Reversi Blanc (4)


 戦場は、寝室へと移行した。
 鳴神の熱は引かず、じわじわとあの、初夜の全開モードに近づいていた。もはや耳まで赤くなり、瞳はとろけて、さあ食えと言わんばかりである。そんな媚態を見せられれば、由井の熱も速攻で回復しようというものだ。
 ああ、ショコラ・ブラン素晴らしい。頑固じじいが認めなくても、俺は断固支持する。
「ん……、あぁっ!」
 ホワイトチョコレートのように白く艶めく肌を舐めまわし、吸い、歯を立てて味わう。とがった乳首を唇で挟んで揉んだら、甘い悲鳴を上げて胸をのけぞらせた。
 情熱的な愛撫を受け続ける鳴神のものも当然、再び勢いよく勃ち上がり、解放の時を待っている。その裏側にそっと手を差し入れ、奥に指をあてる。
「あ、」
 ぴくりと反応する目は熱に浮かされ、これからの行為への期待すら感じさせた。
 バレンタインデーからこちら、夜は毎日のようにどちらかの部屋で過ごしていたので、それなりの接触はあった。しかしお互い忙しい身であるから、挿入までするのはその後初めてである。前回は事前の心構えなしに交わってしまい、結果鳴神の身体に負担を強いたが、その反省を踏まえ、由井はそれなりの準備をしていた。
 ベッドの下に置いておいたはずのそれを取ろうと、身を離した瞬間。ぐっと、腕を掴まれた。
「どこ、行く」
「え、あの、ローションとか取りに」
「いやだ」
 なんと。
 あの鳴神が。
 離れるなと言わんばかりに、ぎゅっとすがりついてきた。
「行かないで」

 ……「行かないで」って。
 しかも涙目とか。
 可愛い。可愛いが、ごめんちょっと俺の大事なところも一緒にぎゅってされてて暴発の危険が!

 それでも、持ち前の根性と忍耐力でどうにか駄々っ子と己の下半身をなだめすかした由井は、ベッドから降りずに体を伸ばし、下から件の品を探り出した。鳴神が即座にその胸に抱きつき、首元に顔をうずめる。大きすぎる甘えん坊に、由井の心に多少の困惑と、多大な愛おしさが湧く。
 鳴神を抱きかかえるようにして座りなおした由井は、愛撫を受け入れるべく開かれた両足の間に、粘液でたっぷりと濡らした手を差し入れ、その先へと指を進めた。
「ん、」
 すっかり熟れた身体と同じように、そこもすっかり熟し、やわらかくなっている。それでも狭いことには変わりなく、由井はその部分をゆっくりと念入りにかき回し、拡げていった。
「っ、」
 指がある箇所を刺激するたびに、全身がわななき、甘い息が漏れ、前から蜜がとろりとこぼれる。濡れた音が周囲を欲の色に染める。上がっていくばかりの体温。
「い、やだ……あらた」
 拒否の言葉に、ふと指が止まった。
「もう、いい。指は」
 手で、押しのけられ。

「……もっと、奥に」

 耳元にささやかれ、由井は、理性の弾ける音を聞いた。
「あっ」
 乱暴に裏返してマットレスに押しつけ、腰を高く上げさせる。抵抗しない恋人の積極的に開かれた足の付け根、その陰になった部分を両手でさらに押し広げ、赤く濡れてひくつく口に自身をあてがい、一気に刺し貫いた。
――――っ!」
 既にぐずぐずにとろけていたそこは、由井の高ぶりを難なく受け入れ、淫猥にうねった。
「う、っく、」
 あまりの気持ちよさにすぐに連れて行かれそうになるところを、奥歯を噛み締めて耐えた。抜けんばかりに引き出し、また根元まで一気に埋め込む。反射的に逃げそうになる腰をぎっちり掴んで押さえ、同じ動きを繰り返す。

 望みどおり。
 奥の、奥まで。

 激しく肉と肉のぶつかり合う音と、苦鳴にも似た喘ぎとが部屋に響く。美しい曲線を描いてしなる背中。
「……っ、ひ…っ……」
 しゃくりあげるような声がして、ふと由井は我に返り、動きを止めた。
「痛い?」
 涙に濡れた壮絶に色っぽい流し目で背後を振り返った鳴神は、息もたえだえな様子で首を振り。
「きもち、いい。――――もっと」
 一度は踏み留まった理性のロープは、繊維の最後の一本まで完全に切れた。



 ……うーわー、だるーい。
 ちょっと、我ながら、たがが外れましたよ。
「ぐうぅ」
 低いうなり声を上げながら身体を起こす。たいへん残念なことに、本日は出勤な由井である。
 隣には、離れがたい、愛しい恋人。少々やつれて見える寝顔も美しい。昨夜は彼にさんざん翻弄され、かつてないほど欲に溺れてしまった。しかも、煽られてつい調子に乗り、ひそかに夢みていた後ろからのスタイルでがっつんがっつん攻めた上、その後もあんなことやそんなことを……
「やべ」
 反芻すると、もう消えたかに見えた火がまたくすぶる。
 シャワーを浴びて目を覚まそう。欲求の大規模な解消により、疲労はともかく、気分は非常に爽快だ。
 眠る鳴神を起こさないよう、そっとベッドを出たつもりの由井であったが。
 ――え?
 突然、腕をつかまれた。
「……いやだ」
 小さな声に振り返ると、鳴神が、非常にデジャヴを感じさせる顔ですがっていた。
「行かないで」

 まだ酔ってる!?


