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真珠の首飾りの女
フェルメールが亡くなった時に、婦人・カタリーナの手もとにあった貴重な作品のひとつである、「真珠の首飾りの女」が、この作品です。
この作品は、私個人的には、大好きな作品です(⇒観たいフェルメール作品リストNo3)。左にかかっている鏡に向って、身だしなみを整えています。鏡に向って、真珠を持ち上げて(真珠についているリボンを持ち上げて)いる姿が、愛しいです。
窓から差し込んでいる光が彼女の、喜びをあらわしていると思います。私が、気になったのは、壁のあとです。ここに、何かかけられていたのでしょうか?それとも、何か描こうとしたのでしょうか?わかりませんが、確かにあとが残ってるみたいです。マウスポインタを写真の上に載せてみてください。
目線(視線Iが、小さな鏡を見ていることがわかると思います。
この細やかさが、フェルメールの魅力の一つです。遊び心で、自作した真珠のネックレス()が、マウスポインタに付いてくるようにしました。楽しんで下さい。なお、このJava Scriptは、Clubとむやん君のものを使いました。
フェルメール(Vermer)の作品の中で、真珠は虚栄を意味するものであるとして、この作品は「飾るということは虚栄であり、(虚しさ)につながるものだ。」とする解説もある(⇒フェルメール・新潮美術文庫13・18真珠の首飾り)。そう考えると、壁には、絵(もしくば地図)が、昔かかっていて、浪費のために売ってしまってるのに、まだおでかけして、散財しようとしている、と考えられなくもありません。
ただ、私は、「それは、それで良いのではないか。」と思います。出かける前に、喜んで、身なりを整える女性の方が好きです。そういうこと忘れて行くのは、悲しいです。もし、この真珠のネックレスを自分が送っていたなら、これだけ喜んでくれたら、嬉しいです。人間、いつかは、死ぬのですから・・・。その場、その場を楽しく生きないと・・・。
この女性は、妊婦だとする意見(⇒VERMEER・タッシェン真珠の装身具・56ページ)があります。そのことから、この作品のモデルは、妻カタリーナだったかもしれないと言われてます(⇒フェルメール・アートライブラリー真珠の首飾りの女76ページ)。私は、そうであって欲しいと思います。お産のために、いつも家にいないといけない妻が、久しぶりにおでかけできるので、喜んでいる、姿を描いたとすると、「いい夫だなあ〜。」と思います。
女性の喜んでいる姿というのは、器量によらず、廻りを幸せにしてくれます。
次は、同じ左横顔で、青衣をまとった、「青衣の女」について、述べます。
(2002年5月30日作成 6月27日加筆 8月28日修正)
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