発責 大館市東台6-5-83 鷲谷豊  

  北羽歴史研究会 会報  NO.1   2010.(H22)1月元旦

平成22年2010)      

  新年明けましておめでとうございます

 知られざる歴史を皆で探す皆で学ぶ。祈健勝。  

                                            

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■  第23回定例総会を開催します 参加下さい

1月2)受付13:00〜 開会13:1013:50      於・大館市中央公民館 

  議題1、平成21年度事業報告、決算報告、会計監査報告

     2、平成22年度事業計画案、予算案、その他

:当日、年会費3000円を申し受けますので納入ください。

       総会終了後は、同会場で公開講演会を開催します。

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■ 「公開講演会」を開催します   

総会後に「北羽歴研公開講演会」(無料)を開催します。引き続き参加願います。

会員以外一般の方にも聴講をお薦め下さい。

記  

 ・ 日時 1月2) 開会14:00〜15:30      大館市中央公民館 

  演題  鳥潟家(花岡)岩澤家(山田)・中嶋家(澤口)の教育について

               − 教育は環境 − 

  講師  中嶋忠輝氏(北秋田市) 

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■ 12月18日、史話懇談会終る   話題提供(資料コピー・口頭参加等)頂いた方々は・・

 柴田次郎金沢長野口長丸屋悧千葉克一、高松毅小林勉武田政二郎工藤侃

市川初男.小笠原正彦.志賀威和.伊藤次男.藤田寛.貝森節子.鳥潟恵子.石井宏作の皆さん。謝々

事情報  秋田県立博物館・教室「土崎港の歴史」H22.1.11.14:00-16:00.申込要。

同博物館企画展示 ◎秋田の凧H21.11〜H22.1.31。◎ひな人形押絵H22.2.2〜4.11。

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 ■             

〇柴田次郎・中国旅行記…H8第1回シルクロードの旅H9第2回山東・河南の旅H10

第三回四川湖北の旅各年度10日前後の長期旅行、上海復旦大学井上聰氏協力による。

〇金澤長一郎・秋田側から津軽藩への出張盗賊の話。… 嘉永七年12月、津軽藩から

田舎館代官へ布達がだされた。黒石馬場尻村の山口栄太郎宅の土蔵に賊が入り、衣類な

53品余が盗難にあったと…盗賊首領は秋田長面羽立の留(異名稲妻)という。子分

は六人(内南部生れ3人仙台生れ1)。彼等は秋田長面に拠点を置いて津軽領に入り込

んで窃盗を働いているという。逮捕されたと云う話は無し。秋田領長面では領民として

藩に登録されていたと思われ、異名や別名を持っていたのは、秋田藩では正体を隠して

善良な領民として生活していたと示唆される。碇ケ関関所の取締りを厳重にしても、津

軽領内に色々なルートで入り込み鮮やかな手口で窃盗に及ぶという。幕末の時世を反映

するか…。資料・長谷川成一著『弘前藩』213p抜粋。 津軽負けしない秋田盗賊に感心す。W

〇丸屋悧・大河ドラマ「竜馬 伝」… 新年ドラマ、岩崎弥太郎の視点から描くとある。

世界に目を坂本竜馬、海援隊=亀山社中五代友厚中岡慎太郎、船中八策等。

千葉克一・組下給人と陪臣<直武>はどちらか。安永7年2月直臣に取立て云々。

付記 小野田直武=阿仁銅山視察の平賀源内に同行、『解体新書』の銅版挿絵を模写、藩主佐竹

    曙山ほか藩士らの蘭画の指導者として活躍。安永9年5月17日32歳で死去。 w

〇工藤 侃・「楠公末裔の考証」-久保田藩との関り-金光龍夫氏稿A4版5Pの資料配布。

敏達天皇から至る楠正成の後裔金光氏。明暦元年1655金光友成が楠流得軍術之奥旨京よ

り秋田下向、佐竹義隆より秩禄弐百石藩士軍術師範。ほか「黒沢家の古文書」の件。

〇小林 勉・・長慶金山絵図と現地調査などの報告。新公開の金山絵図コピーと参考資

料などを配布。配布資料には、明治41年の秋田県椿鉱山採鉱課長工学士鮎川甚五右衛

門の調査報告書があり、鉱床・坑道の調査内容があり興味を引く。長慶鉱山の沿革を次

の様に記述している。/「本鉱山の起源は遠く南北朝時代にあるものの如し、按ずるに

足利氏の初世南北朝の末葉南朝の天子長慶天皇が足利氏の迫害を避けて此地に蒙塵し、

此地に崩御し賜ひしと云う。当鉱山を去る北方僅かに十数丁青森県中津軽郡相馬村の地

に今尚行宮の跡あり、千秋憤恨の骨を埋むる所、世路浄操、已に数百年蓬藪いたずらに

老いて秋風粛殺虫愁声哀れにして遊子の腸を断つ思いあらしむ。当時この鉱山を発見し

由をもって長慶と名付けたりという。此れより降りて今より約百五十年前、土崎の商

多波武助なるもの大いに本鉱山を開発し、数年にして巨万の富を得、数千の坑夫採堀に

従事し一時隆盛を極めたり。 本鉱山も贅沢豪奢其の分に超えたるを以て有司の忌諱に

触れ一家悉く没滅せられたるを以て本鉱山もまた廃絶の悲運に合い以て今日に至れり

という。本山の下方に役所平と称する所あり広さ数丁歩あり昔本鉱山役所の所在所なり

と云う、今…荒廃せりといえども其の規模広大にして往昔の盛んなりし跡歴々…想見す

るに余りあり…」略。ほか鉱山資料多数配布。」 // 沢山の話題提供有難く感謝 wa

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