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最終更新日: 2003年9月9日
 


■ 入院中 (2003.7.1 〜 2003.9.9)

2003/7/1(火)
 再度近くの大きめの病院に行き診察を受けた。鼻からファイバのようなものを通されノドの状態など見た後、「即日遅くとも翌日には入院してください。1週間ぐらい検査のあと、結果によっては2、3ケ月入院してもらうことになる」とのこと。
 あわてて妻に連絡をとった後、会社上司と同窓会支部役員に連絡をとり、緊急入院せねばならないことと場合によっては長期入院となる旨を伝えた。
 8月末に毎年開講している会社の教育講座の講座長もやっているため、副講座長に入院が長期にわたった場合の引継ぎをお願いした。
 病院ではまず尿や血液(7本)を採取された。X線で胸部撮影。なぜかツベルクリンの反応を見るとのことで注射。このため7/3のAMまで風呂に入れない。
 自宅に一度戻って入院の準備後、緊急入院した。病室は6階の6人部屋。夕方から病院の食事もとり始めた。食事内容は近年改善されていると聞いてはいたが、予想した以上に良いようにこのときは思った。

2003/7/2(水)
 入院したことがないので、何をするにも要領がよくわからない。ベッドわきに小型テレビと小型冷蔵庫があらかじめ組み込まれた縦長のキャスター付き家具があり、ここに棚や引出しがあるため、タオルや着替え、洗面用具、本などが入れられる。ベッドの下も靴やスリッパが入れられるような引出しがある。ベッドは電動もしくは手動で頭の側半分が角度を変えられるようになっている。足のほうも先端1/4が平らに持ち上がるようになっている。
 一日の大まかなスケジュールは、6:00起床、検温、7:30朝食。この間に看護婦さんが体温と血圧の検査・記録、便の回数などを聞きに巡回。12:00昼食。14:00〜15:00に看護婦さんが巡回。18:00夕食。19:00から20:00ぐらいに看護婦さんが巡回。21:30消灯。消灯後も22:00ぐらいまでは個別のスタンドでテレビ視聴や読書はしてよいようだ。なお、主治医の診察が毎日適宜実施されるが時間は日によってマチマチ。食事の30分前にはお茶が入った保温ポットが用意され、自由に飲める。洗面所の横には洗濯機、乾燥機があり、洗濯ができる。病院敷地内の散歩は自由にして良いが、敷地外に出るには外出許可が必要だ。院内には売店とレストランがある。新聞などはここで買える。雑誌は女性紙が多く本は健康関係のものが多い。
 本日は検査として下腹部の超音波診断を実施。CTスキャンのための造影剤を点滴。CTスキャンでノドの周辺を断層撮影。造影剤が体温を上げる作用があるのか、微熱が出た。

2003/7/3(木)
 鼻からカメラを飲んで食道までの状態を見る。のどの側から腫瘍部分を見ると白いカビ状態のものがビッシリ覆っている。細胞をとって病理に検査依頼するとのことで、3ケ所腫瘍の細胞を採取した。このとき中にたまっていた赤黒い血液状のものが流れ出て、腫瘍の真中がくぼんだ状態になった。このせいか微熱が出た。
 ツベルクリンの赤い領域を看護婦さんが計測、縦24mm,横22mm。その後何の処置もなし。
 月曜まで検査がないので夕方から月曜朝までの外泊許可・欠食届を出して、自宅で療養。

2003/7/4(金)
 生命保険会社に入院特約の条件を確認。1日5000円。1回最長120日まで。4日目まで免責とのこと。最長日数条件は初めて聞いた。今後このような契約時には条件詳細の比較や確認が重要である。
 治療はしていないので腫瘍が次第に大きくなっている。くぼみ状のところもすぐにもリあがってきただけでなく、周辺へはれが拡大している。痛みはない。その腫れが仰向けに寝ているときに重力でのどの奥の方向にすこし下がってくるため、寝ている向きによっては鼻からの呼吸が困難になる。睡眠中に何度か鼻から息ができなくなり、窒息しないか不安になり、外泊を中断し翌日朝8時に病院に戻ることにする。

