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ワルター100!(*1)


 近くのハドオフでジャンクの箱をあさっていたら、ほとんど無傷のブルーノ・ワルター指揮による「第9」(コロンビア響)を発見した。ほとんど無傷というのは、プラケースにヒビが入っていただけなのである。105円也。というわけで買った。

 何をいまさらワルターを買ったのかと思われるかもしれないが、これまでワルターを聴いたことが無かったわけでもない。ただ比較的疎遠だった。その理由は録音を保有する会社の姿勢につきる。ワルターには何の落ち度も無い。CBS(さもなくばCBSソニー、今ならソニー・エンタテインメントか)が気に入らないのだ。何が気に入らないかって、商売の姿勢だ。どうもクラシック音楽を提供するために必要な何かが欠けている。そう、ヨーロッパ文化を丁寧に扱う何かが欠けているとしか思えないのだ(DGを大丈夫だとまでは言わない)。CBSはアメリカの会社だから? 細かいことは書かないが、それを先入観だというのならそれでもいい。

 しかし、ワルターの演奏はいい。「第9」については、ニューヨーク・フィルを振ったモノラル盤を昔よく聴いていたが、それと同じものがこのコロンビア響のステレオ録音盤にもある。すぐにわかる部分はたとえば、第1楽章冒頭の、バイオリンで主題の断片が鋭く空気を切り裂くところだ。巨匠は、多少オケが違っても安定した演奏をするのである。
 ワルターといえば、「田園」とかモーツァルトとかの、どちらかというと暖かく豊かな風味の演奏ではないかと思うかもしれない。ワルター自身の風貌もそうだ。でも、やはり巨匠と呼ばれるとおり、鋭くあるべきところはやはり鋭く切れ込む。交響曲第1番や第2番なんかは、好きな演奏だ。

 1960年前後というのは、本当に巨匠の実り多い時代だったのだなあと、改めて感慨に耽る。録音技術があと10年分くらい早く進歩していたら、他の巨匠たちの演奏も、もっと聴かれていたことだろう。そして今のままでも、1960年前後に幸いにステレオ録音で残された巨匠の音楽は、この21世紀のつまらん演奏を吹き飛ばすくらいにすばらしい。
 そんな決め付けをするのは実はおこがましくて、そもそも最近の演奏録音は買ってないですよ。1990年以降は、ほとんど無し。なぜなら、売らんかな感まる見えの広告が胡散臭いし、知られざる巨匠を発掘しました的な演奏も、まあ、いらない。演奏家本人は至って立派な人物で至極まじめに仕事をしているのかもしれないが、演奏の基本的な部分については既に過去の巨匠による名人芸で出尽くした感があって、新しい演奏録音を手にとって(さもなくばネットで見かけて)欲しいなと思っても、自分が持っている過去の巨匠の録音を思い起こしてみると、こんなの無くてもいいやと思ってしまう自分がいる。解釈やオーケストラや録音手法の違いなどで同一のものは基本的に存在しないことはわかってはいるが、どうしてもそうなる。
 だからワルターや、カラヤン、コンヴィチュニー、モントゥー、イッセルシュテット、クリュイタンスなどの1960年当時の演奏を聴いていると、いまさら新録音なんて買う必要無いよねと改めて思ってしまう。

 ちまたではダウンロードの刑事罰化で音楽離れがさらに加速化するとも言われている。他の音楽ジャンルが基本的に自分の持ち歌で勝負していることと違ってクラシック音楽の楽曲は誰とでも共有できるため、販売低迷の性質は違うかもしれない。しかし問題の本質は、本当に欲しくなる製品を提供できているのか、ということに尽きると思う。

 ワルターもすばらしいね、という話題から離れてしまったが…
 というわけで、手にする録音が自分の生まれる前の演奏だったとしても、気にせずに聴くと面白いはずだ。1960年前後はそんなすばらしいものを多く遺すことができた時代だったのだ。できることなら、匠の業で丁寧にデジタル化を再度やって発売してほしいものだと思う。

 それにしても、ところどころにあるデジタル・リマスタ化時点で混入したノイズ(*2)はなんとかならんものだろうか。最新の市販品では直っているだろうか。DGの一部でもひどかったのだが、発売側は知っているのだろうか。ほんと、デジタル化のやり直しをしてほしい。


*1 昔、LPレコードの時代、モノラル廉価盤で「ワルター1000」というシリーズがあった。1000枚じゃないよ。
*2 量子化ノイズでない。くわしくは、こちらを。

(2012.12.29)



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