入れ子の夢 (4)


 ……なぜ、このボトルが僕の手の中にあるんだろう?
 捨ててしまったはずなのに。
 たたずむ僕の周囲は、いつの間にか水色の光で満たされていた。
 どこからか、おだやかな波の音が聞こえてくる。まるで海に包まれているようだ。
 からまっていた感情がときほぐされる。痛みが、消えていく。
 ここは、ひどく安らかで、心地いい───


「あ」
 ……ヒロ?
「ごめん、起こした?」

 ───―――また、夢か。

 風呂上がり、ソファでうたた寝してしまったらしい。いつの間にか隣に座っていたヒロが、
「なんか、眉間にシワ寄せて寝てたから」
と、自分の胸にもたれさせた僕の頭を撫でてくれた。あたたかくて、大きな手。波の音と思ったのは、きっと鼓動で。
「侑…さん?」
思わず白いTシャツにしがみついた僕は、厚みのある胸にさらに顔を埋めた。
「どしたの。怖い夢みた?」
抱きかかえるように体勢を変えたヒロのぬくもりが、これは現実だと伝えてくる。

 あの後、ヒロは僕の元にやってきて。
 僕の罪を一足飛びに越えて、名前の通りのおおらかさで想いを受けとめてくれた。

「……夢みたいだ」
「ん?」
「罰が当たったりしないかな」
そう言った途端、頬を寄せていた胸が小刻みに震え出した。ヒロが、くつくつ笑っている。
「俺、そんないいもんじゃないよ」
僕にとっては信じられないような奇跡なんだけど。屈託のない恋愛しかしたことがないだろうヒロには、この気持ちは、わからないかもしれない。
「侑さん」
 なだめるように僕の髪をすいていた指が、耳を伝って、首筋に下りてきた。パジャマの襟首から、見え隠れしているほくろをつつく。
「あの晩と同じこと、もっかいやろ」
「えっ」
思わず顔を上げると、ヒロは、
「思い出してもつらくないように、上から塗りつぶせばいいよ」
と、笑った。僕の悪夢の中身に、ヒロは気づいてたんだ。
 ……でも。
「そんな、無理だよ」
自分が、みるみる真っ赤になっていくのがわかる。だってあの晩の僕は、あの、その、僕だけど僕じゃないっていうか……
「だいじょぶだいじょぶ。つか、やりたいの俺が」
ヒロは有無を言わさず、おたおたする僕の手を引いて立ち上がった。

