ホームオマージュ・ゴッホ二人の椅子壷のひまわり壷のひまわり(2)返事が来ました!返事が来ました!(2)返事が来ました!(3)

返事が来ました(3)

損保ジャパン美術館から、3回目の返事が来ました。下記に、その内容を掲載します。

前谷先生から頂戴しましたメールにつき以下のとおり当方の考え方を作成致しました。

  1.「三幅対」の構成
    ゴッホがテオに宛てた書簡592(1889年5月)に「三幅対」が説明されています。
  この時点で<ひまわり>は弊社のものを含めロンドン、ミュンヘン、フィラデル
  フィア、アムステルダムの5点が既に描かれています。
   従って「三幅対」の構成としては、「黄色」と「青色」、「黄色」と「黄色」、「青色」と「黄色」、「青色」と「青色」の組み合わせが可能です。

    現実に米国のシルバーマン氏は<Van  Gogh  and Gauguin, the Search for the Sacred Art、Farrar,Straus and Giroux,New York 2000>で、カナダのオフシャロフ氏は<Vincent  van Gogh and the Birth of Cloisonism>で「黄色」と「黄色」 で「三幅対」を構成した組み合わせを呈示しています。
 またドイツのドルン氏は、左に「青色」、右に「黄色」の組み合わせを提示した上で、これ以外の様々な組み合わせがあることを
  「other  groupings  based  on  the  various  tones  become possible, Such arrangements can sometimes be found in books on Van Gogh, although there, of  course,  they  probably  result  simply  from  the  author or picture editor`s taste.」
  と<Gogh Museum Journal>の中で示唆しています。

  2.公開された「三幅対」
    一方、2001年9月シカゴ美術館における「ゴッホとゴーギャン;南のアト リエ展」において「三幅対」が初めて公(おおやけ)の場に出たわけですが、この時は、「黄色」と「黄色」の組み合わせを「三幅対」<Triptych>として展示していました。

    弊社で9月から開催される「ゴッホと花」展の企画が、2001年〜2002年にシカゴ美術館とアムステルダム、ファン・ゴッホ美術館で開催された「ゴッホとゴーギャン:南のアトリエ展」を基本としておりますことは既にお知らせのとおりです。

(Embedded  image moved to file: pic23281.pcx) 
(Embedded image moved to file: pic16827.pcx)

  3.「夢見る」という表現
    ゴッホは生前、誰からも評価されることなく37歳でピストル自殺しました。想像するにゴッホは自らの作品が評価されることを望んでいたであろうと思われます。書簡でもそうしたゴッホの想いが見られます。弊社では「三幅対」の展示 により、自らの作品が多くの人から絶賛されることを、ゴッホは「夢見た」であろうと考え、本展覧会において「夢見る」という表現を用いました。

(2003年9月14日13時04分)
 
このメールを頂いた時は、わりと落ち着いていました。下記メールを送りました。

返事ありがとうございます。
1.「三幅対」について
記載されている内容は、理解しました。
しかし、書簡592に描かれたシェーマでは、ラ・ベルスーズの左右の絵が、全く違うものとして描かれています。それは、そのシェーマを見たひとは、わかると思います。
また、事実ゴッホ「ひまわり」解説図録にも、違った形で、掲載してあります。ですから、「学者の意見がこうであって・・・、」という説明を、さらに「青の背景の絵は、今は借りれないこと。」展示される時は出すべきであると思います。
普通、<Triptych>というのは、三部作を意味して、それぞれが違う作品が集まって、ひとつの作品をなすのが普通です。同じ作品が左右に来るのは、おかしいはずです。
例えば、ひろしま美術館にレオナルド・フジタの三連祭壇画があり、これはキリストの受胎告知・三王礼拝・十字架降下になっています。
公開された「三幅対」では、それができなかった、それは借りれなかった今回も借りれないからできないという説明は必要だと思います。
2001年9月シカゴ美術館のことを知らない人の方が多いと思います。観られた人、皆が納得いく説明が必要なのではないでしょうか?

 2.「夢見る」という表現
これに関しては、おかしいと思います。ゴッホは、もうすでに栄光を勝ち得ています。本当のところは、宣伝文句であったということは、以前の返事からわかります。
また、ゴッホの書簡から、「彼は今は売れなくても、いつかは評価してもられる。」と述べてます。
「三幅対」だけを評価してもらいたかったのではないと思います。
むしろ、ゴッホの性格を考えると、自分の意図しない形で、だされた場合、怒ると思います。
ただ、これに関しては、これ以上追求しても、平行線をたどると思います。

私が、今貴美術館にして欲しいことは、ひとつ、それは「三幅対」について、皆が納得いく説明を提示すること、だけです。

そうでないなら、新聞社に投書を出して、「おかしいのでは?」と質問してみます。

追伸
前回のメールでの記載、失礼がありました。
そのことは、申し訳なく思ってます。


(2003年9月16日10時12分)
その後、返事は来ませんでした。9月20日から、、「ゴッホと花」展は、はじまりました。

 私は、今月末に、「ゴッホと花」展を観て来ます。展示を観た時点で考えますが、今でも、やはり何らか説明を展示するべきであると思っています。

 再度お聞きします。皆さんは、上のゴッホの描いたシェーマを見て、左右の『壷のひまわり』を見て、同じ絵を現していると思いますか?私には、そうはとても思えません。ひまわりの描かれている本数も違うのです。同じわけはないと思います。


戻る(オマージュ・ゴッホ)   戻る<壷のひまわり(2)>