2003/7/5(土)
 朝8時に病院に戻った。ここは火曜は外来で、火曜以外はナースセンター横の処置室にてにて入院患者の診察がある。時間は主治医の都合でマチマチ。
 診察を受けると気道はせまくなっていないとのこと。確かに口からは息がそれほど苦しくない。鼻からノドに息がとおる際に腫瘍が通路をジャマしていたために鼻からの呼吸が苦しくなっていたとわかって少し安心。
 同窓会支部の副幹事のTさんが作業の引継ぎのために病院まで見舞いに来てくださった。全面的に引き継いでくださりひと安心。
 ベッド横のテレビと冷蔵庫はプリペイドカード式で1日で平均約1枚(1,000円)使用する。1ケ月で約30,000円かかることになり、費用的にバカにならない。なお病院の規則では機器は充電対応のもののみ持込可で、病院のコンセントで充電して良いのは電動ひげソリのみとなっている。長期入院者は持ち込んだ充電機器が途中で使えなくなるわけであり、充電ぐらいさせてほしいものだ。

2003/7/6(日)
 朝診察を受けた後、夜8時まで外出許可・欠食届けを出して自宅療養。

2003/7/7(月)
 バリウムを飲みながらのノドを中心としたX線撮影。他への転移は認められない様子。「病理へ出していた検査結果が出た」とのこと。悪性とのことで、「今後の治療方針を説明するため家族に来てもらってください」とのことだったが家族の都合が合わず、翌日へ持ち越し。

2003/7/8(火)
 昨日家に連絡したときに家内が不在だったため、たまたま帰っていた長女に伝言を頼んだ。そのため、父がガンであることを知るところとなり、かなりあわてたらしく家内の母に連絡したため、本日家内の母が見舞いに来られた。
 夕方、病気の詳細と今後の治療方針の説明を主治医から妻といっしょに受けた。「扁桃腫瘍は結果であって病名は悪性リンパ腫。2ケ月強の期間にて化学療法と放射線療法を併用して治療をすすめる」とのこと。「赤血球、白血球、血小板などが副作用で減少するため場合によっては合併症などで命取りになる可能性もある」とのこと。
 「現在6人部屋で見舞い客の出入りも多く、耳鼻科以外の内科患者も相部屋のため、感染の恐れを減らすため2人部屋への移動が望ましいのではないか」と看護婦さん・婦長さんに打診。婦長さんからは「いずれにせよ白血球減少が著しい場合には病院として個室で面会謝絶にする」とのこと。

2003/7/9(水)
 リンパ線を中心とした超音波検査実施。悪性リンパ腫は扁桃腺、わきの下、ももの付け根などのリンパ節に腫瘍を作るため、腫瘍がでていないかの検査のようだ。
 骨髄液の採取・検査実施後に化学療法に入るとのことだったが、担当部門との都合が合わず翌日に延期。

2003/7/10(木)
 午前中に2人部屋に移動。骨髄液を3CC採取。麻酔をかけ、胸の骨に穴をあけ、そこから注射器で吸いだすが、2CC程度まではそれほどでもなかったが、3CCを吸いだす部分でキューっと痛みがキツかった。
 夕方から化学療法の点滴を3種類(CHO)各100CC点滴。化学療法は「CHOP療法を適用する」とのことだったので、病気の種類は非ホジキンの進行性の悪性リンパ腫であるものと見られる。 毎日飲むように薬が渡された。朝食・夕食後に飲む胃腸薬ガスターD(1錠/回)と白血球を増加させるホルモン剤プレドニン(時間帯で個数が違う。朝10錠,昼と夕は各5錠)。

2003/7/11(金)
 微熱。食欲がまったくないが、体力勝負とのことで無理やり口に押し込む。少し食べたらもう少し食べられそうな気がしたので、最後まで食べきった。化学療法のせいか、なんとなく腫瘍の表面がやわらかくなった感じ。

2003/7/12(土)
 入院前に長期出張していた先の仕事仲間のKさんの夫婦が大きな花束を持ってお見舞いにきてくださった。突然入院により穴埋めが大変な様子。予想したより元気そうだとの事で、安心して帰られた。
 腫瘍が少しずつ小さくなってきたのが感じられる。夜呼吸困難にならなくなったので恐怖感はなくなった。

2003/7/13(日)
 2人部屋の片方が空いていたが、Aさんが入室。腫瘍が目立たなくなってきた。食欲は相変わらずあまりない。「白血球がどれぐらい減っているかわからないので、大事をとって外出外泊は当面禁止」との事で、家族が毎日見舞いに来てくれている。
 火曜から放射線治療が始まる予定だが、副作用がどれぐらいあるか心配。

2003/7/14(月)
 朝5時から血液採取。ホルモン剤(プレドニン)摂取しているためか白血球は12,000ある。体が全体的にだるい。起き上がる元気が出ない。
 消化能力が落ちているようで、食物が胃に残留している感じ。胃もたれ。家族が元気をつけるためにいろいろ差し入れを持ってきてくれたが、食べる気がおきない。小便の出もいつもより悪い。日中に摂取した水分は通常は就寝前にかなり排尿するのに、明け方(たぶん4時頃か)にようやく尿意をもよおし排尿した。