 ベッドに腰掛けたヒロが、つっ立ったままの僕に向かって両手を広げる。
「はい、ウェルカム」
「…ほんとに?」
「往生際が悪い」
「わ」
引き寄せられて、あの晩と同じくヒロに覆い被さる格好になってしまった。そのまま、唇をふさがれる。
 ああ。
 そうだ、これだ。
 恋人への、優しく熱い口づけ。
 今のそれは間違いなく、僕に与えられている。差し入れられた舌を拒む必要もない。
 そう思ったら喜びがあふれてきて、ヒロの頭を両腕で抱きかかえ、自ら舌を絡めて応えた。
 何度も角度を変えて濃厚なキスを繰り返している間に、ヒロの手が僕のパジャマのボタンにかかり、次々と外していった。
「そんなこと、しなかったよ」
息の上がった僕の抗議を、
「だってこれじゃよく見えないし」
ヒロはにやにやとかわして、ボタンを全て外してしまった。そして僕をさらに抱き寄せ、あらわになった鎖骨の上の、ぽつりと黒い点にきつく吸いついた。
「あっ───!」
痛みと快感とがいっしょくたに背筋を駆け抜け、僕の中で何かが弾けた。
 熱に浮かされてしまった僕は、ヒロのTシャツをたくし上げてキスと頬ずりを繰り返し、あの時と同じように下腹部にかがみこんだ。取り出した欲望は、以前と違ってしっかりと兆しを見せている。それがとても嬉しくて、夢中になって口に入れたら、ヒロが「うわ」と変な声を上げた。
「なに?」
驚いて顔を離すと、
「や……実は、思い出してもまだ信じらんなかったんだけど」
上体を軽く起こしたヒロが、こちらを見ながら、
「侑さんほんとに俺のアレ咥えてるよ、って」
と言った。この言葉に、我に返った僕はひどく恥ずかしくなった。こんな風にむしゃぶりつくなんて、はしたない奴だと思われてしまっただろうか。
「ごめん、やめるね」
ばつの悪い気持ちでそう伝えたら、
「え、なんで!?」
慌てた様子で問われ、きょとんとしてしまった。
「嫌だったんじゃ、ないの?」
「んなわきゃないじゃないすか! 今のはすんませんその、こんなもん咥えてもらって申し訳ないっつーか嬉しすぎるっつーか咥えてる顔がエロくて最高っつーか」
 ……なんだかさらに恥ずかしいことを言われた気がするけど、喜んでくれているみたいなので、再開することにした。
「……ん…、ふ、」
舌で舐め、唇でしごき、指で撫で上げる。以前と違ってそれは、さほど時間もかからずに大きくなっていった。
「うはぁ…、めちゃくちゃ気持ちいい」
ヒロの直球な台詞は、口の中の熱い圧迫や頭をやさしく撫でる手の感触とあいまって僕を悦ばせ、僕はまだ着けていた下着をひどく濡らしてしまった。
 ヒロから離れた僕は、ローションを用意しにベッドヘッドの引出しまで移動した。そしてそのまま、そこで自分の準備しようとした。だけど、
「だめ。俺の前でやんなきゃ」
やっぱり、苦情が来た。
「う、だって」
「だーめ。俺これいちばん楽しみにしてたんだから」
ささやかな抵抗はけんもほろろに却下され、強引に引き寄せられて、ヒロの腰を膝立ちにまたがされてしまった。中心部にじっと注がれる視線を感じ、慌てて、前と同じように上体を伏せようとしたが。
「それもだめ」
と、押し返されてしまった。
「だって、こうしてたのに」
「見たい。見せて」
ヒロのわがままに、僕は泣く泣く従わされた。勃ち上がった分身を見せつけながら、ローションで濡らした右手を背後に回し、自身の奥へと持っていく。……恥ずかしくて死にそう。
「んっ…、」
中指をゆっくり、差し込む。中はもうすっかり熱く、やわらかくなっていて、そのまま人差し指も入ってしまった。抜き差しするたびに聞こえる濡れた音が僕の羞恥心をさらに煽る。そのうえヒロが、僕の腰を支えた手でお尻を広げるように揉むので、ますます音が激しくなってしまう。
「……おねがい、揉まないで」
たまらなくなって、嘆願した。
「そんなにされたら僕、入れられる前にいっちゃう」
半泣きでそう言うと、ヒロがまた「うぎゃ」と変な声を上げた。
「どうしたの?」
「や…、も、ちょっと油断してるとこれだから……」
「? ……あっ!」
既に指二本を咥えていた僕の中に、突然、太い指がもう一本ねじ込まれた。
「お返し」
「な、ん……ああん!」
加わった指は力強い動きで、僕の指と一緒に僕をかき回した。時折ひどく感じる位置を刺激され、身体に力が入らなくなる。膝立ちを保てなくなった僕は、とうとうヒロの肩口に顔をうずめて、喘ぎながら蹂躙に耐えた。
「は…あ、ヒロ……、もうっ」
息もたえだえの僕のつぶやきに、ヒロが、
「もう、いい?」
と返してきた。うなずくとヒロは、僕のほくろにキスしながら、
「っ!」
一気に指を引き抜いた。
 入口を切っ先にあてがい、腰を落とす。すっかりやわらかくなっている僕は、さしたる抵抗もなく、大きな剣を飲み込んでいく。
 思い出す。
 あの時の、充足感と───虚しさ。
 切ない気分になっていたら、いきなり、乳首をつんと弾かれた。
「やっ、」
「締まるよ」
ヒロはにやりと笑って、そのまま、指の腹で赤く熟れた先端を転がした。そこから広がる甘いしびれに、足の先まで震える。
「あっ……、はぁ」
もう、その手から逃げる必要はないんだ。与えられる快感を素直に感じればいいって、なんて幸せなことなんだろう。
「ヒロ…、うごく、ね」
 ヒロの全てを中に収めた僕は、自分から腰を振った。
 あの時と同じだ。でも、悲しくない。
 もう僕の一方通行じゃないから。
 ヒロを気持ちよくしてあげたい。そして、僕も気持ちよくなりたい。
「侑さん、待って」
切羽詰った声が聞こえた。
「ダメだ俺、すぐいきそう。良すぎる」
「いって」
僕は動きを止めなかった。
「いって、ヒロ。僕のなかに、いっぱい、ちょうだい」
目を見開いたヒロは、
「…………あー、もうっ!」
そう叫んで急に上体を起こすと、僕の身体を抱きしめて、めちゃくちゃに突き上げてきた。
「……は、だめ、あ、あ、あ……!」
 熱い楔を何度も打ちこまれ、激しく揺さぶられて、もう何も言葉にならなかった。
 嬉しくて。
 気持ちよくて。
 幸せで。
 古い記憶が新しい記憶に塗りつぶされていくのが、わかる。
 僕が、溶けていく。
 溶け出して、流れて、あふれて───



 ───―――夢、じゃない。
 昨晩の出来事だ。
 僕を包む広い海は、隣で安らかに寝息を立てている。
 僕に、腕枕をして。
 僕は幸せに微笑んで、もう一度目を閉じた。


−終−