間もしないうちにさらに4枚(*1)を借りていたのである。
それだけでは足りないのか、ネットショップで完売間際のCD(*2)を購入し、さらに新発売の1枚(*3)を購入した。
これまでボーカロイドの曲はおろか、一般のポップスに全く縁が無かった。そういった曲を聴くとすれば、これまではせいぜいテレビのCMか歌番組だっただろう。それとて、私が積極的に見るわけではなく、家族が見ているのに付き合っているだけである。もちろん「紅白」なんぞ昔も今も興味は無い。
「初音ミク -impact-」を一聴、「これは良い物を見つけた!」と思ったは当然のことだったが、同時に別格扱いになってしまった。
*1 「初音ミク ベスト-memories-」、「EXIT TUNES PRESNTS Vocarhythm feat.
初音ミク」、「初音ミク ミクの日感謝祭コンサート」2枚組
*2 「みくのかんづめ」
*3 「Cinnamon Phylosophy」、2010年10月27日発売。
1枚借りてきた
最初に借りたCDであるが、購入済みの方にはご存知の通り、第1曲が「みくみくにしてあげる♪(してやんよ)」、第2曲がOSTER
projectの「恋スルVOC@LOID」で、「初音ミク」発売初期の名曲にあたる(そうだ)。
で、第2曲で降参しました。降参した理由は、屋下に屋を架すようなものなので、やめておく。
ここでちょっと、思いっきりツボにはまった「恋スルVOC@LOID」の聴き所(それは実際にはこの曲のみのことではないが)について書いておきたい。何度か聴き続けるうちに、この作曲者はいかに細かなテクニックをよく知っているというか、経験豊富というか、すごいものだなと思うようになった。
いきなりのAの持続音による序奏@、高い密度の内声部A。特にバックコーラスは和声を彩るのではなく対旋律と言ってよいほどの実に緻密な動きをしている。
曲の構成も緻密B。細かい話だが例えば間奏が単なる間奏ではなく、それに続く部分を適切に導く。アクセントになる細かな音型が多数あり、曲全体の統一感を保持しているC。序奏や間奏途中に半端な小節が存在するDが、そこにあってしかるべきな要素であって、聴き込んだときに改めてすごいと思う。
@〜Dのどれもがクラシック音楽ではまあ、よく探せばあちこちに見つけ出せる手法で、しかし5個全てが1曲に収まっているのって、初めてだ。これらの効果で緊張感の変化や劇的な表現を可能にしているのだ。もちろんクラシック音楽に限ったものではないはずだが私は他に疎いだけである。ともかく、この曲でこれほどポイントを列挙できるのは、どこかでそんな曲を経験してよく勉強しているからに違いない。
ここまででOSTER projectさんの話しかしていないが、これは他の人とは別格であることを、すぐさま見抜いたのである(と、自慢する)。他の人の意見では、「唯一聴けるのはOSTERのみ」という言葉もあるくらいだ。
とにかく、聴けば聴くほど、ほとほと感心してしまう(歌詞にも惚れたことは長くなるので省略する)。抜け出せない。これをミク廃とでもいうのか。きっとそうだ。一ヶ月経っていないのに、この曲だけでもう100回近く聴いている。しかし、私の再生回数は、ニコ動の再生カウントには入れてもらっていないのだ。
OSTER projectの作品がお気に入りなので、感想のページを作った
ニコ動に入ってみた
とりあえずニコ動の無償アカウントを作成し、ネカフェで観た。1回くらいは再生カウントを足しておいてあげないとね。
このとき、Project DIVA(*4)(持っていない)を開発する際にできたという振り付けを見つけ、その素敵なことに感動。それは実際のリアルな人間ではなし得ない、3Dではあるが絵というエッセンスならではの表情であって、若干おどおどしたような視線の動きとか「上手く歌えてない…AH」の首をかしげるところは、さすがにドキッとした。
*4 音楽ゲーム
インタビューを見つけた
野次馬的に気になるのは、「恋スルVOC@LOID」の作曲にどれほどの時間がかかったかなのだが、あるところで、作曲者のOSTERさんへのインタビュー記事があり、作詞作曲演奏にほんの3日程度(使い方に慣れる時間も含めてだろう)しかかかっていないことを知るにつけ、改めて驚いたり感心したりすること、しきりであった。(「初音ミク」発売は、2007年8月31日、「恋スルVOC@LOID」の公開は翌月13日)作曲当時20歳を超えたばかりという。いやもう、スゴイよ。