 この日、由井はこの職業に就いて以来初めての遅刻をした。
 そして、翌日が仕事の日には鳴神にチョコレート、特にホワイトチョコレートは食べさせないと固く心に誓ったのだった。

 …………でも、ちょっとだけなら、いいかな。



 さて、3月14日。研美本社のあちらこちらで、菓子折りを広げた一角に女子社員が集まりはしゃぐという光景が繰り広げられていた。
「やだー、もう来ちゃったの!?」
「残念だったね」
「もう、信じらんない、この時間に打ち合わせとかありえない! ねえ、神様どうだった、美しかった?」
 ここで言う「神様」は、一部の社員が使う鳴神のあだ名である。彼の苗字と、時に神がかり的とまで評されるその容貌に由来する。
「なんだかますますお美しかったです」
「もおお、年に一度の楽しみなのに〜〜!!」
 憤慨する一人を皆がなだめ、菓子を一つ差し出す。不満の形相が、驚きに変わる。
「何これ、めちゃくちゃおいしい! どこの何!」
「ビジューだよね、向かいの通りの」
「うん、でも私けっこうビジュー行くけど、この両面が白いのって見たことないよ。ホワイトデーの限定品かなあ」
「あそこのさー店長さん? すっごい男前だよね」
「そうそう、イケメンだけどチャラい感じじゃなくて」
「何それ、見たい! このクッキーももっと食べたい!」
「じゃあ、昼休みにみんなで行かない?」


 鳴神のホームグラウンドである秘書室では、伊藤か佐藤あたりが行脚に出る前の彼に菓子折りを渡され、他の女子社員に配って歩くのが通例であった。普段から鳴神を見慣れている面々にとっては、他の部署ほど盛り上がるイベントではない。
 今年の分配作業を終えた佐藤が村田の前で、菓子の小袋を掲げながら「ガチでしたね」と微笑み、通り過ぎていった。
 それからしばらく業務に没頭していた村田だったが、デスクの上の時計を確認すると、おもむろに立ち上がり、
「僕、ちょっと席外すよー。何かあったら電話して」
 と、周囲に声をかけた。
「はーい、行ってらっしゃい」
 村田は基本、秘書室内にいるが、こうして時々、行き先を告げずに姿を消すことがある。さまざまな場所に顔を出し、情報収集活動を行っているという噂だ。
 時刻は、そろそろ午前10時。



「今日ね、店に研美の人がたくさん来たよ」
 由井の部屋を訪ね、菓子製作の礼を言った鳴神が聞いたのは、さほど意外ではない出来事の話だった。
「皆さん『あのクッキーないんですか』って。いちいち特注品だって言うのが大変だった」
「それは、すまなかったな」
「いや、俺が無理言って作ったんだし。それに、ついでにいろいろ買ってもらえたから、おかげさまで大変潤いました」
 笑う由井に、鳴神も表情をゆるめる。
 それから由井は、「そういえば」と切り出した。
「ルカさんの上司の、村田さんのことなんだけど」
「室長? 何か?」
「ん、聞いてない? ルカさんからうちの話を聞いたって、何日か前に店に来てさ。自分もホワイトデーに使いたいからって、リバーシを注文してくれたんだよね」
「は?」
 初耳である。
「ホワイトチョコレートが足りないからビターチョコの白黒のしかできないですって言ったけど、それでいいからって。今日朝一で取りに来て、にこにこしながら帰ってったよ。ルカさんから聞いてたような怖そうな人じゃなかったけど」
 だから怖いんじゃないか。
「何か、言ってたか?」
「うーん、別に、これといって。普通に世間話しただけだよ、バレンタインデーは忙しかったでしょとか」
 由井は気づかなかったようだが、村田は、二人の仲について何か感づいている気がする。自分も菓子を買いたいのなら、鳴神に一言ついでを頼めば済む。それだけのためにわざわざ自分から出向くような人ではない。村田がそうした理由、それはきっと、直接由井と話すためだ。
「村田さんの注文も、ルカさんほどじゃないけど、結構な数だったよ。普通のおじさんに見えたけど、あの人、実はすごくもてるの?」
「……帝王」
 さて、どこまで見通されたのか。
 裏の顔も持っているらしい食えない上司に、あらためて畏敬の念を覚える鳴神であった。


――― おまけ・後日談 ―――


 秘書室にて。
「そういえば遥さん、あなたからいただいたホワイトデーのお菓子なんだけど」
「何か問題でも?」
 個人で鳴神にバレンタインプレゼントを贈った人々のうち、彼が特に世話になっていると判断した数名(守口を含む)には、それぞれ個別にお返しが渡される。といっても他と同じ中身の小箱であるが。
「いいえ、残念だけど文句のつけようがないくらいおいしかったわ、ありがとう。問題というほどのことではないんだけど、あの中にね、ひとつだけアルファベットが『S』になってるクッキーがあったの。何か意味があるのかしら」
「S……? さあ、わからないが」
「守口さんがSってことじゃないの?」
「ちょっと、伊藤さん?」
 一応お約束としてツッコミはしたが、さほど気にしていない風の守口であった。自覚はあるらしい。
「秘書室の方のはどうだった?」
「うーん、佐藤さんが配ってくださったからわからないです。私の分はたしかBだったけど」
 まあ全員に確認してまわるほどのことでもなし、きっと、大量に注文したので「B」の型が足りなかったのだろうという説で落ち着いたのだが。

 帰宅後に問うと、由井は「あ、気づいたんだ。さすが」と言った。
「わざとだったのか?」
「うん、『姑』のS」

 その日、「思わず吹き出す鳴神」という珍しい現象が見られた。


−終−