甘い運命 (11)


 二人はその足でスーパーに行き、ワインに合いそうな食べ物などを適当に買いこんで、アパートに向かった。
 ワインは赤と白の二本セットで、赤は室温、白はきちんと冷やしてあった。なんとかのかんとかでも扱いぐらいは一応押さえているらしい。
「そうだ、これも食うか?」
そう言ってサキが出してきたのは、バレンタインフェアの余りだというボンボン・オ・ショコラ(一口チョコレート)だった。ココアや粉糖をまぶされた物、艶のあるコーティングを施された物、ナッツやドライフルーツの載った物などが雑然と箱におさまっている。よく見ると大きさがまちまちで、多少形が崩れた物もあった。
「半端も混じってるけど、味は変わんねーから。モテモテ拓人さんは食い飽きてるかもしんねーけどな」
「るせーよ」
柴山は結局、今年のバレンタインを独りで過ごしたのである。それを知っていてからかうサキの台詞に憮然とした顔が、一粒口に放り込んだ途端ゆるんだ。
「うま〜い」
「だろ?」
大量生産のメーカー物とは一味もニ味も違うチョコレートで幕を開けた飲み会は、何やらふっ切れた柴山の勢いにサキがつられる形でハイペースに進み、ワインの美味さも手伝って、一時間も経つ頃には二人ともすっかり出来上がっていた。

「よし、お前の店の名前は『ナントカカントカ』で決まりだ!」
「ぶわははははは、ざっけんなコラ」
「いやでもカタカナにしたらけっこイケてんぞ、イタリア語みたいで」
「お前それでオレに電話に出ろっつーのか? 『はい、パティスリー・ナントカカントカでーす』」
「『はい?』」
「『ナントカカントカでーす』」
「『なんだって?』」
「『ナントカカ……』って噛んだじゃねーかてめー!」

二人はくだらない話で大いに盛り上がり、しまいには製菓用に買ったブランデーにまで手をつけ、時間を忘れて杯を重ねた。



 夜中に目を覚ました柴山は、一瞬ぎょっとした。目の前に人の寝顔があったからだ。
 ……やばい。
 やっちまったか?
酒の残る頭の焦点を必死に合わせる。
 えーと、俺誰と飲んでた? 誰だっけこれ、えーとえーと……
 あ、なんだ。サキだ。
眠ってしまったサキに毛布をかけて、隣に腰を下ろしたところまでは思い出した。どうやらそのまま自分も眠ってしまったらしい。そしてたぶん、寒くなったのでその毛布にもぐりこんだのだ。
 酔った勢いで見知らぬ女の家になだれ込んだのではないことがわかって安堵の息をつくと、
「ん…」
サキが身じろぎをした。そこで柴山は、自分がサキに抱きつかれていることに気づき、別の意味でぎょっとした。
 おいおい……
そういえばサキには、枕やらクッションやらを抱きしめて寝る癖があった。ひそかに「コアラ寝」と呼んでいたものだが、まさか自分がユーカリの木になる日が来ようとは。
 サキは柴山の背中に腕を回し、すやすやと寝息をたてていた。さらさらの前髪が伏せたまつげにかかり、酔いで赤くなったふっくらした頬がなんだかあどけない。
 柴山は思わず、そのほっぺたをつついてしまった。するとサキは、くすぐったそうに首をすくめた。
 ……かわいい。
 って俺、何考えてるよ。
混乱している柴山に追い討ちをかけるように、サキがさらに身を寄せてきた。
 …う。
 あの、そこはちょっとまずいんですけど。
 そんなところに足が当たってしまうとやばいっしょソレはちょっとかなりものすごく。
あらぬところに血が集まりそうになった柴山は、それでもよく眠っているサキを起こさないよう、必死の思いで静かなる脱出を試みた。
 やたらに時間をかけ、なんとか脱出に成功した柴山の頭はすっかり覚醒していた。寒いはずなのに汗をかいており、鼓動がやけに大きい。
 立ち上がって、窓のそばに行く。カーテンを少し開けてみると、案の上雪が降っていた。明日の朝はおそらく銀世界だ。
 今日はもう帰ろう、そう思ったのだが、床に転がっているサキが妙に気になる。
 このままだと風邪ひくかなこいつ…って、女子供じゃあるまいしなんで野郎なんかの心配してるんだ俺、いや別に友達の心配したって変じゃないだろっつーか意識しすぎだっての俺、あああもう!
 さんざん悩んだ挙句、半ばヤケになった柴山はサキを毛布ごと両手で抱え上げた。俗に言う「お姫さまだっこ」である。小柄とはいえけっこうな重さがあり、うっかりかわいいなんて思っちまったけどやっぱ男だしな、などと少し冷静になってきたところ、サキがうっすらと目を開けた。
「たくと……?」
ゆるゆると柴山を見上げた唇が、そう呼んだ。舌ったらずな眠い声は、まるで甘えているようにも聞こえて。
「あ、ああ」
動揺しながらもなんとか返事を絞りだした、その直後。
「……ふふっ」
サキは半分とろけた顔にいつもの満面の笑みを浮かべ、再び、こくりと眠ってしまった。
 ───なんでそんな顔すんだよ〜!!
柴山はその場にへたりこみそうになるのを必死になって堪えた。
 腰砕けになりながらもなんとかベッドに到着した柴山は、毛布にくるまれた塊をそっと横たえた。するとサキはもそもそと枕を探しあて、抱きしめて、熟睡モードに入ってしまった。安らかなその寝顔に、なぜかとげとげしい思いが胸をつく。
 お前、女だったらそんなグースカ寝てる場合じゃねーぞ。
 俺だってそんな聖人君子じゃねーんだから。
 って、何わけのわかんねーこと言ってやがる俺。
 ……
 ……
 …………。


ため息がひそやかに流れた。


 柴山拓人25歳。2月某日雪降る深夜、枕に嫉妬してしまった己に気づく。