ホームフェルメールの研究カタリーナ(エピローグ)

カタリーナエピローグ

T.はじめに

 

 小説・カタリーナを書いてみようと思った、「きっかけ」は、小説・真珠の耳飾りの少女を、読んでる途中でした。「真珠の耳飾りの少女」の設定では、少女は、お手伝いさんとして、フェルメール家に入り、フェルメールの絵のモデルになるという設定でした。その設定は、見事で十分ありえるという内容です。ただ、私が許せなかったのは、『牛乳を注ぐ女』のモデルのお手伝いさん(女中)が、実は、要領よく渡りあるく人物であるとか、妻・カタリーナも浪費家で怠け者である、というような設定でした。


 このような話は、少女をよく見せるためのものと、流せばよいのではないか?、と考えたのですが、私は読み続けることができませんでした。私には、どうしても許せませんでした。私自身一番好きな絵は、真珠の耳飾りの少女です。ですが、他の『フェルメール作品』も愛してやみません。妻・カタリーナを描いた可能性がある作品(窓辺で手紙を読む女真珠の首飾りの女青衣の女など)を観る限り、モデルに画家の愛がなければ、描くことができない作品だと思います。


 私は、フェルメールとカタリーナが相思相愛であったと信じたいのです。そういう小説を書いてみようと考えました。


 「誰か、ひとりでも、わかってくれる人がいれば良いなあ〜」と思います。カタリーナの評判は、かんばしくないです。研究家も非難しています(⇒フェルメール・第6章フェルメールの妻と女性観)。一番の理由は、彼女が浪費家だったことにあります。それは、私も認めます。


 ところが、私は、『女の浪費も、払えない男はつまらない』と思います。私の友人で一番のやり手が、香港に奥さんと買い物に行った時の、エピソードを紹介します。気に入ったバックが二つあり、奥さんが、彼に尋ねました。「どちらが、良いかしら?」しばらく、彼は考えて答えました。「両方、君に似合っている。両方買いなさい。」結局奥さんは、一つしか買わなかったみたいですけど・・・。彼の話では、『本当に、どっちが良いか、わからなかった。両方買っても何とか払えるだろうと、覚悟を決めていた』といっていました。その話を聞いて、妻は大層羨ましがってました(^o^)。我が家だったら、二人で数時間考えて、諦めるところでしょう。このように、奇麗な女性(でいる)には、お金がかかるのかもしれません。


 『フェルメール作品』を観て行くと、女主人は、こんなに奇麗に見繕いをしなくても、と思うほど奇麗な身なりで登場します。それが、良いこと、作品の魅力のひとつだと思います。身なりを整えるのも、ひとつのセンスなのです。私は、カタリーナはセンスが良い女性で、いつも奇麗な女性で、夫を支えた女性であったと思ってます。そうでなければ、あんなに沢山のフェルメールの子供を、彼女は生まなかったような気がします。


 少し、自分の奥さんをカタリーナに重ねて、贔屓にしているところがありますが、・・・。カタリーナ贔屓の小説もあっても良いかと思い、これから書くことにしました。ただ、日本の17世紀すらよくわからないのに、オランダの17世紀を書くわけですから、相当量の資料をそろえないと、本当につまらないものになりそうです。少し待ってください。


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