Bitter Pain


 ドアを開けたら、明かりがついていた。
「お早いお帰りで」
「来てたのか」
羽鳥は別段驚いた様子も見せず、靴を脱いだ。この男───井上が、留守中勝手に部屋に上がっていることなど珍しくはない。
 羽鳥と井上。端から見れば、二人の関係はゲイの恋人同士ということになるだろう。だが、少なくとも羽鳥は、そんなに深い仲ではないと思っている。三ヶ月ほど前、時々飲みに行っていたバーで知り合った。声をかけてきたのはあっちで、良くも悪くも強引な男だったが、特につきあっている相手もいなかったので断る理由もなかった。以来、週に何度か体を重ねる関係が続いている。
「これ以上ないってぐらいよくしてやるよ」
自負するだけのことはあって、セックスは非常に巧い。時折見せる、ねちっこいまでの執拗さには辟易することがあるが。

「飲んできた?」
「ああ」
勝手に水割りを作って飲んでいる井上の横をすり抜け、クロゼットの前に移動する。スーツの上着をハンガーにかけていたら、後ろから抱きつかれた。
「やめろ」
「なんで?」
「明日も仕事だ」
井上は離れなかった。しかしそれ以上何をするというわけでもなかったので、そのまま上着にブラシをかけた。
「珍しいじゃん。仕事以外でこんな遅いなんて」
「…仕事のつきあいだ」
「悪いくせに」
「何が?」
「つきあい」
井上はそう言うと、ふふん、と笑った。しつこくまとわりつく男に多少の苛立ちを感じながら、手にしたハンガーをポールにかける。
「……あんたさあ」
扉を閉じると、おもむろに耳元に寄ってきた口が、つぶやいた。
「他に、男いるだろ」

 ぴしり、と電流が走ったような衝撃があった。
───何のことだ?」
「俺の勘をなめてもらっちゃ困るね」
井上はとある高級クラブで、ホステスのスカウトマンをしている。詳しく聞いたことはないが、噂では、狙った女性は必ず口説き落とす凄腕らしい。他人の心を読み取ることにかけては一流の腕前だと言ってもいいだろう。
「俺、抱いてる奴が別の男のこと考えてんのっていちばんムカつく」
「…そんな奴いない」
「自覚がないのはなおさら質が悪いね」
顎に手が添えられ、親指が唇をなぞった。
「こんなに可愛がってるのに、まだ足りない?」
「馬鹿を言うな」
肩に回されている腕を払おうとした時、
「、んっ」
耳を噛まれ、力が抜けた。
「俺に逆らおうったって無駄だ」
そのまま、舌が耳の輪郭をたどる。
「全部知ってる。あんたのいいとこ」
「やめ…っ」
井上は左腕で羽鳥をしっかりと押さえ込み、右手一本で器用にネクタイをはずした。
「浮気は、お仕置き」
抵抗する隙を与えないまま、解いたネクタイで後ろ手に縛り、壁に押しつける。
「な……はずせ」
「言える立場じゃないだろ」
抗う体を抱きすくめた井上は、首筋に吸いつきながら、その手を胸の辺りに移動させた。慣れた指がシャツの上から嬲る。敏感な先端はたちまち固く尖った。
「や…、っ」
「イヤらしいね、克行(かつゆき)」
二つの突起を両手で一度に刺激された。うずくような熱が下腹にたまっていく。
「縛られて嫌がってるくせに、こんな固くして。マゾなんじゃない?」
「ちが……」
井上は息の上がっている羽鳥を見て満足そうに笑うと、スーツのズボンを下着ごと引き下ろした。隠されていた部分が剥き出しにされ、足に絡みつく衣服がますます体を拘束する。
「どんな女よりいいケツしてるよ、あんた」
下卑た台詞とともに尻を撫でまわしていた手のひらが一旦、離れた。ジーンズのポケットから潤滑剤のケースを出し、人差し指と中指ですくいとる。
「っ!」
一気に二本突き立てられ、息をのんだ。
「痛いか?」
無遠慮にかき回す指。焼けるような刺激が全身に伝わる。肩が震え、縛られた腕がもがいた。
「お仕置きだからな、我慢しろよ」
井上はジーンズのジッパーを下げ、取り出した高ぶりに手早く潤滑剤を塗りたくると、まだ充分にほぐれていないそこに無理矢理ねじ込んできた。
「んあぁっ!」
こじ開けられる痛みに冷や汗が出る。だが井上は、相手に体を開かせる術を心得ていた。
「ふ……あ、あっ」
半勃ちになった羽鳥を右手で握りこみ、やさしく愛撫する。力が抜けると同時にじわりと進む。それを繰り返し、右手の中のものがすっかり育つ頃には、全てをおさめていた。
「ん…やっぱイイ、あんたの中……」
井上はしばらくその感触を楽しむようにじっとしていたが、やがて、おもむろに両手で腰をつかみ、ゆっくりとゆすり始めた。
「あ……あ………」
「吸いついてくる…、すっげぇ名器」
粘い音が、次第に大きくなる。羽鳥の身体を知り尽くした男は、寸分の狂いなくその弱点を穿っていた。意志とは裏腹に滾りをこぼす熱塊が壁と体に挟まれ、男の動きとともに揉みしだかれる。
「く…あ、ん……は、ぁっ……」
「やらしい声出しちゃって…」
腰をつかんでいた手のひらがつっ、と上下に滑り、寒気に似た感触がぞくりと広がった。
 ふと、意地悪い笑みを浮かべた唇がささやいた。
「あんたのこんなとこ、カイシャの人が見たらどう思うだろうな」

 あいつが。
 あいつが、俺の本当の姿を知ったら。
 男に貫かれ、乱れあえぐこのあさましい姿を。

「今、すげぇ締まった」
背に貼りついた男は一旦ゆするのを止めてニヤリと笑い、また再開した。
「……んっ…、ぅ……あ…ああ……」
「ほら……、呼んでくれよ、俺の名前……」
煽るように動きが速まった。肉を肉に打ちつける卑猥な音が、壁にぶつかっては消える。縛られ、押しつけられた不自由な体勢が呼吸を阻み、極みへと追い詰める。

 あいつが、
 あいつが、俺の……

「……マサ…シ………」


 やがて、頭の芯が真っ白になる時が来て、羽鳥は壁に沸騰した己の熱をぶちまけた。


−終−