Sweet Sweet Days


 うれしい楽しい金曜の夜。俺は、小さな箱を片手に家路を急いでいた。家路、と言っても自分の家ではなく、羽鳥さんちだけど。
 調査課に配属になって以来、フロアが違ってしまったので会社ではあまり顔を合わせる機会がなくなった。でも、週末はたいてい一緒に過ごしている。今では、異動してよかったと感じることもある。公私混同はいけないと思うし、羽鳥さんも絶対許さないだろうから、もし同じ課にいたら、俺はきっと、ものすごい苦労をしたはずだ。なんてったって「何でも顔に出る奴」だから。

 合鍵でドアを開ける。
「ただいま」
最初の頃は、ここで何て言っていいのか困ったりしていた。自分の家でもないのに「ただいま」は気がひける。かといって「こんばんは」なんてのも他人行儀だ。でも、
「おかえり」
羽鳥さんがこう言ってくれるから、「ただいま」でいいんだという結論に達した。
「飯は食ったんだろう?」
今日は外回りで遅くなるから、食べてくると連絡しておいたのだ。いつもなら一緒に食べに行ったり、早く帰った方が作ったりしている。
「うん。はい、おみやげ」
玄関までやってきた羽鳥さんに、持っていた箱を渡した。
「ケーキ?」
「いちごショートだよ」
 羽鳥さんは、別に甘党ってわけではないんだけど、いちごのショートケーキはなぜか好きなんだそうだ。でも、ケーキ屋で一つだけ買うのが気恥ずかしくて、滅多に食べることがなかったらしい。俺もあんまりケーキなんか買うことないけど、こないだその話を聞いてから、今度来る時は買ってこようと決めていた。
「紅茶がいいかな」
「うん」
羽鳥さんはちょっとはにかんだ顔をして、お茶の支度を始めた。こういう、ふだん会社では見せないような表情を見せてくれると、羽鳥さんも俺のこと好きでいてくれてるんだって感じて、うれしい。

 男二人がテーブルに向かい合ってケーキを食べる図というのは、端から見ると少々異様かもしれない。だけど俺は目尻が下がってしょうがない。だって羽鳥さん、いちごをよけて食べてるんだ。とっておいて最後に食べるつもりなんだろうと思ったらもう、可愛くて可愛くて。
 誕生日に食べたとか、クリスマスの時とか、ケーキにまつわる話題で楽しく話をしていて、ふと思い出した。
「高校の頃ね」
「うん」
「初めてつきあった子が、お菓子とか作るの好きでさ。作るたびにいろいろ食べさせられたんだ」
「……ふうん」
「けっこうね、上手だったんだよ」
そこから、イモヅル式に出てきた思い出話をしている途中。
「ご馳走様」
羽鳥さんが席を立った。
「? 羽鳥さん、まだ…」
「もういい」
羽鳥さんはケーキを残したまま、さっさと奥の部屋にひっこんで、テレビを見始めてしまった。
 さっきまで、うれしそうに食べてたのになあ?
釈然としないまま食べ終わり、皿を下げていて、遅ればせながら気がついた。
 ……俺、バカ。
 恋人の前で昔の彼女の話するなんて。

 初めて一緒に一晩過ごしたあの日から、戸惑いながらもつきあい始めて、いろいろな羽鳥さんを知って、どんどん好きになって。今では俺の方がすっかり惚れこんでるって感じなんだけど。
 男の人が恋人っていうのにはなかなか、慣れなくて。
 時々、失敗してしまう。

 皿を片手に、おそるおそる尋ねる。
「ほんとに、もういらない?」
返事なし。ああ、怒ってるよ。どうしよう……

 俺は考えた挙句、意を決して、ケーキの残った皿とフォークを持って羽鳥さんのそばに行った。だけど、こっちを向いてもくれない。めげそうになる心を奮い、いちごをフォークにさして、羽鳥さんの口元に差し出した。
「はい」
羽鳥さんはちょっとあきれた顔で、黙って見ていた。でも引っ込めずに待っていたら、しばらくして、ぱくりと食べてくれた。もぐもぐしているのを見つめていると、その口がだんだん苦笑の形に変わってきた。
「情けない顔するな」
 ……だって。
「怒らせちゃったから」
「怒ってない」
「だって、機嫌悪かったよ?」
「……」
羽鳥さんはあさっての方を向いて、ぽそりと言った。
「ちょっと、妬いただけだ」


 俺は、邪魔な皿をわきにどけて。
 甘酸っぱい味のするキスをした。


−終−