楽譜を読んでみよう その4
5.グループで見ていく
歌劇や歌曲、あるいは歌謡曲やポップスなどでは、歌手と伴奏というように役割分担ができている。しかしクラシック音楽の多くでは主役と伴奏が交替しながら渾然一体で進んでいくのが普通のことなので、ひとつの楽器を見ているだけでは、どこが面白いのかわからない場合がある。
ということで、なんとか1つの楽器で最後まで追いかけることができたら、次は近くの楽器もあわせて見てみよう。3段くらい見ていればよいか。古典派なら木管楽器は3段〜6段、弦楽器なら、通常は5段までなので、なんとか追いかけられるだろう。
↑交響曲第8番第4楽章の第2主題。楽器名は記されていないが、主旋律は第1バイオリン。その下3段は伴奏。中2段の6連符という記譜方法は、義務教育では習わない。この上には管楽器があるが、飾りの音だけなので省略した。
6.いずれは、どう読めるようになるのだろう
楽譜は横に読んでいくものではなく、縦に読んでいくものである。
な、何を言っているのかわからねーと思うが……縦書きの日本語のように読んでいくわけじゃないぞ。
バッハの無伴奏ナントカという曲のように、バイオリンまたはチェロが一人だけで演奏する曲は、1段のみの楽譜だ。これはどう考えても横に読んでいくしかないだろう。しかし、一人で演奏するピアノは2段、二人以上で演奏すれば当然二段以上になる。これらの楽譜をどう読んでいくのが一番面白いのだろうか。
横、つまり多数あるうちの1段のみを見ていくのではなく、縦、つまり全段を同時に見ていくのが面白いのである。しかしページの上から下の端まで全ての段を細かく見ながら横に進んでいくことなんて出来はしない。
だから眼を忙しく上下に動かすのではなく、一気に1ページを見てしまうのだ。あたかも風景を一望するかのように。風景を見るときに決して木々の1本1本を見分けているわけではないのと同じように、楽譜の風景を見るのだ。もちろん細部を見分けることはできない。しかし、音楽は多くの演奏者がまとまった演奏をすることで成り立っているので、風景を一望することで音楽を想像することが可能になる。もし細かく検証したくなったら、聴き終わってから見ればよい。
「楽譜の風景」というのは指揮者の故岩城宏之氏が著書で使った表現だ。ページを一望することができるようになったとき、一般の人でも、楽譜の風景を見て音が想像できるようになっているだろう。さすがに一度も聴いたことがない曲では無理だろうが、一度でも聴いたことがある曲ならば、楽譜を見たときに音を想像することが可能になるのだ。
強いて表現すると、下例のような感じで見ていく。実際に目の焦点は、バイオリン付近をさまよっている。協奏曲でのソロ楽器は、この部分では音を出していないが、楽譜の中央付近に並ぶ。見易い場所にあるというわけだ。
↑ピアノ協奏曲第4番第1楽章
ついでに、ベートーヴェンで一番複雑に見える曲を示しておこう。交響曲第9番第4楽章だ。歌詞が見えるのは合唱のパート。ビオラとチェロにはさまっているのは、昔の並びに従っているからだ。トロンボーンがティンパニの下にある。楽器名がどこにも無いが、分からない奴は見るなということか。恐ろしく複雑に見えるが、実は4種類の旋律に分けることができて、ほとんどの楽器が合唱のどれかと同じ動きをしているのだ。古典派の音楽はあくまでも整然と流れていくのである。
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(2011/5/30)