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「天秤を持つ女」の一つのポイントは、「女性」自身でしょう。この女性が臨月近い妊婦ではないか?ということは、三人の女性の比較で話しました。何時ものように、真珠を身につけてません。子供を生む間近の女性ほど、神々しくすばらしいものはないと思います。神に近い存在と言えるのではないでしょうか?
私は、この女性の顔をCatch eyeして拡大して、見た時、昔教会で見た聖母マリアを思い出しました(⇒天秤を持つ女性の顔)。そこから、導かれる結論は、この女性は、この世のものでないのかもしれない、ということでした。
人間は、時として「この世のものでなくなれる。」のではないでしょうか?
マウスポインタを写真の上に載せてみてください。
普通に観られます。
「静まり返った町家の一室に立ち秤を手にした女は、審判の場面から抜け出て俗界に降り立った大天使ミカエルのようでさえある。」(⇒フェルメール論・精妙な構図が呼び寄せる寓意的解釈・212ページ)。この女性は、大天使ミカエルか?それとも、臨月の女性は、時として大天使ミカエルにもなりえるのか?二つの考えがなり立つと思います。
私は、後者を取りたいと思います。ここで、考えは見る人によってわかれると思います。ただ、ひとつ言えることは、この絵は、宗教画(女性を天使とした場合)と風俗画(女性を妊婦とした場合)の間を行き来する絵であることは、間違いないと思います。
(平成14年7月11日作成)
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