甘い運命 (10)


 しばらく、ボールと戯れていた。
 いろいろなことを思い出しながら。
 初めて試合に出た日。
 時に真面目に時に不真面目にこなした練習。
 倒れる寸前までしごかれた合宿。
 レギュラーになれた時の喜び。
 シュートが決まった瞬間の高揚。
 嬉し涙。
 悔し涙。

 こんな風に放課後、一人で練習していた時期もあった。
 あんなに夢中で打ちこんでいたはずなのに、ずいぶん長いこと忘れていたものだ。
 どうしてだろう?
 どうして───


 どれくらいそうしていたか。すっかり息の上がった柴山は、ボールを脇に転がすと、ごろんと横になった。見上げる夜空には厚い雲が垂れこめている。
 夜半には雪になるかもしれない。そんなことをぼんやり考えていたら、不意に、閃くものがあった。


 ──────ああ、そうか。



 ふと、名前を呼ばれたような気がした。空耳かと思って気にせずにいたら、突然視界に逆さまの顔が飛び込んできた。
「やっぱ拓人じゃん」
「サキ?」
その顔はほかならぬサキだった。寝転がった柴山の頭のすぐ後ろに立ち、ポケットに手をつっこんだまま、顔を覗きこんでいる。
「なんでお前こんなとこにいるんだ?」
「だってオレんちこの先じゃん」
言われてみれば、ここはサキのアパートの近くだ。あまり通らない道なので気がつかなかった。
「つか、そりゃオレの台詞だろ、お前んち全然逆方向じゃねーかよ。このクソ寒いのにこんなとこで何やってんだ?」
「……バスケ」
視線を空に戻した柴山は、そのまま口をつぐんだ。
 しばらく、無言の時が流れた。いつもと違う様子にサキが戸惑っていると、柴山がぽつんと口を開いた。
「……俺さ」
一呼吸置いて、言った。
「俺、バスケ好きだったんだ」
「? ああ」
「さっき思い出した」
「…忘れてたのか?」
柴山は、星の見えない夜空を眺めながら続けた。
「俺、バスケの選手になりたかったんだ。でも、あきらめた。いろいろ足りなくて」

 足りなかった。
 実力も、環境も、それを補う情熱も。

「そのこと、後悔したくなかった」
目をつぶった。
「だから、忘れてた」



「………よくわかんねーけど」
すこし首を傾げたサキが、言った。
「好きだったことまで忘れなくてもいいんじゃねーか?」
「うん」
柴山は目をつぶったまま、口元にかすかに笑みを浮かべた。
「俺もそう思った」



「サキ」
「ん?」
「寒い……」
失笑。
「ったりめーだバカ、いつまでそんなとこで寝てんだよ」
サキは柴山の上着とコートを拾い上げ、放った。
「オレんち来るか? ワインあるぞ」
「え、なんで?」
サキは家で酒を飲むタイプではない。製菓に使う酒はいろいろと持っているが、飲むために買うことはほとんどなかったはずだ。
「フェアやった時って目標売上達成したらオーナーがご褒美くれんだけど、今回ワインだったんだ。なんか上等そうなヤツだぜ、シャトーなんとかのかんとかっていう」
「お前ほんとにフランス住んでた?」
「いらねーらしいな」
「心の友よ」
半身を起こして差し出した手をサキが握り、えいっとばかりに引き起こした。たちまち視線の位置が逆転する。
「フェアってあれか、バレンタイ……ん?」
ふと柴山は、自分をじーっと見上げる目に気づいた。
「何だよ」
「オレに起こしてもらったくせにオレよりデカいなんて生意気だ」
口を尖らせるサキの無茶苦茶な言いがかりに柴山は余裕で答えた。
「しょーがねーな、何しろ俺様はスリーポイントゲッターだったからな。恐怖の3点男と呼ばれたものよ」
「だっせーよそれ」
「やかましい」
笑いながらボールを拾い上げ、最初と同じ位置に立つ。
「見てろ」


 その手から放たれたボールは放物線を描き、当たり前のようにネットへと吸い込まれた。