甘い運命 (13)


 とても眠れそうにないと思っていたが、薬が効いたのか、いつのまにか眠っていたらしい。
 ひどく喉が乾いて目が覚めた。枕元の時計は2時を指している。身体を起こすと、やたら汗をかいていて、頭が腫れたように重かった。本格的に熱が出たようだ。
 ふと、ベッドの脇にスポーツドリンクが置いてあることに気づいた。その隣には体温計と着替えとタオル。着替えの上にメモが添えてある。

 寝てるから起こさないでいくぞ。
 冷凍庫にアイスノン入れといたから熱かったら使え。
 あと冷蔵庫にいいもんあるから食っとけ。
                       サキ

知らぬ間にサキが来てくれていたのだ。朝、スペアキーを持って行っていたのだろう。起こしてくれればよかったのに、と妙に恨みがましく思ってしまった自分に気づいた柴山は自身の健康状態を忘れてぶんぶん首を振り、ひどい目眩を起こして壁に頭をぶつけた。
 一人で何やってんだ俺……
とりあえず喉を潤し、汗ばんだパジャマを着替えて、「いいもん」があるという冷蔵庫を覗いてみた。すると、棚のど真ん中になんとラ・フルールのテイクアウトボックスが鎮座ましましていた。
 ……まさかあいつ、今の俺にケーキなんか食わせる気か?
考えただけで胸やけがしたが、一応箱を開けてみると、
「あ」
入っていたのは「プリン」だった。透明なプラスチックの容器に詰まった、たまご色のカスタードプリン。これなら病人でも食べられる、とはいうものの、なんだか子供みたいで苦笑いがもれた。
 ベッドに戻り、ふたを開けた。バニラの香りがふわりと漂う。
 スプーンですくった、冷たく甘くやわらかな欠片。やさしく喉をすべり、熱を帯びた身体にとろけるように染みこんでいく。
「……うまい」
『だろ?』
ちょっと自慢気で、とてもうれしそうなあの顔が浮かんだ瞬間、胸がぎゅっと締めつけられた。
 神様。
 俺、どこで何を間違えたんでしょうか。


 夜、仕事を終えたサキが何も知らずにやって来た。
「どうだ? 調子」
「だいぶ、落ち着いた」
「お、咳おさまったじゃん。熱、計ってみたか?」
「夕方、8度5分だった」
「けっこ出てんな。粥作ろうと思ってんだけど、食えそうか?」
「…うん」

「だいたいお前、いつ風邪なんか拾ったんだよ。昨日はピンピンしてたっつーのに」
「やっぱあれだ、クソ寒い中あんな遅くまでバスケなんかやってたのがまずかったんじゃねーのか?」
「無理して帰んなくても、泊まってきゃよかったのに」
時折話しかけてくるサキに生返事を返しながら、粥を食べ終わった柴山は、食器をキッチンまで持っていった。サキは腕まくりにエプロン姿で、手際よく洗い物をしている。見ると、ここ数日ためていた皿などがすっかり片付いていた。
「ごっそさん」
「なんだ、寝てりゃいいのに」
そう言って振り向いたサキは、空っぽになった茶碗を受け取り
「全部食ってんじゃん、上等」
と、満足気に洗い桶へ突っ込んだ。次に箸を受け取ろうとしたが、
「あっ」
濡れていた手が滑り、床に落としてしまった。サキが床にかがみこむ。その時、柴山の鼻を、甘い匂いがくすぐった。

 …………あ。

 起き上がったサキは、傍らの病人が何やら自分をじっと見つめていることに気づいた。
「? 拓……っ!?」

 次の瞬間。サキは大きな長い腕に思いきり抱きしめられていた。

「お、おい、拓人?」
驚いたサキが身をよじったが、びくともしない。
「コラ、濡れんだろ、離せよ!」
「いやだ」
「いやだってお前…」

 甘くやさしい匂い。
 それは、サキの作る菓子の匂いだった。
 サキの匂いだ。
 離したくない。
 このまま、ずっとこの匂いに包まれていたい。

「サキ……」


 好きだ。


 しかし、最後の言葉はどうしても口に出せなかった。柴山はそれを飲みこんだまま、サキの肩に顔を埋めた。
 サキは抵抗を止めた。