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この美術館にある2作品は、フェルメール作品の中では初期の作品になりますが、フェルメール好きにとっては、たまらない2作品です。両作品とも、一度ソビエト連邦に渡り、ドレスデンにもどって来ます。今では、東西ドイツも統一され、我々も訪れやすい環境にあります。
ただ、『取り持ち女』の方は、今修復中で、観れるようになるのは、来年かもしれません。ところが、来年3月からアメリカ合衆国に行くみたいです。私個人的には、アメリカはやはり恐ろしいので、それまでに観に行けると嬉しいです。
現在残っている作品の中では、2番目に古く(⇒制作年別全作品)、大きさも2番目に大きいです(⇒正確な大きさ)。この作品は、珍しく年記(1656年)が入っています。この作品は、1696年5月16日にアムステルダムで行われた、21作品の競売には、登場しません。1741年にザクセン選挙候のもとにわたり、その後ドレスデン絵画館に入ります。1741年より前には、ドゥクスのワレンシュタイン・コレクションにあったとされています。
この作品をフェルメールが描いたものと、位置づけたのは、1858年あのトレ・ビュルガーによってです(⇒トレ=ビュルガーのような人物は必要か?)。第二次世界大戦によって、先に述べたように、1945〜1955年の間ソビエト連邦に移り、1955年に変換されます。
『窓辺で手紙を読む女』、数あるフェルメール作品の中でも、これ程描きこまれている作品はないかもしれないと思います。『全ては、ここから始まった。』と言っても過言ではないと思います。自分のイメージで、いつかこの作品を描く時、どのようにするかは、毎日考えてます。制作は、4番目に古く(⇒制作年別全作品)、大きさは8番目に大きいです(⇒正確な大きさ)。
この作品も、1742年にザクセン選挙候アウグレスト3世のもとにわたり、その後ドレスデン絵画館に入ります。ただ、この作品はパリの競売で、代理人ド・プレがレンブラントの作品として購入しています。それより前は、1712年にビーテル・ファン・デル・リップの競売に出たのではないか?と言われてます。ソビエト連邦に移り、変換されるという経過は、『取り持ち女』と一緒です。
この二つの作品は、歩んだ道は奇妙に似通っています。それは、1696年の競売に顔を出してないこと、ザクセン選挙候の手元にあったということです。ただ、『窓辺で手紙を読む女』は、時の為政者に愛されて作品という意味では、少し異なります。戦火を免れた、この2作品は、秘密のうちにモスクワに運ばれます。ドレスデンの絵画を変換しなければならなくなった時、時のソビエト文化相は、何とかこの『窓辺で手紙を持つ女』を国内に留めようと、やっきになったと言われています(⇒フェルメールのお勧め本・フェルメール・46ページ)。私は、この作品がドレスデンに戻って本当に良かったと思います。
(2003年6月27日作成)