2003/7/15(火)
 本日から放射線治療に入る。化学療法の副作用が残っている状態で大丈夫か少し心配。錠剤のプレドニンは今夜まで飲んでおしまい。午前中に放射線科で診察があり、午後に放射線照射のための位置決めのためのシミュレーションを行い、基準線や基準位置にマーカや線を顔や首、胸に記入。本日より1.5ガル/回で20回、計30ガルを照射するとのこと。順調に行って8/12に終了。なお体温が38.5度以上、白血球が2000以下(通常は3000から9000)、血小板が5000以下(通常は13万から30万)の場合には照射を中断するとのこと。おでこから胸線あたりまでを照射する。放射線の副作用として粘膜の損傷、宿酔、血液成分の減少などがあるとのこと。そのため、のどが痛くなる、唾液がでない、味覚がなくなるなどが起こるため、歯磨きは天然毛のものやスポンジで行うとか、うがいだけとし、刺激物や温度の高いものや冷たいものの摂食をしない、栄養価の高いなめらかなもの、たとえば温泉卵、牛乳、豆腐などをできるだけとるようにとの指示があった。 さっそく、家内が天然毛のハブラシと液体歯磨きを買ってきてくれた。(液体歯磨きは刺激が強いので結局使用せず)

2003/7/16(水)
 また尿の出が悪く、明け方になって大量に出た。尿の量をチェックするために毎回ビーカに尿を採って検査装置に入れている。
 朝からノドが少し乾燥しているように感じる。9:00ごろ放射線照射。毎日交互に前面と背面から照射する。本日は背面からの照射。まず仰向けに寝かされ、顔や首、胸に描かれたマーカに従って、位置あわせを5分から10分ぐらいする。マーカ全体がキッチリ合うように位置あわせをするため何度も顔や体をずらす。位置が合うと放射線技術士は別の部屋から照射する。照射時間は40秒ぐらい。妙な放電特有のニオイがする。
  昼頃耳の下のリンパが腫れて、触ると痛い。全身がひどくだるく、起き上がる気にもなれない。

2003/7/17(木)
 9:30ごろ放射線照射、その後診察。耳の下が痛いことを訴えたが、放射線照射特有の症状ではない様子。うなぎのかば焼きが食べたくなったので、家族に持ってきてもらった。食欲がない上に病院食は味がうすいので食事が進まない。午後同じ県内に住む姉の夫婦が見舞いに来られた。寝ているのも失礼かと思いベッドで座っていたが、結構疲れた。

2003/7/18(金)
 10:30ごろ放射線照射。体がダルイ上に、口の中がまずい。食事はムカムカして食べる気にならないが体力が落ちてはマズイので無理やり食べる。白ご飯は見ただけで気持ちが悪くなる。良い米をつかってないのか、ご飯自体にうまみがない。モチモチの少しコゲのある香ばしいご飯がなつかしい。主食をご飯から麺類に変えてもらうことにした。味噌汁とハムが食べたくなったので、家内に持ってきてもらった。ありがたい。代わりに子供たちに病院食をたべてもらったら「味がない」と言っていた。

2003/7/19(土)
 昨日までより体調が良い。放射線にも体が慣れてきたのかも知れない。土日祝日は放射線照射がないのでほっとする。

2003/7/20(日)
 病棟の洗髪コーナーで洗髪した。入院時に簡単に病棟を案内してもらったときには洗髪コーナーがある旨の説明がなかった。隔週土曜と日曜・祝日はシャワーを浴びることができない。その場合には洗髪ができることを事前に説明してくれてもよさそうなものだ。

2003/7/21(月)
 この3日は放射線治療もないので気が楽な上に、体も楽である。なぜこの病気にかかったのか、何を試練として学ぶためのものかは、後になってみればわかるのかも知れないが、何だろうか。単に無理をした肉体的な反動であろうか?この療養期間中に何か成し遂げたいものだが、治療が始まると何事もやる元気がなくなってしまい、ひたすら体調の悪さを耐えるだけになってしまうのがもったいない上にミジメである。午後家内の弟と家内の母が見舞いに来られた。

2003/7/22(火)
 朝5:00より採血。本日は頚部CTと放射線照射がある。放射線の位置決めマーカ線が一部消えかかっていたので、再度記入してもらった。白血球は3200。前回は6800、前前回は14000だったので毎回半減している。

