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 うららかな日曜の昼下がり。俺はおにぎりやら惣菜やらの入ったコンビニ袋を片手に、明るい日差しの中を歩いていた。行き先は行楽地でも公園でもなく、通いなれた勤め先のビル。といっても、別に休日出勤ではない。昨晩そこから「明日も無理です」と悲しそうな声で電話してきた男の陣中見舞だ。
 顔見知りの守衛とすこし雑談した後、エレベーターに乗り込み、いつもより1つ上の階のボタンを押す。
 常に誰かが電話している営業のフロアと違い、システムのフロアはいつ来ても静かなものだが、今日はそれがいっそう際立っていた。よほどせっぱ詰まった状況でない限り、土曜はともかく日曜まで出勤する奴はいない。そのせっぱ詰まった男は、普段と違って一ヶ所にしかともっていない電灯の真下にいるはずだ。
 ここの開発セクションは、PE(プログラムエンジニア)たちが作業に集中できるよう、それぞれの席がパーティションで区切られている。その壁の間を縫うようにして進むと、案の定、腕を組んで大型ディスプレイとにらめっこをしている竹崎がいた。
「煮詰まってるな」
声をかけると、驚いたように振り返り、破顔した。
「浜田さん!」
「ほら、差入れ」
机の上にコンビニ袋を置いてやると、竹崎は目を輝かせて、
「ありがとうございます!」
と言った。だが、その目の下には隈ができている。昨晩は徹夜したのだろう。
「あ、海老マヨ」
袋を覗いた竹崎が、好物のおにぎりを見つけて声を上げた。
「うれしいな、覚えててくれたんですね」
「当然だ。俺を誰だと思ってる」
「敏腕営業の浜田さん」
そう、俺は営業という仕事柄、一度聞いた人の好みなどは忘れない。他人の心をつかむには、好き嫌いというのは特に重要なポイントなのだ。ましてやつきあっている相手の好物を忘れるはずがないだろう。
 隣のブースから椅子を引いてきて、横に座った。机の上には分厚い本や資料が散らばり、ディスプレイにはわけのわからない横文字のウィンドウがたくさん並んでいる。だいぶ根を詰めているようだが、先ほどの様子から、思うように進んでいないのは明らかだった。
「たまには息抜きしないと、逆効果だぞ」
「ほーれふれ」
原型をとどめていない変な発音に竹崎を見ると、差し入れた食べ物を口いっぱいに詰めこんでがつがつ食っていた。よほど腹が減っていたらしい。
「お前、前の飯はいつ食ったんだ?」
「んー…」
竹崎は口の中の物をお茶で流し込みながら、思い出すように目を細めた。
「6時頃、だったかな?」
「朝か?」
「いや、昨日の夜です」
「バカたれ」
18時間以上経ってるじゃないか。それもたぶん、ろくな物を食ってないに違いない。こいつの引出しのいちばん下は食料備蓄庫になっていて、カップラーメンやチョコやビスケット等々の「カロリーしかないもの」がぎっしり詰まっているのだ。
 それにしても、プログラミングの技術には定評のある竹崎をこれだけてこずらせるとは、いったいどんなシステムだろう。
「ちょっと仕様書見せてくれよ」
ガチャ玉で綴じられた書類を渡された俺は、しばらく眺めた後、
「なんじゃこりゃあ」
と、一昔前のドラマの名台詞を吐いた。
 それは、とある流通企業の商品データ配信システムだった。データを本部から各店に配信するというシステム自体は珍しくはないが、この企業は既に独自の方式で本部と各店を結ぶネットワークを構築しているため、その方式に合わせて配信システムをカスタマイズしなければならない。しかし、その「独自の方式」とやらがまったく聞いたことのないマイナーなものなのだ。その上、配信対象になぜか商品データ以外のいろいろなオプションがくっついている。
「この方式の通信を組んだことがある人間って、うちにいないんですよ」
「マジ?」
「ええ。それで、なかなか勝手がわからなくて」
そりゃあ、ディスプレイとにらめっこもするというものだ。
「これ、田川の件名だったよな。これであの数字か?」
田川は半年ほど前に別部署から異動してきた営業だが、はっきり言ってお調子者で、俺はあまりよく思っていなかった。先日の営業会議でこれの受注報告を聞いたけれども、俺だったらとてもじゃないがあの値段でこんなややこしいシステムは受けない。倍もらってもいいくらいだ。
「SEは何やってたんだよ」
SE、いわゆるシステムエンジニアの位置付けは会社によってさまざまだが、我が社では受注したシステムの設計を担当している。営業と一緒に顧客のもとに赴いてニーズを聞き出し、どんなシステムを作るかの計画を立てる役目だ。システムに疎い顧客や営業がブッ飛んだ案を出しても、SEがしっかりしていれば軌道修正されるはずなのだが。
「実は、SE渡辺さんなんです」
「最悪」
渡辺さんは俺の2年先輩にあたる人で、けっして悪い人ではない。ただ押しが弱く、無理難題をふっかけられてもきっぱり断ることのできない性格なのだった。
「渡辺さんもやるだけやってはくれたみたいですけど、最後には泣きつかれちゃって。もう納期も決まってるし、これ以上設計に時間かけてたらこっちが間に合わないんで、この辺で妥協するしかなかったんですよね」
田川の阿呆め、客に言われるままなんでもかんでも安請け合いするからこんなことになるんだ。こんなつまらん件名で俺と竹崎の貴重な時間を潰しやがって、まったく、どうしてくれよう。
 田川のヘラヘラした面構えを思い出しながら、俺はいかにしてこの落とし前をつけさせるか考えていた。