甘い運命 (12)


 朝、自宅にて目覚めた柴山が、鈍い頭痛が二日酔いではなく風邪のせいであると気づくのにそう時間はかからなかった。寒気と咳とのどの痛みも併発していたからである。昨晩、雪の中を傘もささずに帰ってきたのが効いたのか。それとも、アレがよほどショックだったのか。
 ………………。
思い出した途端、頭痛が倍増したような気がした。
 ……俺もヤキが回ったよな。
 いくら寝顔が可愛かったからって、男に、しかもサキにときめくなんて寒すぎる。
 相手は口が悪くてケンカっぱやい、業務用小麦粉25kgを「あらよっ」とかなんとか言って肩に担ぎ上げるような立派な野郎だぞ。ちょっとちっちゃくて料理うまくて目大きくて可愛いけど。
 …………おい。
 ま、まあでも酔っ払ってたし。
 変なとこ刺激されたせいで何かどっか勘違いしたんだな、きっと。
 気の迷い気の迷い。
 友達があんな風に安心しきった笑顔を見せてくれたら、誰だって嬉しくなるに決まってる。
 ……でも普通そこでドキドキはしないよな。
 枕に嫉妬もしないよな。
 だからってお前、男に……

 ピンポーン。
迷走する思考を断ち切るかのように玄関のチャイムが鳴った。しかし起き上がる気力がない。
 誰だよこんな朝っぱらから人んちに来るバカは……
「拓人、いねーのか?」
反射的に飛び起きてしまった柴山は次の瞬間、激しく咳込む羽目になった。
「おーい」
肩で息をしながら立ち上がり、なんとかたどり着いたドアを開けると、そこには果たしてサキがいた。
「まだ寝てたのかー? 遅刻すんぞ」
と言いながら遠慮なく中に入ってきたサキは両手の荷物をどさどさ床に降ろし、
「お前さーなんかいろいろ忘れて帰りやがって、まだボケるにゃ早すぎんだろってお前、すっげ顔色わりーぞ」
気づいたようだ。
「風邪ひい…」
語尾が咳で消える。しゃべって初めて気づいたが、声がずいぶんとかすれていた。
「おいおい、すげーな。薬飲んだか?」
「まだ…」
しつこい咳をなだめながら首を振る。
「熱は?」
「…?」
熱と言われても、柴山の家には体温計などという上等なものはなかった。どうなんだろうと考えたその時、ひやりとした手が額に貼りついた。
「んー」
至近距離に近づいたサキの顔に、頭の中がホワイトアウトする。
「ちょっとあるかな……物食えそうか?」


「おーい」
頬をぺちぺち叩かれ、はっと我に返った。
「無理か」
あせってうなずく。たしかに、食欲は皆無だった。
「ボケちまってんなあ。いいや、とりあえず寝てろよ」
促されてベッドにもぐりこんだ柴山は、サキが持ってきた荷物を適当に片付けるのを時おり咳込みながら眺めていた。上着にネクタイにマフラーにカバン。どうやら自分はワイシャツの上に直接コートを羽織り、ボールだけ持って帰ってきたらしい。かなり煮えていたようだ。
 片付け終わるとサキはキッチンの方に移動した。サキが視界から消えたことに、安堵と失望を同時に覚えるという複雑な心境に陥った柴山はしかし、その理由について考察することができなかった。止まらない咳のせいで思考が分断されてしまい、全然まとまらないのである。
 しばらくそうして苦しんでいたところ、
「大丈夫か?」
サキが湯気の立つマグカップを持ってきた。
「ホットミルクだけど。これぐらいなら飲めんだろ」
「さんきゅ…」
ゲホゲホしながら起き上がり、口をつけた。熱すぎない温度に温められたミルクには少し砂糖が入っているらしく、ほのかに甘い、やさしい味だった。
「それ飲み終わったら、薬と水、ここ置いとくからな。今日は仕事休めるのか?」
「…大丈夫……と、思う」
「そか。じゃあ、時間空いたらまた来るから。おとなしく寝てろよ」

 サキが出ていった後、柴山は甘いホットミルクをゆっくりと飲み干し、薬を飲んで、横になった。腹のあたりがぽかぽかしている。あたたまったおかげで、咳もひとまずおさまったようだ。だが、多少まともな思考ができるようになると、今度は頭を抱えたくなった。
 まずい。非常にまずい。
 このままでは本格的に惚れてしまうじゃないか。