2003/7/23(水)
 今日は明後日のガリウムシンチの検査(RI検査)のための注射を行った。これは注射したガリウムが炎症を起こしている部分や腫瘍部に残るらしく、検査でそれを撮像することで炎症部・腫瘍部を特定するらしい。残りは排泄されるが、腸内に残っていると炎症か排泄物か判別がつかなくなるので下剤プルゼニド4錠を渡された。

2003/7/24(木)
 朝5:00より採血。白血球は3700。前回より増えていてひと安心。小さい口内炎ができてきた。今日家内が実家に生えていた虫をエサに育つキノコ「冬虫夏草」を持ってきて見せてくれた。漢方薬としてガンに効くらしい。ただし漢方薬は人により効き目や副作用があるので、きちんと漢方医に相談のうえ服用することが大事。

2003/7/25(金)
 本日は10:00からガリウムシンチの検査。1時間ぐらいじっとしていないといけないため、疲れた。板を顔面近くに近づけて撮像するが、鼻に板があたっていたため、気になって仕方がなかった。その後放射線照射。
 家内の母が「読むと良い」と貸してくれた本にがん治療で気功を取り入れて効果をあげている病院が載っていた。今度詳しく調べてみよう。

2003/7/26(土)
 朝5:00から採血。白血球数は3100。外泊はだめだが外出許可は出た。今日、テレビを見ていたら、十朱幸代さんは60才なのに「若い秘訣は呼吸法」と言っていた。ゆっくり鼻から吸い込んで暫く止めゆっくり30〜50数えるぐらい時間をかけて吐ききるのをひまなときに1日30分ぐらいやるそうだ。素潜りの記録を持っているタレントの高木紗耶さんも40才なのに若く見えるがやはり呼吸法といっていた。1:4:2の割合で吸う:止める:吐くで呼吸する。ベストセラー「癒す心、治る力」のアンドルー・ワイルもその本の中で呼吸が重要といっている。
 @目を閉じて両腕はからだの脇におく
 A呼吸を変えようとせずにただ呼吸に注意を集中する。
 B息を吸うたびに「宇宙がわたしのなかに息を吹き込んでいる」とイメージする。
 C息を吐くたびに「宇宙が私から息を吸いこんでいる」とイメージする。
とある。ヨーガでも呼吸法が重要とされている。健康・長生き・若さを保つ秘訣の一つは呼吸法かもしれない。先日のがん治療に気功を取り入れているのも呼吸と関係があるかも知れない。
 本日15:00−17:00過ぎまで外出許可をもらって、本屋さん、食料品店、自宅で入浴した。スタミナがないので疲れた。夜、花火大会が病室から見えた。結構楽しめた。舌の下の口内に透明の水泡ができてきた。

2003/7/27(日)
 朝起きたら目の下にクマができていた。昨日の疲労がまだとれていないらしい。夜中自分のいびきで目がさめたので眠りが浅かったのかもしれない。口内の水泡はつぶれたのかペチャンコになっている。朝食のパンが飲み込みづらかった。唾液の分泌が少なく、通りが悪いのか、放射線で食道の内側が腫れているのかわからないが、水分の少ない食べ物を飲み込むときに食道を狭そうに通り抜ける感じ。
 まだ放射線照射が20回のうち12回残っている。気が重い。正直ヤメたい感じ。腫瘍が消えていても放射線を照射継続する必要があるのか疑問。

2003/7/28(月)
 朝、外を散歩した。気持ちが良い上に気分転換になるし、良い運動になる。先日自宅に外出したときにたった2時間の外出なのにヘバってしまった。
 家内が脇の下の方にシコリがあり、微熱があるとのことで、同じ病院で診察を受けた。「来週火曜日に乳腺に詳しい先生の診察を受けてください」とのこと。
 朝の採血の結果、白血球数は3500。

2003/7/29(火)
 昨日30分早足で散歩したため、昨日午後からだるく、微熱があったが、今朝も少しだるい。少し無理をしたようだ。ガリウムシンチの検査の結果は「特に異常なし」だったようだ。どこにも転移していない模様。ひと安心。
 栄養士さんが来てくれて食事内容を飲み込みやすいものに改善してくれるとのこと。最近、放射線の副作用で、パンなどは牛乳と一緒に飲み込むか牛乳に浸して飲みこむかしないと、唾液だけでは飲み込むのが非常につらい。唾液自体分泌量が少なくなっており、常にノドが乾く上、口の中がマズイ。以前は口の中が膜で覆われたような感じがしたが、最近はしょっぱいような苦いような変な味がしみ出てくるような感じ。唾液の分泌が減ると虫歯にもなりやすいとのことで、頻繁にウガイが必要とのこと。口の中がマズイこともあってウガイを頻繁に行っている。
 家内が熱が出てきたとのことで、急遽乳腺に詳しい先生の診察を受けたところ、シコリはガンの可能性はまず無く、水がたまっているとのこと。ひと安心。
 長女がババロアを作ってきてくれた。
 2人部屋の一方がしばらく空きになっていたが、本日よりOさんが入室。1週間ぐらいの入院らしい。

