「なぜ、今、うぃっとがワークショップなのか?」


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GRANDSLUM‘夏’ ワークショップ
なぜ、今、うぃっとがワークショップなのか?

○なぜ、今、うぃっとがワークショップなのか? 

2010.2
皆さんこんにちは、うぃっとのボスのしなやかしなちゃんです。

他劇団の練習やワークショップの例を見聞きしたり、レクの実践に立ち会ったりする中で、
長年どうしても引っかかることがあった。

それらの多くは、ゲームの形式をとるのだが、嫌なものがとても多いのだ。

具体的に挙げて、「何だぁ?ウチのことかぁ?」と絡まれたくないので控えるが、
恐怖を煽る競争や同調圧力、そういったものを利用し、増幅させるゲームの類だ。

私はTVのバラエティに出てくるような
「歌の歌詞1曲分全部歌えたら○○万円→間違えたらそこで終わり」
「リズムに合わせて、何かのルールに沿った言葉を言う→間違ったり出とちった奴が負け」
みたいなゲームが大嫌いだ。見ているだけで疲れる。
まして、「負けた奴は自腹でおごる」などと来たら、他人事であろうと、もう許せない。
怒りで家の中何往復もしてしまうくらい。
(あと、「どっちが多数派か」調べて、「常識」「非常識」に選別するような番組とか最悪だ。
そんなんが多くてテレビは見ないようにしてるが、テレビ好きな人でもそれぐらいは見抜いてほしい!)

誰かの失敗を待つゲームなんて、嫌だ。
それがスポーツの試合だとか、競い合い、敵を倒して勝ち抜くのが目的ならまだわかるが、
少なくとも、親睦を深めたり力を引き出したりするのに向いているとは思えない。
(名前や台詞や動きが覚えられない恐怖をゲームで味わわなくても、
通常の練習の中で力はいくらでもつくものだ。それが本来のやり方でしょう)

しかし、現在の演劇やレクリエーションの「ゲーム」には、
当たり前のようにそういったものがはびこっている。

また、「即、反応できる力」が役者にとってそんなに重要だろうか?
もちろん、あればあっただけよいとは思うが、
それを要求されることが多くなれば、また優先順位的に高くなれば、そこで失われるものも大きい。
お笑い芸人に求められるものと、役者に求められるものは違うのだ!!

私は、
「そうでないものでも十分面白いし力になる」
「むしろ、こっちの方がいい」
そういうものを増やしたい!
そういう流れをつくりたい!!

だからといって、いい子ちゃんなものがやりたいわけでもない。
むしろ「いい子ちゃんの陰」にこそ、いじめの温床があるってことも、よく知っている。

一見、ちょっとワルそうだけどあったかい、
そんなワークショップが作れないかな?と思って、今回やってみることにしました。

もし、頷けるところがあったら、是非門を叩いてほしい! 参加はこちらから

例えば、ウチにはガーギーという役者がいるが、彼は自分が納得しないと動かない。
稽古のたびに面白いネタを出したり、アウトドアやキャンプではよく動ける人だが、
こと役者ということで言えば、公演が迫って折り合いを付けることはあっても、
できないことをできた風にやったりはしない。
だからとても時間がかかるが、それは彼のいいところでもある。
そして、うぃっとで9年やってきた中で、確実に力をつけてきた。
常に即応を求められる集団にいたら、彼の持ち味は摘まれていただろうし、
それ以前に残っていなかっただろう。

「そんなの甘い」と思う人もいるかもしれない。
だが、「できないことの大切さ」がわからんで何を語るかと。
テレビ画面に一瞬咲いて消えるような、薄っぺらい偽りの厳しさなら、いらない。
出会ったあなたの名前を、私はすぐには覚えないかもしれない。
だが一度憶えたら、あなたがたとえ消えても、忘れない。

即興やアドリブを否定したり、軽視したり嫌ってるわけではない。
それらは「自分の間合い(あるいは共通の間合い)」で入れるからやれるものであって、
自分の間合いの確保を許さずに即答を強いる練習が、理に適っているとは思えない。


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