虚構かもなと疑問に思わないほどの…
なにやら、5月14日から「虚構新聞」のネタで盛り上がっているようである。
「橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化」
それに関する記事
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1205/14/news116.html
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1205/15/news133.html
http://it.slashdot.jp/story/12/05/15/0840245/%E5%98%98%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%92%E7%9C%9F%E3%81%AB%E5%8F%97%E3%81%91%E3%82%8B%E4%BA%BA%E7%B6%9A%E5%87%BA%E3%80%81%E6%89%B9%E9%9B%A3%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E8%99%9A%E6%A7%8B%E6%96%B0%E8%81%9E
結局のところ、ほとんどの人が「虚構新聞」というタイトルを読むことなく嘘情報が拡散されていったのが真実なのだろう(推測)。
特に140文字という短文でしか情報を送れないTwitterの弱点が表面に出て、「虚構新聞」という文字を載せることなく文章の要点のみが伝わったとか(推測)。
いや、つまりこれは、Twitterを情報としてうまく使いこなせない人が嘘情報拡散に大きな影響を与えたとも言える(推測)。「え、それほんと? 誰に聞いたの? どこに書いてあったの?」というように「疑って確かめる」という、極めて人間的な行動が欠落している人が多かったという意味でもあるだろう(推測)。
また、いろいろあちこちで意見が熱く戦わされているようであるが、中には「事実」と「自分の意見」がごっちゃになっているのも散見される(狭い範囲での観察による断定)。
「自分の意見」をさも「客観的に認められた事実」のように書くと、それはすなわち「虚構」でもあるわけだ(断定)。議論で熱くなって自分の意見を書き述べるのはいいが、自分も「虚構」を書いてしまわないように、思考力と文章力を高めるのも必要だ。たとえば「(虚構新聞という)悪意のあるサイトを放置しておくのはまずい」という文章があった。
http://blogs.itmedia.co.jp/ten/2012/05/post-f0cf.html
の、コメント。
しかし「悪意のあるサイト」とはここでは個人的な意見であって、客観的に確定された事実ではない(断定)。つまり「虚構」である。また、「放置しておくのはまずい」というように、しかるべき誰かが何らかの権力行使をしろと期待している点においても「虚構」を「事実」と誤認されるに足る乱暴な考え方でもある(断定)。つまり、この人は自分で虚構を事実であるかのことく述べているのだ(断定)。
「橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化」という、実は虚構ですよという思考の上で書いた文章と異なり、自分の意見は虚構ではないぞと言わんばかりの強い意志を伴って「(虚構新聞という)悪意のあるサイトを放置しておくのはまずい」と書いたのであるから、実は虚構新聞よりタチが悪い。タチが悪いというのは、興奮して事実と推測が入り混じり論理が破綻しているが、内容が正論のように読めるからだ。おまけにこのような場合に謙虚さが欠落する、つまり自分は常に正しいと断定することが多い。
このように、「事実」と「虚構」を混ぜたまま自分で整理できないで意見を述べたり文章を書いたりするような人は、ニセ情報に騙される可能性が高いのではないか(推測)。自分に都合の良い情報があると飛びついてしまうのではないだろうか(推測)。熱くなると普段は見えていることが見えなくなるのは私も含めて人の常なので、自分も注意したいと思う。
ベートーヴェンに関しても「虚構」もいろいろあるようだが、あくまでも過去の人なので、現代には被害が及ばない。その点は、安心ですな。しかも何があっても真実は音楽そのものにある。そう、音楽を聴けばよいのだ。
さて、ベートーヴェンで「虚構」といえば、伝記や会話帳を捏造したり、会話帳を闇に葬ったりと、シンドラーが犯人にされているのは最近の学説だ。しかし、では、これらのことをしたシンドラーに悪意があったのか、となるとこれは別の話になる。
ここのページでも考えてみたとおり、まだ生きているベートーヴェンの友人たちに政治的な危機が訪れないないようにシンドラーが会話帳を捏造したり、会話帳を闇に葬ったとするならば、きっとベートーヴェンは許してくれるであろう。今となっては確認できないが、会話帳で政治的に過激な内容の会話がなされた可能性はおおいにあるとみてよいだろう(推測)。
(2012.5.16)