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私が、観にいったアムステルダム国立美術館には、レンブラントの二つの自画像がありました。下写真が、そのふたつです。『若き日の自画像』は、縦22.6cm×横18.7cmと小さく板に描かれてました。制作年は、1628年です。この大きさを、フェルメール全作品大きさ比較に照らし合わせて比較してみると、1番小さな「レースを編む女」の縦23.9cm×横20.5cmより小さいという驚愕の事実が浮かびあがって来ました。以前に(⇒他の作品との比較)、『夜警』とフェルメール全作品を比較した時、全作品よりも『夜警』は大きかったのです。ところが、フェルメール作品の中で1番小さな作品より、小さい自画像をレンブラントは描いていたのです。その作品は、天然パーマーの眼が点のような青年が描かれてました。その光と影の描写は見事でした。ただ、普通だったら見落としてしまう程小さな作品です。これを見落とさなかったのは、アムステルダム国立美術館のトップページがこの作品であったのに他なりません。事前にホームページを見ていたことが、役立ちました。皆さんも訪問された時は、見落とさないでください。素晴らしい作品でした。
アムステルダム美術館で、その近くにいた学術員(警備員かもしれない)のお兄さんに、カタコトの英語で、「レンブラントの他の作品はないか?」と尋ねると、『夜警』でなく、彼がつれていってくれたのが、レンブラントの『老いた日の自画像』でした。この作品は、1661年レンブラント55歳の時に描いたものです。この絵は、自分自身を使途パウロとして描いたものだそうです。握りしめた手紙によって、使途パウロは、殉死しなければならなかったのです。この作品は、老いて苦しい立場にあったレンブラントが、「芸術に全てを捧げる。」という寓意がこめられていたのかもしれません。私は、観た時はそういうことは、知りませんでした。しかし、描かれた老人の諦めたような眼差しの中に、「それでもこれしかないんじゃ。」、といっているようなものを感じました。大きさは、縦91cm×横77cmで、キャンバスに描かれてました。
1628年〜1661年の間に彼が歩んだ道を、次のページで見てみましょう。
若き日の自画像 | 年老いた日の自画像 |
ところで、こういう作品を覗いてみても、フェルメールと違いがあります。レンブランドは、生涯を通じて100枚以上の油絵と版画があると言われてます。ところが、「笑った絵」というのは、ほとんどみかけません。フェルメールの自画像は、笑顔です。むしろ、フェルメールの方が珍しいのかもしれませんが・・・。
それと思ったのですが、画家は右側の顔を前に斜めから描くことが多いのでしょうか?レンブランドの絵のほとんどの自画像は、そうです。彼は、自分の右顔が好きだったのかもしれません。皆さんは、自分のどちらの顔が好きですか?ちなみに、私は左の顔です。
(2002年8月25日作成)