北 陸 道
Hokuriudou
北陸道 朝暗いうちに家を出発し、やっとここまで来た。旧盆のためか、ものすごい渋滞であった。さすがに疲れも限界に近かった。 小諸から北国街道を長野、野尻湖を経て直江津まで一気に走った。直江津に着いたのが午後の5時を回っていた。ここで左に折れ、北陸道(国道8号線)を金沢に向かって走った。 今日の目的地は、金沢の先の松任(まっとう)市である。松任に到着したのは夜の12時を回っていた。 |
||
白米千枚田 会社の同期N氏の実家が、松任市にあり、そこにお世話になった。翌日は、N氏の案内で能登半島一周のドライブに行った。 途中、外浦街道(249号)より、海岸の千里浜渚ドライブウェイを走った。ここは文字通り砂浜の上を走るのである。約8kmの道程であるが、砂の粒子が非常に細かく海水を含んで舗装道路の様な砂浜になっている。バスも走っているのには驚いた。 |
||
時国家 富来の能登金剛、総持寺祖院(曹洞宗の大本山、1322年開基。明治31年に大火災に遭い、本山を横浜の鶴見駅前に移動。ここは祖院として復興された)、輪島に立ち寄り、棚田で有名な白米(しらよね)の千枚田に向かった。 ここの千枚田は、写真では解りにくいが実際は2000枚以上もあるとのことであった。 |
||
曽々木海岸 壇ノ浦の戦で破れた権大納言平時忠の子、時国がここに住み着いてから現在まで24代も続いているというから凄い。 時国家を出て、岩倉山(357m)の絶壁が海に迫ってすばらしい岩石海岸を作っている曽々木に行った。正面の岩が、「窓岩」と呼ばれている。40分くらいの曽々木海岸の遊歩道(東北約2km)が出来ている。 |
||
東尋坊 松任を出発し、金沢に戻り、市内と兼六園を見た。そして、九頭竜川の河口の町三国から北陸一の絶景と言われる東尋坊に行った。巨大な岩柱(柱状節理、高さ約25m)が、日本海に突出し壮大な景観を呈している。崖頭から見下ろすと、さすがに恐ろしい。 東尋坊は、勝山市平泉寺の悪僧の名で、ここより突き落とされた由。その亡霊の祟りで、その日(4月5日)には必ず海が荒れたとのこと。 |
||
北陸は、以前に鉄道(まだ汽車が走っている頃)で来たことがある。その時は上野発の夜行列車で来た。途中富山で下車し宇奈月から黒部渓谷を遡上し、その後、金沢、能登半島を回り、この東尋坊にも立ち寄った。そして福井の永平寺に行った。 しかし、今回は車のため、永平寺は素通りし、敦賀より真っ直ぐ塩津街道(8号線)を米原に向かった。早めに切り上げた心算(つもり)であったが、これが大誤算であった。 |
||
琵琶湖畔 ものすごい渋滞に巻き込まれてしまった。結局、宿を探す時間も無くなり、湖畔で野宿する羽目に成ってしまった。真夏の車中泊は、蒸し暑さと蚊との戦いでもあった。 翌朝、湖畔でのんびりした後、彦根城に立ち寄った。ここまでは全て一般道のみのドライブであったが、彦根よりは高速道路で東京に戻った。3泊4日、走行距離1300kmのドライブであった。 |
||
|
|
|
ルート 東京〜軽井沢〜小諸〜長野 〜野尻湖〜直江津〜富山〜金沢 〜松任(泊)〜輪島〜曽々木〜松任(泊) 〜三国〜東尋坊〜琵琶湖(車中泊) 〜彦根〜名古屋〜東京 走行距離 1300km |
北陸道 五畿七道のひとつ 若狭、越前、加賀、能登、越中、 越後、佐渡の七国または道路を指す |
TOP | 北海道 | 東 北 | 関 東 | 中 部 | 近 畿 | 中国四国 | 九州他 |