甘い運命 (5)


 サキの誕生日当日はえらく冷え込んだ。セーターにジャケット、マフラーという重装備で、言われた時間に店を訪ねると、
「あら拓くん、いらっしゃい」
黒服のマダム・房子さんがにこやかに出迎えてくれた。房子さんはラ・フルールのオーナーパティシエ、花田さんの奥さんで、名実ともにこの店のマダムである。彼女にしてみると、いくら25にもなっていようと「サキちゃん」の友人である柴山は「拓くん」なのだった。ちなみに発音は「たっくん」である。
「こんばんは」
「今日は冷えるわねえ」
カウンターの後ろはガラス張りで厨房が覗けるようになっている。見ると、サキを含めて五人ほどが何やら議論の真っ最中だった。
「サキまだやってるんですか?」
「ええ、作る方はもう終わってるんだけど、もうすぐバレンタインでしょ。皆で新作会議をやってるのよ」
「じゃ、待たせてもらっていいですか?」
「いいけど…あら、じゃあサキちゃんが約束してるのって、ひょっとして拓くん?」
「そうですよ」
答えると房子さんは「あらまあ、そうなの」と、可笑しそうに笑った。柴山が怪訝な顔をすると、
「いえね、今日サキちゃんお誕生日でしょう。だから、家に食事に来ないかって誘ったんだけれど、先約があるって断られたの。それで私、てっきり女の子だと思って。お菓子一筋のサキちゃんにもついに彼女ができたかってオーナーと話してたのに、あらあら」
これには柴山も苦笑するしかなかった。
「いつもサキにはいろいろ食わせてもらってますんで、たまには」
「何処に行くかは決まってるの? 何だったら、二人でうちに来ても良いのよ」
「いや、なんかあいつ行きたい店があるらしくて。また今度ぜひ呼んでください」
「そうなの、じゃ、また今度ね」
 そうしてしばらく待っていたが、閉店時間になっても会議が終わる気配はない。
「今日はいつにもまして熱が入ってるみたいねえ」
房子さんを手伝って看板をしまったりしていたが、それも済んでしまい、すっかり手持ち無沙汰になってしまった。
「ごめんなさいね待たせちゃって。お茶でもいれてあげるわ」
そう言って、房子さんが厨房に続く扉を開けた途端、
「だから、それじゃダメだつってんだろ!」
サキの威勢のいい怒鳴り声が飛び込んできた。
「こんなたくさんビターチョコ入れんのは日本人向けじゃねーんだよ!」
「だからってミルクチョコなんて使えないよ!」
「使ったこともねーくせに何言ってやがる!」
見ると、サキともう一人のパティシエがほとんど喧嘩のような勢いで議論を戦わせていた。柴山はハラハラしたが、房子さんは気にする風もなく中に入り、扉を閉じた。
 しばらくして扉が開くとまた怒声が聞こえてきた。今度は専門用語ばかりでわけがわからなかったが、先ほどのテンションがまだ続いているようだ。
「はい、お茶どうぞ」
「あの、奥、大丈夫なんですか?」
ティーカップを差し出してくれた房子さんに思わず尋ねると、
「ええ、あれであの二人、普段は仲良しなのよ。二人とも元気な子だから意見が対立するとにぎやかになるけど」
房子さんは穏やかな目をしてそう言うと、にっこり笑った。
「でもそれはとっても良いことだと思うわ。自分の意見を持っていないパティシエには良いお菓子は作れませんからね」
柴山はガラス越しの戦闘を眺めながら、やたらにうまい紅茶をすすった。