★1999年感謝祭の11月23日にJFKクラブの「ダラスオフ会」 のオプションツアーとして企画されたのが、ボストン訪問でした。当時の私にとってアメリカ東海岸マサチューセッツ州ボストンとは、ア メリカ発祥の地とハーバード大学が在る都市位しか知識がありませんでした。勿論ケネディ生誕の地であることは知っていたのです が、その地へ自分が行くなどと考えたことは無かったのです。 しかし折角やって来たアメリカ合衆国です。行ける所は全て行きたいとの思いで、このオプションツアーに参加したのでした。11月23日 の早朝ワシントンのヒルトンホテルからダレス空港(ダイハード2の事件現場)へ行き、アメリカン航空にて初めての地ボストン へ向かいました。その日から私の一番好きなアメリカの都市となったのですが、ここではそんな大好きなボストンでの思い出の場所や などを紹介する予定ですが、まだ準備中のものが多いですが、段々と出来上がります。 |
<マサチューセッツ州会議事堂> マサチューセッツ州会議事堂です(写真・右上)。金色のドームが目印のビーコン・ヒルで最も古い建造物で、ボストンのランドマークの一つです。此処は一度目 の訪問時は外観を見ただけで、たしか入口付近を少し覗いたかもしれません。しかし2度目の訪問時はポッキーさんに案内してもらい、Nurse Hall (ナース・ホール)からHall of Flags(旗の殿堂)・House of Resentatives(下院会議室)それに、Senate Chamber(上院会議室)などをポッキーさんに解説し てもらって見学しました。これは大変貴重で贅沢な経験でした。左写真のケネディの銅像は州庁舎の正面のウェストウィングに建っている、若かりし頃のケネディの銅像です(写真・左上)。 この銅像は1990年5月29日、ケネディが生きていれば73歳になったであろう誕生日に作られました。1度目の訪問時は直ぐ傍まで行って、銅像と一緒に 記念撮影が出来ましたが、2度目の時はウェストウィング自体に入れませんでした。したがってこの写真は1度目の訪問時に撮影したものになります。 写真・中央左が「Hall of Flags(旗の殿堂)」尚、旗は左から星条旗、マサチューセッツ州旗、POW・MIAの旗です。 最後の私が端を摘んでいるPOW・MIAの旗の意味は(戦争中に捕虜となった人)と(戦争中の何らかの理由で行方不明になった人)の略になっています。そして写真・中央右が議事堂のメイン見学となった、「下院会議室(House of Resentatives)」(3階)この写真の 私は何と有名なケネディの演説プレート貼ってある壇上の上にいます。これはその時ポッキーさんが居合わせた警備員さんに頼んでくれたお陰です。 写真・左下は「上院会議室」(Senate Chamber)(3階)です。この部屋で面白かったのは、40名いる上院議員の椅子の高さが微妙にちがうことです。これは議員たちの身長(座高)が人によって違うので、調整して議員たちが顔を 合わせて話し合いが出来るように工夫されているそうです。この他にも見所として、ナース・ホール(2階)やグレート・ホール(2階)もポッキーさんの解説付きで見学したのですが、ビデオには録画してあるのですが、何故か写真は撮 ってありませんでした。やはりこういう場所は、一人で、ただ漠然とうろついて見学していても、美しいとか年代物だとかを感じるだけですが、この日ポッキーさんが私のために解説してくれたお陰で沢山のことを知りました。 この時の事はビデオにも撮影してあるので、むしろ帰国してから、ゆっくりとビデオを見物した後の方が感慨深く感激を新たにしたものです。 |
<ビーコン・ヒル> 左の写真はボストンの高級住宅街ビーコン・ヒルの中のWillow St.です。2度目のボストン行きの時にポッキーさんご夫妻に連れて行ってもらったときのものです。ポッキーさん が「レンガの街並みは見てもらわないと!」とのことで、ご主人の車で立ち寄って呉れました。18〜19世紀のレンガ造りの家が軒を並べています。何となくヨーロッパに居るよう な雰囲気になり、思わず気分はシャーロック・ホームズでしたが、ポッキーさんのご主人の話だと「雰囲気はいいけど、アパートの家賃は高いし、エレベーターは無いし、暖房設 備が旧式のままなので冬は寒いので、住み易いところじゃないです!」というような説明だったと今思い出しました。しかし、街灯がまだガス灯だったりして雰囲気はすっごくい いです。それこそ1ヵ月位なら住んでみたい場所です。 余談ですが、1968年度のアメリカ映画に「ボストン絞殺魔」という実際に起きた殺人事件を題材にした作品がありました。主演トニー・ カーティスとヘンリー・フォンダでしたが、劇中このビーコン。ヒルに似たようなレンガ造りの街並みが出てきます。しかしあの事件の発生場所はサウスエンドといわれる地域で、 ビーコン・ヒルとは違います。兎に角私の大好きな場所です! |