参考サイト
@OSTER's originalのまとめサイト http://fuwafuwacinnamon.sakura.ne.jp/index.html
歌詞がある。曲(画像無し)のmp3データへのリンクもある。
Aウィキペディア:OSTER project 紹介 http://ja.wikipedia.org/wiki/OSTER_project
Bニコニコ動画:OSTER project 紹介 http://dic.nicovideo.jp/a/OSTER%20project
Cニコニコ動画:OSTER project オリジナル作品集 http://www.nicovideo.jp/mylist/308936/2578149
動画サイトであるが、オリジナルの投稿作品では、背景が静止画のものが多い。思い思いの動画を付けて曲を彩るのが定番なので、それらは各自検索すること。
だいたい、普通は約5分の曲を作るのにどれほどかかるものだろうか。速筆ということではいろいろな分野に多くのエピソードが転がっているものだ。たとえばシューベルトが歌曲「魔王」(約5分。歌手一人、ピアノ一人)を作曲したときは、詩集を読んでいていきなり曲があふれ出てきたというが、そうするとおよそ2時間だろう。汚い音符で良いのならそれくらいで一気に書ききることができるだろう。ただし、これは伴奏が単色のピアノ1つでしかない。
一方モーツァルトが最後の3つの交響曲(楽器は約10種類)を書いたときは、総計1時間強(繰り返し除く)の音楽に約40日かけたらしい。つまり約5分の作曲にかかる時間は約3日でしかない。
あんなバケモノじみた天才たちと比べてはいけないのだろうが、それでもあれほどの完成度の「恋スルVOC@LOID」を約3日というのは、すばらしいと言うに尽きる。インタビューで「モチベーションがすごく上がりますからね」などとのほほんと言っているレベルではない。世の中には、こんな人たちがゴロゴロしているのだろうか。たぶん、そうなのだろう。
初音ミク発売後、すでに3年。これからも新しい世代のPを加えつつ、着実に進化していくに違いない。一般に速く世に出たものは速く世から消えるものであるが、「初音ミク」が単なるソフトウェアとしての技術の進歩ではなく、もちろん耐久消費材でもなく、多くのPたちのあまりにも人間的な創作活動を伴う広範囲で継続的なものである以上、「歌を作るのが楽しくて仕方がない」という気持ちさえ忘れなければ、文化として永く歴史に残るものとなるに違いない。
新しい歌手の創造
商品としては「初音ミク」はソフトウェアだ。それを動かし、音を出す環境を作れば「楽器」としてみなせるだろう。しかし、「初音ミク
-impact-」1枚を聴いただけで、私は初音ミクがまさに人格を備えた女性として頭に叩き込まれてしまった。彼女はどう考えても新しい歌手だ。
ただし、何にも縛られていないのである。
大して知りもしないクセに書くのはおこがましいが、肉体を持った歌手は自分の持ち歌を持ってしまうために、それに縛られてしまう。持ち歌とプロダクションの(売り出すための)イメージが先行し、自分の型が堅く作られてしまう(はずだ)。それをどうやって打ち破って、常に新しい自分でいられるか。そのためには歌う本人が作詞も作曲もプロモーションもするのが一番簡単だ。しかし大半の歌手は、そうすることができない。今でも大御所のGとかSとかは、自分のイメージを変えるために、かつてそれまでの自分とは全く違った雰囲気の歌に手を染めたことがあったが、たしかさっぱり売れなかったはずである。すぐに路線を元に戻したのは言うまでも無い。
その点、初音ミクは歌手=作詞作曲者=無数!なので、縛られる型がそもそも存在しない。だから、自分のツボにはまった曲を見つけたら、素直にそれを聴けばいい。いやもう、初音ミクの曲に「売れるための型」「初音ミクという型」という考え方がそもそも存在しないのがありがたい。誰でも自分の好きな曲を選ぶだけのことである。
おまけに書くと、ほんと、自分としては、初音ミク本人にスキャンダルが無いのが大変ありがたい。スキャンダルは極めて人間的なものであるが、それらは大抵orzなレベルで、聴く側の気分を思いっきり萎えさせてくれるだけの効能しかないものなのだ。
曲を作る上での心構え(?)
