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  5. 交響曲第6番

単発講座「交響曲第6番」


繰り返しの妙技に酔うこの曲

 ちまたでは交響曲第5番第1楽章の「主題の執拗な繰り返し」が話題となるが、そんなことは、この曲を聴いてから言っていただきたいものである。この曲は、交響曲第5番と対になって解説されることが当然ということになっているが、私が思うに、交響曲第5番よりも、さらに一歩、進歩した曲である。

交響曲第6番

はじめに(最も演奏が難しい曲)

 各楽器の演奏として、技術的に難しいというわけではない。まとめあげる指揮者にとって、最も難しい。特に第2、5楽章は難所ではないか。

 第1楽章
 b.16から13回。b.67から2小節単位で13回。b.123から12回。全部並べようとすると、きりがない。この楽章くらい、繰り返しでできている曲は無いだろう。これに匹敵するのはラヴェルの「ボレロ」くらいのものである。展開部の有名なb.151〜(下の譜例)と、b.197〜のように、和声の変化とクレッシェンドを巧妙にからめた繰り返しは、小さい規模であるが空前絶後である。その後、繰り返しは終わったのかと思わせておいて、b.243から4小節単位で別の旋律による7回もの繰り返しがさらに始まるのは、すごい。なだらかな印象のこの曲なので誰も言わないが、スコアを見ると「壮絶な繰り返し」と表現してもいいくらいである。
sym6_1a.jpg (69650 バイト)
 第2楽章
 この楽章も、よく考えると壮絶な面白さ。全139小節であるが、変ロ長調が冒頭から22小節も続く。調としての繰り返しになっているのだ。しかし、この楽章の白眉は、b.91からの主題の再現である(下の譜例)。無駄のない、完全な管弦楽がそこにある。また、前後するがb.79からの、不協和音を伴った幻想的な個所も、傾聴に値する。それらがあって、さらにフルートやクラリネットの魅惑的な独奏がある。
sym6_2.jpg (62602 バイト)
 第3楽章
 この楽章は不思議な構造をしている。もちろん、そんな構造の話など、聴くに不自由は感じないものではあるが。
 なかさん説では、スケルツォは、b.1〜86。トリオは、b.87〜204。スケルツォ再現は、b.205〜264。これは、普通の解説とは異なる割り振りであるが、こうすると、内容の上ではしっくり来る。この割り振りでは、トリオの前半は3拍子、後半は2拍子となる。普通は、2拍子の部分のみをトリオとみなすわけで、そうなると、前半のスケルツォの最後の3拍子の部分が、後半のスケルツォでは再現されていないということになり、結果ベートーヴェンはスケルツォの再現を一部省略した、となる。もっともそれでもいいのだけど....。どうでもいい話ではあった。私が所有するスコアには「トリオ」という記述は無いのだ。どこがトリオでも、いいじゃないか。
 ともかく、
別ページにも書いたように、この楽章はA-B-A-B-A形式である。

 第4楽章
 この楽章が実はA-B-A-B-A形式をとっていることは別のページに書いた。トロンボーンは出てくるが後半の少しであり、ホルンもトランペットも2本、ただの2管編成である。管弦楽の達人であるベートーヴェンが嵐を描写すれば、ロッシーニなんて屁のようなものなのである。

 第5楽章
 なんと、A-B-A-C-A-B-Aに展開の妙技が加わった、変則的なロンド形式である。途中にCが無ければ、ソナタ形式と言ってもよい。ベートーヴェンにかかると、形式の垣根は取り払われてしまうのだ。形式のかせにはめてしまうのは、いいかげんにやめたいな、と思わせる。b.177からの、後ろ髪を引かれるような部分は、「田園」の名にふさわしいコーダと言えるだろう。それを、b.206から、変奏を加えてもう一度繰り返してくれるわけだ。未練が残る、演歌のような世界でもある。



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