密集市街地で生活再建をめざした取り組み
〜富士見市鶴瀬東地区の事例〜

(株)まちづくり研究所 岸岡 のり子


2.地区の概要


2-1戦前戦後昭和年代まで

鶴瀬東2─1 地区は、土地所有者7名(うち1名は富士見市)で約0.6haの宅地で、 このうち3筆約0.57haには長屋が軒を連ね借地権が発生している。
「陣地地区」とは、昭和18年陸軍の要請により 農地を軍用敷地として貸与し(当時は接収に近かったのではないかと思われる)、13棟の兵隊宿舎(兵舎長屋)が建設された。 高射砲陣地であったことから、いまでも「陣地」という名称のほうが通りがよい地区である(写真─1、2、3)。
終戦後軍 より土地所有者へ土地が返還されたが、空襲で焼け出されて疎開してきていた東京出身者は帰るところがなく、村が軍に建物使用をお願いした。
また当時は食糧事情が悪かったため、菜園用地として使用してよいと土地所有者の配慮があったようだと聞いている。 昭和28年3月、大蔵省から居住者へ建物が払い下げられ、ここで借地権が発生した。
その後数度の地代改定が行われたが、租税に対して地代が見合わなくなったこともあり、昭和61年、地主のひとりが再開発を地元不動産業者に依頼し、立ち退きを求めた。 昭和63年12月には「借地借家人組合」が設立され、地主と借地人とが対立し調整困難となった。
本稿では主に合意形成の過程について実践の立場から、あわせて事業組立の特徴を紹介する。
次節では当地区の歴史について詳細に記述しているが、当事業の目的や採用している事業手法がこれまでの 経緯を十分ふまえて選択されてきていることをご理解いただけると思う。
写真1
写真ー1
写真2
写真ー2
写真3
写真ー3

2-2密集事業に位置づけられるまで

平成に入り、土地所有者・借地人の双方から市へ問題解決のための協力要請がされた。
この間、まず菜園地だけでもという土地所有者からの返還要求に対し、借地人は菜園地分の地代を供託するという状況がうまれ、これは現在に至っている。
平成4年5月、地主と借地人の間で借地権割合は6割という覚書が締結された。 平成5年1月には地区内で火事が発生し、古くなった木造長屋1棟はあっという間に火が回って住民はずいぶん怖い思いをしたと聞いている。
この間、借地借家人組合や「陣地環境問題を考える会」で勉強会や視察など行い、上尾の共同建替えも訪れている。
市は上尾の一連の事例等から、総合住環境整備事業として問題解決を図る方針とした。

2-3密集事業の進捗状況

平成5・6年度に住環境整備基礎調査を行い、 鶴瀬東地区全体の住宅・住環境・権利関係・居住者属性などについて調査した(表─1 )。
現況図面を作成する中で、問題の集積している地区が浮かび上がる。あわせて全地区にアンケート調査・訪問調査を行い、 生活実態を把握した。ブロック別懇談会で地区の状況について報告すると、生活者である住民は当然地区の問題を十分承知しており、 この状況を何とか改善したいという共通認識がうまれた。
特にこの地区は、借地という不安定な権利で、無接道の長屋群の老朽化、居住者の高齢化が進行しており、 自力更新を望めない地区であることが客観的にも明らかとなり、整備計画地区の中でもまず第一に取り組まなければならない地区として位置づけられた。
年度 地権者 事業
H5   住宅地区改良事業計画基礎調査
H6   住宅地区改良事業計画基礎調査
総合住環境整備計画大臣承認
H7   共同建替え促進
密集住宅市街地整備促進事業に変更(統合)
H8 5月検討合意
11月建設協議会設立
共同建替え事業計画
H9 4月〜建設合意に取組む 共同建替え促進
H10   建物調査・土地鑑定評価
H11  10月全員による建設合意  基本設計
権利変換の確認(年度内予定)
表1 密集事業の進捗状況