千曲川 千曲(ちくま)川と云うと、すぐ思い出すのが島崎藤村の「千曲川古城の畔、雲白く遊子悲しむ」で始まる詩だ。「千曲川旅情のうた(落梅集)」に収められているが、中学生の頃、好きで全部暗記したことがある。藤村が小諸で教師をしていた頃(明治26年)、作ったとされているが、こうやって訪れてみると、まだその面影が残っており、えらく感動したものだ。 藤村の本は「破戒」や「夜明け前」などは、何回も読んだ。モラリストとしての苦悩と告白が主題であったと記憶している。 |
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千曲川は長野、埼玉、山梨県の境目にある甲武信ヶ岳(こぶしだけ、2475m)の北西斜面を源流として佐久、小諸、上田、長野、飯山の盆地を貫流し新潟県に入り信濃川となって海に流れ込んでいる。全長214kmの河川で、長野県では第一の川である。 丁度、甲武信岳の反対側の南東を源流とする川が西沢渓谷・笛吹川である。こちらの川もいろいろと思い出の残る川である。 今回は、軽井沢から追分より北国街道(ほっこくかいどう、現国道18号線)を、長野に向かう途中、小諸に立ち寄った。小諸は浅間山山麓にあり、丁度千曲川と浅間山の間にある感じの宿場街である。 |
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小諸城跡懐古園入口 小諸城三ノ門。1765年に再建された櫓(やぐら)門である。丁度、千曲川北岸の崖の上にある。もとは、鎌倉初期に土豪小室(こむろ)氏が館を構え、後に豪族の大井光忠が鍋蓋(なべふた)城を築ったのが始まりと云う。 この城ほど呼び名が多数変わった例も珍しい。手元の資料にも、乙女坂城、白鶴城、酔月(すいげつ)城、そして小諸城である。それだけ、この地は要害の地でもあり、歴史の波に揉まれた所であったのであろう。 |
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小諸城跡より千曲川 要害の地、崖の上に小諸城はあった。そして、丁度浅間山と八ヶ岳、蓼科山の間に挟まれ、その中央に千曲川が流れる佐久盆地が狭くなり、その出口にあるのがこの小諸城である。そんな感じが良くわかる写真である。 小諸は、もともとは、平安時代に浅間山の裾野一帯が馬の名産地で、大室・小室の郷と呼び、後に諸・小諸の郷となったとのことであった。 この後、我々は、牛に引かれて善光寺参りではないが、車で長野に向かった。 |
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ルート 中央線上信越自動車道佐久IC 又は信越本線小諸駅下車 |
駐車場 懐古園前 有料 |
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