甘い運命 (8)


 それぞれの皿をぺろりと平らげた二人は、デザートのクレープを頼むことにした。柴山のはサキおすすめの「バターキャラメル」である。なんでも、クレープ発祥の地であるブルターニュ地方特産の有塩バターを使っているのだそうだ。
 運ばれてきたクレープにはキャラメルをそのまま溶かしたようなソースがかかっていた。生地は先ほどのものより薄くしなやかで、最初に想像していたクレープに近い。
「さっきのより柔らかいんだな」
「ああ、甘いクレープは小麦粉で作ってるから」
口に入れると、バターの入ったキャラメルソースのまろやかな甘さがしみた。味は濃い目だが、バターの塩気がアクセントになってそれほどしつこく感じない。
「どーよ?」
「んー、なんか、懐かしい味がする。なんだ…?」
柴山は記憶をひっくり返して、一つの商品名にたどり着いた。
「チェルシーだ」
とたん、サキがふき出した。
「やっぱそう思うか?」
そう、それはバタースコッチキャンディの味によく似ていたのだ。そんな風に言うからには、サキも最初そう思ったのだろう。
「しょーがねーよな、材料同じなんだもん。でも邦さんに言うと嘆くから言うなよ」
本場フランスで修行を積んだクレープ職人が顔をしかめる姿を想像して、柴山も笑った。
「懐かしいつったら、オレはこっちのが懐かしいな」
そう言ってサキは自分の皿をつついてみせた。「ダブルハニー」というそのクレープには蜂蜜と、これもブルターニュ名物という蜂蜜酒が生地が溺れるほどかかっている。
「子供の頃、日曜の朝はホットケーキって決まってて、それに蜂蜜山ほどかけて食ってたんだ。オヤジもオフクロも甘党だったから」
「ふうん。パティシエ・サキの原点ってヤツか」
「原点って、そんな大げさなもんじゃねーけど」
サキはちょっと照れたような表情で、蜂蜜たっぷりのクレープを口に運んだ。その頃のサキも、今とあまり変わらない顔だったんじゃないかなとなんとなく思った。童顔だし。
「やっぱあれか、修行終わったら実家継ぐのか?」
「はあ?」
何気なく言った台詞だったが、サキは目を丸くした。
「なんでオレが大工になんだよ、今さら」
「はあぁ?」
今度は柴山が驚いた。
「大工?」
「大工だよ、うちのオヤジ」
「ケーキ屋じゃないのか?」
「いつそんなこと言った?」
「いや、中学卒業していきなり専門学校行くんだから、てっきり実家がケーキ屋なんだって……」
「ちっげーよ、なに一人で勘違いしてんだよ」
そういえば、サキの口からそうだと聞いたことはなかった。意外な現実に驚きのため息をつきながらも柴山は、サキの威勢のいい性格や口調の理由がよーくわかった気がした。
「じゃあ、なんでパティシエになろうと思ったんだ?」
大工の息子が菓子職人になるというのは、かなり意外な選択ではないだろうか。そう思って尋ねると、
「じいちゃんがケーキ屋だったんだ」
ちょっとコケた。
「オフクロの方のじいちゃんで、オレが中学に入る前に死んじゃったんだけど」
サキは少し寂しそうな顔をして、続けた。
「幼稚園くらいの時かな。田舎に帰ったとき、初めて厨房に入れてもらったんだ。オーブンとか製菓道具とか見て、なんかすげーわくわくしてさ。見よう見まねでクリーム泡立てたりして、今思えばめちゃくちゃかき混ぜてただけなんだけど、それがもーすっげー楽しくて楽しくて。その時オレはもう絶対ケーキ屋になるって決めた」
「え。ひょっとしてそっから意志、貫徹?」
「おうよ」
それはそれですごい。が、同時にとてもサキらしいと思った。
「拓人は、何になろうと思ってた?」
「んー……ずっと小さい頃はまあパイロットとかそんなんで、中学入ってバスケ始めてからは、バスケ選手」
「バスケやってたのか」
「言ったことなかったか?」
「初めて聞いた。全然意外じゃねーけど」
サキは柴山の頭を見ながら言った。
「初めて見た時ぬりかべかと思ったもんな」
「妖怪か俺は」
まあでも、初対面でサキをはじき飛ばしたのは確かだ。
「だから寝る前に腹筋とかやってんだ」
「あーあれ、もう癖になってんだよ。でもバスケ自体は高校卒業してからほとんどやってない」
 スポーツ推薦でバスケの強豪といわれる高校に入った柴山は、そこのバスケ部で結構な成績を修めた。大学からの引き合いもいくつか来たほどだ。しかし、プロリーグのない日本注)でバスケで生計を立てるには、企業の運動部に入るしかなく、この不況下、それらの規模はどんどん縮小されてきているのが実情だった。また、長いことやっていると、自分の実力もおのずと見えてくる。バスケで食っていくのは難しいと判断した柴山は結局、普通に受験して大学に入り、先輩が勤めるスポーツ用品のメーカーに就職したのだった。
「今はフツーのサラリーマンだよ」
「ふうん」
柴山はサキを眺めた。外見や性格は子供っぽいところが多々あるけれども、幼い頃から自分の意志を持って、それを貫いてきた人間なんだと思うと、なんだか自分が情けないような、ちょっと切ない気持ちになった。
「まあオレ的には、拓人がフツーのサラリーマンでよかったよ」
サキはクレープの最後の一切れを口に放り込んで、言った。
「そうじゃなきゃオレ拓人とダチになってねーじゃん?」
「えっ?」
「そうなると遅くなっても自分ちまで帰んなきゃなんねーし試作品余るし今日もおごってもらえねーし」
「……お前、今ちょっと感動した俺の純情を返せ」
サキの爆笑が店の一角で気持ちよく響いた。


注)この話を書いていた頃にはまだありませんでした(2005年に設立)