運命の人 (2)


 今思えばいかに自分だけが空回りしていたかをしみじみ噛みしめつつ、時折サキにツッコミやフォローを入れられつつ、あたたかい食事を終えた。料理だけでもじゅうぶん満足だったが、驚いたことに、なんと食後にデザートがつくという。
「凝ったもんじゃねーけどな」
そう言ってサキはまたキッチンに立った。柴山は別に甘い物を喜ぶタイプの人間ではないけれども、その道のプロであるサキが作るデザートならぜひ食べてみたいと思った。
「いつも作るのか?」
「いいや。フラれ記念日だから特別」
「ありがたくて涙が出そうだ」
再び手際よく立ち働くサキと話しながら柴山は、軽口をたたけるくらいまで回復した自分を感じていた。
 しばらくすると、カルメ焼きのような、甘く香ばしい香りが漂ってきた。子供の頃に行ったお祭りを思い出し、なんだか無性にわくわくしていたところ、突然、ジャーッという派手な音が響いた。覗いてみると、銅の小鍋から蒸気が上がっている。
「何作ってるんだ?」
「あ、びっくりしたか? わりぃ」
サキはジュワジュワ音を立てる鍋にあわてる風もなく、これはキャラメルソースで、焦がした砂糖に水を入れて作るのだと教えてくれた。
「水入れると跳ねるんだよ」
「へー」
なるほど、さっきから漂っていたのは、砂糖の焦げる香りだったのだ。道理でカルメ焼きに繋がるはずである。そういえば「キャラメル」と「カルメ」はなんだか似ている。ひょっとして同じ言葉なのかもしれない、などとぼんやり考えていると、
「ほれ、本日のスペシャリテ」
完成したデザートが目の前に到着した。小ぶりの白いボウルに盛られたアイスクリームの上に、あつあつのキャラメルソースがたっぷりかかり、スライスアーモンドが散らされている。熱でとろけたアイスクリームが、満足していたはずの食欲をあらためてそそった。
「おお、うまそう。何これ」
「何って…んー、バニラアイスのキャラメルソースがけ」
「まんまじゃん」
「じゃ、グラス・ア・ラ・ヴァニーユ,ソース・オー・キャラメル」
「お、なんかそれっぽい」
「同じこと言ってんだよ。いいからとっとと食え、溶けるぞ」
促されて一口含む。すると、キャラメルが思ったよりもずっと苦いことに驚いた。
「苦いな」
「かなり焦がしてるからな。キツかったか?」
「や、うまい」
確かに苦味のインパクトは強いが、そのぶん香ばしさも強調され、バニラアイスの甘さとよく合っている。洋酒も入っているらしく、まさに大人のデザートといった味だ。
「だろ?」
一口、また一口とスプーンを運ぶ柴山を見ながら、サキは満足そうな顔でうなずいた。

「さっき思い出したんだけど、オレ、日本帰ってきてから最初に勤めた店、速攻クビになったんだ」
「なんで?」
既に半分以上なくなったアイスクリームをさらに減らしながら柴山が尋ねると、
「これで」
サキは、焦茶色のソースをスプーンでつついてみせた。
「キャラメルの焦がし具合でシェフとケンカになってな」
「そんなことでか?」
「まあ、それは最後のきっかけだけど」
デザートを口に運びながら、サキは詳細を語り始めた。
「オレ、製菓学校出た後、教えてもらってた先生の助手になって、その勧めでフランスに行ったんだ。だからそれまで、日本の店で働いたことなくて。作法っつーかやり方みたいのがよくわかんなくてさ」
スプーンが止まる。
「それで目ぇつけられた上に、またそのシェフがイビリと指導の区別もついてねーヤなオヤジで、帽子のかぶり方がおかしいだの言葉遣いが悪いだの、毎回毎回くっだらねー言いがかりばっかつけやがって、あーくそ、思い出したらすっげー腹立ってきた!」
サキは左手で空になったビールの缶を手に取り、いかにもむしゃくしゃするといった風にぐしゃりと握りつぶしてしまった。言葉遣いに関してはあまり文句も言えないのではと思ったが、その握力を見て、指摘するのは止めておくことにする。
「それでも製菓の腕に関しては何も言わなかったから、なんとか我慢してたんだけど、ある日キャラメル作ってて、つい癖で、このくらいの色まで焦がしちまったんだ。そしたらオヤジ、ここぞとばかりにギャンギャンわめきやがってさ。で、ブチ切れて大ゲンカ」
そこまで言うとサキは、尋常でない形にまでつぶれた空き缶を転がし、ため息をついた。
「その後、すぐまた職探し始めたんだけど、オヤジ意外と大物で、影響力デカくてな。両手じゃ足りないくらい断られまくって、やっと拾ってもらえたのが今の店だったんだ」
「へえ」
フランス帰りの職人ということで、なんとなく「うちの店にぜひ!」といった引く手あまたの状況を想像していたけれども、一度のつまずきでずいぶん悲惨なことになってしまったようだ。
「苦労してんな、お前も」
「まあな。でも、ハズレ引くと当たりのありがたみがわかるよな。オーナー、神様に見えたもん」
「はは…」
甘くほろ苦いデザートの最後の一口を味わいながら、本日、これまでで最大級のハズレくじを引いた柴山は、ぽろりとこぼした。
「俺も、いつか当たり引けるかな」
するとサキはスプーンを振りながら、
「引けんだろ。ほら、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるって……あれ?」
「全然フォローになってねえよ」
どうやら本気でボケたらしいこの発言に、思わず笑った。

 こうして、柴山の今宵のやけ酒は缶ビール1本という、脅威的な量にて幕を閉じたのであった。


−終−