甘い運命 (18)


 翌日。春何番目かの強風が吹き荒れ、窓ばかりか建物までが鳴る騒がしい夜。風にもみくちゃにされながらアパートに帰りついた柴山は、コートと上着を放り出し、機械的な動作でテレビをつけた。画面には人気お笑いタレントのバラエティ番組が映し出され、視聴者に笑いを提供すべく趣向を凝らした企画と演出を展開している。しかし彼らの努力は、昨日より続く物思いに心を奪われているこの部屋の主にはちっとも届いていなかった。
 柴山の物思いはまず、サキに対する恋心を認めざるを得ないというところから始まった。衝撃の一夜からほぼ一ヶ月。実は心のどこかでまだ、これは一時の気の迷いではないかという考えを捨てきれずにいた。ゆえに次の行動をとりあぐね、迷走する羽目に陥っていたのだ。
 しかし、サキと親しい女性が現れ、とくに非があるわけでもない彼女に対して負の感情───嫉妬を覚えるとなれば、もう否定する余地がない。自分は、本当にサキに惚れてしまっている。
 自分はサキに恋している。しかしサキはそうではない。サキにとって自分は、恋愛対象のカテゴリーにすら入っていない。サキの恋愛話を聞いたことはないけれども、だからといって同性愛者かもしれないなどという都合のいい希望は持てなかった。彼は隠し事のできる性格ではない。たぶん、恋愛事とは縁の薄いタイプなだけだ。そしてそれだけに、柴山がこのような想いを抱いているなどとは夢にも思っていないはずだ。
 では、この想いを告白した場合、二人の関係が進展する可能性はあるのだろうか?
 この質問の解答は、限りなくNOに近いと思われた。サキの性格を考えれば、おそらくきっぱりと拒絶される。下手をすると口もきいてくれなくなるかもしれない。それに耐え、受け入れてくれるように働きかける根性が自分にあるのか。何よりもまず自分自身が、同性ということに引け目を感じているというのに。
 その上さらに、サキのそばには松野がいた。気心の知れたおさななじみで、サキに憧れる後輩で、職場を同じくする仲間で───女。すべてにおいて柴山を上回る条件を兼ね備えた存在が。
 松野との間に恋愛感情があるのかどうかは聞いていない。聞けなかったのだ。想像が現実に変わるのが怖かったし、たとえ恋愛感情がなくても、彼女のような存在を前にしながら、あえて自分を選んでくれるとは到底思えなかった。
 やはり、結論は一つだ。
 ……そう、理性ではわかっているのだが。
 にぎやかなテレビ画面とは不釣合いなため息をついた時、ふと、充電器に差した携帯が鳴っていることに気づいた。風の音のためテレビのボリュームを上げており、着信音が聞こえにくくなっていたのだ。テレビを消音にして立ち上がる。液晶に表示された名前を確認し、少しためらったが、ボタンを押した。
「はい」
『おっす』
現在柴山の頭を悩ませている張本人の声が流れてきた。
『遅かったな。まだ仕事してんのか?』
「いや、もう帰ってる」
『そっか、ならよかった。ちょっと話があんだけど、今から寄ってもいいか?』
「…何だ?」
『ちょっとな。電話じゃアレなんで』
一瞬迷った。話の内容に心当たりはない。まだ心の整理もついていない。
 しかし、これからは友達に戻らなければならない。こんなふうに、気軽に話のできる「友達」に。このまま避けてばかりでは、かえってこの状態から抜け出せなくなるかもしれない。
───わかった」
『サンキュ。10分ぐらいで着くから』
柴山の重い返答とは裏腹に、電話は軽くぷつりと切れた。