甘い運命 (3)


「プロだったんだ……」
道理でうまかったはずだと柴山が納得していると、マダムが再び口を開いた。
「そうだサキちゃん、アーモンド味のシュー・ア・ラ・クレームなんて聞いたことある? この方がお探しのようなんだけど」
マダムの台詞にまた驚いた様子の彼に、
「あれ、うまかったからさ」
と告げると、
「マジで? うわ、すっげうれしい!」
こっちまで嬉しくなってしまうような素直な喜びが返ってきた。
「なんでーお前いいヤツじゃん、早く言えよ! ウドの大木なんつって悪かったよ」
 いやそれは言われてないけど。思ってたんだな。
頭の中でツッコミを入れていると、他の客が入ってきた。マダムが応対を始める。彼は柴山をカウンターの隅っこに手招いて、小声で言った。
「わりーけどあれ、売り物じゃないんだ。オレの試作品なんだよ」
「あ…そうなんだ。じゃ、そのうち商品化すんの?」
「いや、まだ全然決まってないけど。……食いたい?」
「食いたい」
即答した柴山に、彼はまた嬉しそうに笑って、
「じゃあさ、明日オレんち来いよ。明日オレ休みだから」
と、アパートの場所を教えてくれた。
「オレは崎谷亮介(さきや りょうすけ)。サキって呼んでくれ。お前は?」
「柴山拓人」
「『シバやん』と『拓人』、どっちがいい?」
「……拓人」
他の選択肢はないらしい。

 翌日、柴山はサキのアパートを訪れた。
「おう、よく来たな。上がれよ」
部屋の中はそう広くはなかったが、キッチンが異様に充実していた。少なくとも柴山は、オーブンがある独身男の部屋を見たのは初めてである。
 サキこと崎谷亮介は、私服高校生ではなく、れっきとした社会人だった。しかも歳は柴山と一つしか違わず、そのうえ早生まれなので同学年だ。
「その顔で24は詐欺だろお前」
「うるせー、オレに顔と身長の話はすんな」
一流のパティシエ(菓子職人)を目指し、中学卒業後にいきなり製菓学校へと進んだサキは、18歳の頃渡仏。いくつかの菓子店やホテルの製菓部門で四年ほど働き、一昨年帰国して、今はラ・フルールで修行中の身だという。
「フランス行った最初の頃、もうすっげーガキ扱いされてさ、でも言葉わっかんねーから文句も言えなくて。よく取っ組み合いのケンカしてた」
確かに、店で見た時のあの姿はまるきり「かわいいコックさん」という風情だった。しかしそんなことを言ったら確実にぶん殴られそうなので、黙っておくことにする。
「シュークリームっていちばんの売れ筋なんだよ。万人向けだし、とっつきやすいし。で、オレとしてはそこをとっかかりに、新しいものを開拓したいわけ」
サキは話をしながら、手際よくシュー皮に切り目を入れ、数種類のクリームを次々に絞り込んでった。初めて見るプロの職人の技に、柴山はすっかり感嘆した。
「できたぞ」
皿に並んだとりどりのシュークリームを前に、柴山の目が輝いた。何しろ、今日はこのために朝から何も食べていないのだ。
「いっただっきまーす…あれ?」
手を出しかけた柴山は、見覚えのない種類のシューがあることに気がついた。
「こないだなかったよな、これ」
そう言って手に取った物には、黒くてつやのあるクリームが詰まっている。
「ああ、それ黒ゴマ」
「ゴマあ?」
「最近売ってんじゃん、ゴマプリンとか。食ってみろよ、うまいぞ」
口に含むと、ねっとりしたゴマの風味が広がった。香りや味に強烈なインパクトがあって、他とは一味違った雰囲気だ。
「あーこれ、クセになるかも」
「だろ?」
サキは我が意を得たりという顔でうなずいた。

「食った食ったー、ごちそーさん」
すっかり皿を空っぽにした柴山は、大満足のため息をついた。
「なんかさ、すげー種類あるけど。これ全部商品化するのか?」
「んー、オレ的にはそうしたいとこだけど、他の商品とのバランスとか考えると一種類か、せいぜい二種類ってとこかなあ」
「そうか。もったいないな、うまいのに」
サキはちょっと笑って、身を乗り出した。
「で、どれがよかった?」
「んー、やっぱ前食った時うまいって言ったやつがいちばん好きだな」
「プラリネか?」
「ああそれ。そう、聞こうと思ってたんだけど、プラリネって何」
説明によると、プラリネとはアマンドキャラメリゼ(砂糖を煮詰めたキャラメルをコーティングしたアーモンド)をすりつぶしてペースト状にした製菓材料なのだそうだ。
「あ、なるほど。そんな味だな」
「パリ・ブレストって菓子知ってるか?」
「いいや?」
サキは両手の平で大きめの輪っかを形作った。
「こういう、でっかいドーナツ型に焼いたシューを横半分に切って、プラリネクリームをはさんだ菓子。それから思いついたんだ。ただ…」
思案の面持ちで続ける。
「プラリネ混ぜるとどうしても味が濃くなるんだよな。アマンドキャラメリゼの砕いたのとか、シャンティ(生クリーム)心もち多めに入れて、バランス取ってるつもりなんだけど」
「そうだな、俺はこの濃いぃのが好きなんだけど。じゃ、もっと小さかったらサクッと食えんじゃねー?」
何気ない台詞だったのだが、サキはぽかんと柴山を見つめた。
「え、なに俺、なんか変なこと言った?」
「拓人サイコー!」
柴山はいきなり、目をキラキラさせたサキに肩をガシッと掴まれた。
「そうだよ、小さくすりゃいいんじゃん!」

 それから二週間後、ラ・フルールの新商品としてハーフサイズのシュークリームがお目見えした。「カトゥル・アルモニ(四つのハーモニー)」と名づけられたシュークリームのフレーバーは試行錯誤の末に選ばれたアマンド(アーモンド)、ピスターシュ(ピスタチオ)、セザム(ゴマ)、フリュイ(フルーツ)の4種類。ひとつひとつの味の良さと手頃なサイズ、そして4種そろった時の色合いや風味の絶妙なバランスが評判となり、その後、店の看板商品となったのだった。