<ケネディライブラリ1> |
<ケネディライブラリ2> 同じくライブラリーの写真です。この写真は全て「第1回ダラスオフ会」時に撮ったものになります。2度目の時は一人だったのでただ黙々と見学して終わりました。 左上の写真はライブラリーのチケットの半券です。ライブラリーは入って直ぐに1960年の大統領選挙キャンペーン当時の模様が再現された展示物が多いのですが、 右上と左下の写真はそのブースのものです。ここも写真撮影よりもビデオ撮影が多かったので、掲載する写真が少ないです。左下の写真はロバート・ケネディの在任 中の「司法長官室(Attorney General`s Office)」です。デスクの上の物は触れることはできませんが、司法長官の椅子に座って眺めることは出来ます。電話機の外線ボタンに「FBI」 などの書き込みが、それも鉛筆書きであります。当時、このボタンを押して司法長官のロバートがFBI長官のフーバーに実際に電話を掛けたかと思うと、ゾクゾクするような感動を覚えました。 ここには勿論、「大統領執務室(Oval Office)」もちゃんと再現されておりますが、すべてガラス張りなので椅子に座ることとも、机に触ることも出来ません。そのため「大統領執務室」 はデジカメ撮影はなくて、ビデオ撮影だけだったので、今度訪れたら絶対にデジカメで撮影してこのホームページへ掲載したいと思います。 |
<ケネディ生家> ボストン郊外のブルックライン市のビールズ通り83番地にあるケネディの生家です。JFKの父親ジョセフ・P・ケネディが当時のボストン市長の娘 ローズ・フィッツジェラルドと結婚した1914年10月から1921年まで住んでいました。部屋数9っのわりと平凡な家です。此処は1度目の時も2度目の 時もウィンターシーズンで休館中で中には入っていません。閑静な住宅街に建っていて、日本のように観光地化されていませんがJFKファンには 必見の見学ポイントです。National Historic Siteに指定されています。グリーン・ライン(C)でCoolige Corner駅で下車して、徒歩10分程度で 行けますが、私は2度とも車で行きました。 写真は生家の前景(上)と玄関前に立ててあるJFKのプレート(左)と悔しい「CLOSED」の看板です。 右側の写真、生家の絵はJFKライブラリーで購入したものです。自宅の玄関にも飾ってあります。 |
<ポッキーのボストン案内> ボストン在住のポッキーさんのボストン案内サイトです。第1回ダラスオフ会後に帰国してから、渡米し て大好きになったボストンの案内サイトを探していて見つけました。その後ポッキーさんのサイトの「キリ番ゲット」でメールしたところ、 記念品を頂いたことで知り合いました。暫くメールでのお付き合いが続いていたのですが、ポッキーさんご夫妻(ポッキーさんは奥様)が帰国 した時に一度お会いした頃から“友人”としてお付き合いさせて頂いております。この時にポッキーさんから「今度ダラスオフ会でアメリカへ 来たら、ボストンの我が家へ来て泊まっていけば!」との嘘のようなお誘いを真に受けて、2003年の「第2回ダラスオフ会」後に単身ボストンへ 行き、図々しくもお世話になりました。この時のことは前田さんの「ケネディ」のサイトに「特別寄稿」として掲載されておりますので割愛しま すが、興味のある方は其方を見て下さい。この時のポッキーさんご夫婦から受けた親切は生涯忘れられません。ボストンやレッド・ソックスに興 味がある方は是非「ポッキーのボストン案内」へ訪れて下さい。ボストンを知る上で最適かつ素敵なサイトです! |
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