フェルメール作品の中で、その手(特に左手)を観ることで、作品を描いた作成年を類推できるという感じを以前より、抱いていました。その感は実際に作品を観ることによって、さらに納得できるものになりました。なお作品の描かれた年は、制作年別全作品の時のものに従っています。
実際に観た作品で、詳しく観ていきましょう。
1658〜59年 | 窓辺で手紙を読む女(部分) 感想(3の2)でも述べましたが、手紙を持つ手は、柔和というより、質実な感じで、日常働いている、手だと思います。 |
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1658〜59年 | 兵士と笑う女(部分) この手も、働いている感じのもので、実際に観た時、明らかに、何かを要求しているように見えて、そのことが凄く印象に残ってます(⇒フリック・コレクション)。 |
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1658〜59年 | 牛乳を注ぐ女(部分) この作品は、もともと働く女性のものを描いており、手も清楚で逞しい手です。 |
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1660〜61年 | 中断されたレッスン(部分) 楽譜を持つ音楽の先生と少女の手だが、そこのはゴツゴツとした感じはなく、繊細で柔らかな感じが出て来ています。 |
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1662〜65年 | 窓辺で水差しを持つ女(部分) この水差しを持つ左手が、最高ですね!柔らかく、奇麗です。また、光の影響が繊細に描かれてます。 |
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1662〜65年 | 青衣の女(部分) 妻・カタリーナを描いたとされるこの絵は、構図も含めて、『窓辺で手紙を読む女』に似通っています。 ところが、手の感じは、かなり違います。この作品の方が、優しくて奇麗な手のように観えました。 |
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1662〜65年 | 真珠の首飾りの女(部分) リボンを引く女主人の両手は、その場にあるように見え、特にこの作品では、右手の指の動きが美しく、女性の優しさと、華奢な感じを伝えて来ます。 目をこらしてみると、黄色もリボンが、女性の右手にあるのがわかります。実に実に、素晴らしい描写です(⇒参考・感想(1))。 |
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1662〜65年 | 天秤を持つ女1(部分) この作品になってくると、手が少しぼやけた感じになって来ます。このことが、作品の神秘性を増して来ます。 私には、この机に置かれたはずの左手が、どうしても宙にあるように見えました。つまり、女性は宇宙(地球?)に手をあてているように思えるのです。考えすぎかもしれませんが・・・(参考・感想(3の1))。 |
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天秤を持つ女2(部分) この作品の右手になってくると、指が随分細くなっています。やはり、少しぼやけた感じがあります。 作品を観た人は、この右手の小指に、中心があるのがわかると思います。 |
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1665〜66年 | 手紙を書く女性(部分) ワシントン・ナショナル・ギャラリーにある作品ですが、この手元が一番明るく、見る人の目があつまります。 筆ペンを持つ右手と、紙を押さえる左手、その丸みに、優しさ・エレガントさを、感じます。 |
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1667〜68年 | 女主人と召使い1(部分) フリック・コレクションにある作品ですが、色白で、実に繊細で、白魚のような左手でした。 |
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女主人と召使い2(部分) 女主人の手紙の上の筆ペンを持って置かれた右手と、手紙を持つ召使いの右手ですが、とても繊細で奇麗な描写です。 色の違いはあるものの、召使いの手にも、ゴツゴツとした感じは、ありません。 |
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1669〜70年 | レースを編む女(部分) 実際に観たこの手は、硬く少しロボットみたいでした(⇒ルーブル美術館(3))。 |
色分けしてみました。
私が感じたことが、正しいかどうかわかりません。
ただ、こういう風に観てみるのも、面白いと思います。
如何ですか?