人は儲けなければ生きていけないのは確かなことなのだが、本来芸術の創造は、儲けることよりもさらに上にある。多くのP(*5)の皆さんは「初音ミク」に巡りあって、純粋に曲を作りたいという衝動にかられて作っているはずなので、こそばゆい表現なのだろうが、すなわち「芸術の創造」に携わっている。この言葉が嫌なら「曲を作るのが楽しいから作っている」としておこう。意味は同じなんだけどね。
もし20世紀以降の音楽産業のように「儲かる曲」「儲かる演奏」を目指そうとしたら、きっと霊感が欠落した、どうしようもない歌しか出来なくなるだろう。多くの「一発屋」が「一発屋」であった理由は、最初の1曲が「曲を作るのが楽しいから作っている」という芸術創造の基本の上で出来上がっていたにもかかわらず、2曲めから「儲けてやろうという曲」を目指すという傲慢な方向にズレてしまい、結局「万人に求められる曲」を残せなかったことにあると思う(*6)。
そう考えると、あまたに存在するボーカロイドの曲たちの出来の見事さといったら、どうだろう。これはいかに純粋に曲を作ることの楽しさを皆が謳歌しているのか、の証明だろう。
たしかに私が聴いているCD化された曲たちは、その頂点に君臨する曲だということはわかっているが、それでも一夜のコンサートをかるく仕上げるに足る数の曲がある。それが名曲に値するもののうち、ほんの一部であることも知っている。
技術の進歩とインターネットは、すばらしいものを世からすくい上げたものだなあと、改めて思う。
*5 Produser の略だそうである。
*6
クラシック音楽のCDが売れないというのも、演奏家が小粒になって力が無くなったのも、そしておそらくクラシック音楽の作曲そのものが衰退していったのも、20世紀以降の音楽産業にどっぷり浸かってしまっているからであるに違いない。
新しい手段を得たこと
私はこれまでクラシック音楽ばかり、というよりほとんどベートーヴェンばかリ聴いてきた。ベートーヴェンが生きていた時代は、1800年前後。すなわち、ピアノフォルテ(現代のピアノの前身)が発明され急速に進化していた時代だ。そのピアノフォルテの面白さに魅せられてベートーヴェンは数多くのピアノ曲を作曲した。
まさに今、それと同じことが起こっている。誰かがどこかで書いていたとおり、ピアノフォルテの発明と進化は、初音ミクに重なる。ピアノ(弱く)やフォルテ(強く)を自由に出せる楽器、ひとりでオーケストラの代用にできるような楽器、それを手に入れた作曲家は、自分の音楽を十分に表現することが可能になった(*7)。ベートーヴェンはまさにそれを自分の芸術の創造に利用した最初の世代であり、見事に使いこなした筆頭のPでもある。またその時代では、音楽は産業になっていなかったというのも似ている。1800年頃、楽譜の出版はやっと始まったばかり。当然、録音なんて言う便利なものは無い。たしかに儲けなければ食っていけないからコンサートをしたり個人教授をしたりはするけど、当時は純粋に芸術を創造するために作曲していたのであって、儲けること第一で作曲していたのではなかった。というより、儲けるために作曲していた人もいるはずなのだが、歴史にほとんど名を残していないのである。
ついでに書くと、こういう時代の変革期には、それについて行けない人もいる。たとえば「こんなのは音楽じゃない」と言い張る人たちである。「初音ミク」を巡る一連の動きを見ていると、やはりなあと思う。これは、1800年頃と全く同じだ。ピアノフォルテの発明による表現力の増大と、それに呼応して世に出た新しいタイプの音楽について行けない人たちが、当時は実際にいたのである。
ということで、時代の相似性に感嘆しつつ、今日も曲を聴くのだ。
*7 まあ、ピアノ以外の楽器で表現したい音楽もあるけどね。
「初音ミクは女神」は、まさにその通り
ファンの皆さんは当然ご存知のごとく、「初音ミク」は音楽のみならず、映像や絵、ゲームから書籍からもっと広い範囲に、影響が拡大しつつある。「初音ミクは女神」と言う人たちもいるが、このように神のごとき力で多くの人をつき動かして世にさまざまな創造の道を切り開いたという点を知れば、まさに「女神」と呼ぶにふさわしいと断言できる。
(2010/11/3)
今後
歌唱ソフトウェアの出現により曲作りへの敷居が下がったということは、つまり、技術的に未熟な作品が増えることを意味する。批判を恐れないで書くが、低い品質の曲がこれからも多数出来上がることで、少数の高い品質の曲が埋もれてしまうようになるだろう。品質が高いか低いかというのは、永く聴かれるに耐えられるかどうかという意味だ。聴く方は、出来上がった全ての曲を聴くわけにはいかないのだ。そうなると、曲の品質とは別の観点の、曲の一部の特徴で判断してしまう。なんだか、今の音楽業界に似ていると思う。曲ではなくて歌い手だけの魅力で良しとして聴いていないか?
今後の状況は、「悪貨が良貨を駆逐する」になると言ってよいと思う。品質の低い曲の割合が増えると、新規参入の聴き手が品質の低い曲にあたる可能性が高くなる。「VOCALOIDの曲って、なんだ、こんな程度か」と思う率が高くなる。何が良くて何が聴くに値しないか、それは、わかっている人にはわかるが、わからない人は誰かに教えてもらうまでわからない。こうなることを避けるために、厳選を重ねたベスト盤を継続して出しておくしかないだろう。そうしなければ、発展できる可能性の芽をつむことになる。
余禄
ちなみに我が家の娘たち(小学生2人)は、すんなり初音ミクを楽しんでいる。ついでに書くと、KEIさん作のマンガも読ませた。なんだよ、第3巻で終りか…。
(2011/5/1)