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オマージュ・ゴッホ>ゴッホの考えた「三幅対」とは?>ゴッホの考えた「三幅対」について
「三幅対」と書いて、さんぷくついと読みます。宗教用語で、礼拝用の三連祭壇画を意味します。このことは、ゴッホの手紙の中では、英語で、『triptych』と記載されています。トリプテイック(祭壇背後の3枚折の画像)と訳されます。
このことが、ファン・ゴッホの手紙に出てくるのは、ゴッホからテオに宛てた手紙592で、1889年5月22日のものです。私は、クレラー・ミュラー美術館で買った本で、英語の原文の、その箇所を読んだのですが、英訳に自信が全くないので、『ファン・ゴッホの手紙』(二見史郎編訳・圀府寺司訳)みすず書房のものを紹介させて頂きます。また、手紙の中には、ゴッホが描いたとされるシェーマもあります。拡大したものが、下記です。
「こんな風な配置で並べる場合、『ラ・ベルスーズ』を中央に、二点のヒマワリを左右に置けば一組の三幅対になる。また、そうすると頭部の黄色とオレンジの色調が黄色の両翼の隣近でいっそう輝きを増すことになる。」と訳されています(『ファン・ゴッホの手紙』・341ページ)。
『ラ・ベルスーズ』とは、La Berceuse「揺りかごを揺する女」・「子守歌」の意味でモデルは、仲の良かった郵便配達人ルーランの妻であるオギュスティヌ・ルーランです。1888年の12月〜1889年の3月までの期間に、ゴッホは同じような作品を5枚描いています。ゴーギャンとベルナールにレプリカをあげることが、目的でもあったみたいです。ちなみに、ゴーギャンは、壷のヒマワリが欲しいと望んだのですが、オリジナル(ロンドン・ナショナル・ギャラリーのものか、ノイエ・ピナコテーク美術館のもの)はゆずらず、レプリカを作りました。そして、テオにゴーギャンの中の良い作品と交換するように指示しています。本当にゴーギャンの手にわたったか、結果は、わかってません。今回ゴッホと花に来るシカゴ美術館の『ラ・ベルスーズ』と私が観た『ラ・ベルスーズ』3作品を下記に示します。作製時期・大きさもわかる範囲で掲載しています。婦人の顔や背景が若干異なります。私個人的には、メトロポリタン美術館のものが好きです(私の記憶が正しければ、昨年の兵庫県立美術館のゴッホ展のものも、これではなかったかと思います。)
kさんという方から、掲示板に連絡がありました。図録によりますと、兵庫県立美術館のゴッホ展の『ラ・ベルスーズ』は、クレラー・ミュラー美術館のものだったそうです。連絡有難うございました。昨年年末に、メトロポリタン美術館で観た印象が強すぎたのかもしれません。申し訳ありませんでした(加筆)。
シカゴ美術館 | メトロポリタン美術館 | クレラー・ミュラー美術館 |
1月24〜28日 | 1月30〜2月3日 | 3月 |
93×74cm | 91×72cm |
あと、2作品は、ボストン美術館とアムステルダム市立美術館のものがあり、オリジナルはボストン美術館のものだと思います。製作時期が、1888年12月〜1889年1月21−23日とされていて、一番古いからです。大きさは、93×73cmです。ゴッホの手紙をもとに、「三幅対」をオリジナルとレプリカで構成すれば下記のようになるはずです。
ナショナル・ギャラリー | ボストン美術館 | ノイエ・ピナコテーク美術館 |
ゴッホ美術館 | シカゴ美術館 | フィラデルフィア美術館 |
『ラ・ベルスーズ』のレプリカは、シカゴ・メトロポリタン・アムステルダム市立・クレラー・ミュラー美術館、どれでも良い。
ところが、「ゴッホと花」の損保ジャッパン東郷青児美術館で作成しようとしている「三幅対」は、下記です。
借りられている「ひまわり」の作品は、アムステルダムのゴッホ美術館のものです。
このことは、ゴッホが意図した「三幅対」とは全く異なるものです。何でかわかりますか?
そうです。『ラ・ベルスーズ』の向かって右に来る作品は、必ずノイエ・ピナコテーク美術館のものか、フィラデルフィア美術館でなければいけないのです。それが、画家ゴッホの意図した「三幅対」なのです。それは、シェーマからも明らかですし、文面に「頭部の黄色とオレンジの色調が黄色の両翼の隣近でいっそう輝きを増すことになる。」と書かれ、原文に「in the wings」とあるのです。左右でひまわりの茎が斜めに延びて、鳥が羽を広げるような感じになるためには、左にナショナル・ギャラリーかゴッホ美術館・損保ジャッパン東郷青児美術館のひまわりが来て、右にノイエ・ピナコテーク美術館・フィラデルフィア美術館のものが来る必要があるのです。これで、左右が始めて対をなすのです。本来左に来るはずの絵が、二枚来ても対はできません。右も同様です。
ゴッホ美術館と損保ジャッパン東郷青児美術館のひまわりでは、無理なのです。
損保ジャッパン東郷青児美術館で買った、ゴッホひまわりの解説図録にも、向かって左からゴッホ美術館のひまわり⇒アムステルダム市立美術館のラ・ベルスーズ⇒フィラデルフィア美術館の3作品で、「三幅対」を作成しています。
パンフレットには、『ゴッホが夢見た「三幅対」日本で実現。』と誠しやかなことが書かれています。間違いの、「三幅対」を作成したうえに、この文章も全くの嘘です。ゴッホの手紙の書簡575の文章(1889年1月30日)『ルーランがやって来た時、ぼく(ゴッホ)は、ちょうどヒマワリの絵のコピーを描き終えたところだった。そこで、この4点の花束の絵の間に<ラ・ベルスーズ>を置いて、彼(ルーラン)にみせた』と書かれています。この時点で、ゴッホは今私が掲載したような、オリジナルとレプリカの「三幅対」を作って、ルーランに見せているはずです。このことも、損保ジャッパン東郷青児美術館で、ゴッホひまわりの解説図録に書かれてます。一度、実現しているものに、「夢見た」という表現はおかしいです。ただの宣伝文句なのです。私たち、一般市民を馬鹿にしているのです。抗議のメールを出そうか、それは大人げないからやめようか、まよってます。
正直なところ、ガッカリしています。皆さんはどういう風におもわれますか?感想を聞かせて頂けると有難いです。
結局、損保ジャッパン東郷青児美術館に質問のメールを出してみました。
今、誠意ある返事を期待しています。
次のページでは、ゴッホの『贈った作品』について述べます。
(2003年8月26日作成)
返事が来ました。
下記をクリックしてください。
中々の内容です。
返事が来ました!
(9月4日加筆)
さらに、やり取りをしています。
返事が来ました!(2)
(9月12日加筆)
開催前にメールが来ました。
返事が来ました!(3)
(9月22日加筆)
「ゴッホと花」展に行って来ました。その時の感想を述べます。
展示された「三幅対」
(9月29日加筆)