2003/7/30(水)
 夜中ずっと隣の人のイビキがうるさくて眠れない。もう入院してそろそろ1ケ月になる。朝の採血の白血球数は3400あまり。

2003/7/31(木)
 味覚がほとんど無い。特に塩味がわからないので、食事が進まない。髪の毛が放射線治療の副作用で恐ろしいほどに抜け落ちてくる。首の回りも抜けた髪の毛のせいもあってかゆい。口の端も口を空けると痛む。体がだるくてたまらず、ほとんどの時間をベッドですごすようになってしまった。体力作りのため散歩時間を少しずつ増やしていく計画だったが、散歩どころではない。

2003/8/1(金)
 朝採血。白血球は3800。ガリウムシンチの検査は特に問題なしとのことだったが今後の治療方針には変化がないらしく、来週から予定どおり化学療法も併用するらしい。外泊許可は出たが家にカゼをひいている人が多いので外泊するかどうかは決めていない。
 扁桃の腫瘍は肉眼でも確認できないので良くなっているのはわかるが、悪性リンパ腫としての治療経過はどうなのだろう?定量的に把握できる指標はあるのだろうか?今度主治医に確認してみよう。

2003/8/2(土)
主治医にこれまでの疑問点を質問し回答をもらった。
(Q1) 扁桃腫瘍は肉眼でもガリウムシンチ検査でも無くなっているようです。放射線の照射範囲が普通より広いので副作用がひどくて体がつらいのですが、照射範囲や回数を減らすことはできませんか?
→(A1) やめるとまた腫瘍が出る可能性がある。しつこく治療しないといけない。腫瘍が出ると治療は最初からやりなおさないといけなくなる。このまま継続する。
(Q2) 悪性リンパ腫の治療の進み具合を計測できる指標は何ですか?血液中の悪性リンパ球の数を計測できるのですか?
→(A2) 血液中に悪性リンパ球はみつからない。見つかると別の病名(白血化)となり手遅れに近い。今は悪いリンパ球が扁桃に集中しており他のリンパ節への転移は見つかっていない。悪いリンパ球がリンパ線を通って他のリンパ節に行きやすいので集中的に扁桃のリンパをたたいているところ。治療進度の直接の指標はないので、腫瘍の具合や症状などから総合的に判断。血中のLDHという値を参考に見たりするが、あなたの場合は元々高い値ではないので、あまり参考にならない。( ※LDH=乳酸脱水素酵素)
(Q3) 退院後の通院頻度は?
→(A3) 2週間に1回。(水曜日)
(Q4) 再発防止に向けての留意事項などは?
→(A4) 発病の原因はわかっていない。退院近くなって詳細説明する。
(Q5) 悪性リンパ腫の寛解とは血中の悪性リンパ球がなくなることか?
→(A5) 寛解かどうかは明確に判別できない。腫瘍の具合などから総合的に判断。
(Q6) 参考になる本は?
→(A6) 家庭の医学にも悪性リンパ腫のことが少し出ている。それ以外は専門書となり難解。
(Q7) 職場に近いところに引っ越した方が良いか?
→(A7) ストレスがかからないことが体には良い。
 家内が同席していなかったので、月曜の4時か5時ぐらいに主治医への質問の時間をとっていただけることになった。正確な病名を聞いていなかったのでその時に聞いてみることにする。

2003/8/3(日)
 月曜朝の採血の結果が良ければ2回目の化学療法を併用するとのこと。併用して体が大丈夫か不安。
 また髪の毛がバサバサ抜けてくる。鼻を少しでも強くかむとすぐ鼻血がでる。相当粘膜が弱っているし乾燥もしている。近くの病室にすごく咳をしている患者がいるのが気になる。昨日から暑くなってきた。右下の奥歯の奥が歯肉炎のような感じでもあり親不知が出てくるような感じでもあり痛みが続いている。
 ここ数日の疲れも以前よりひどい。夕方本屋と自宅でのシャワーで1.5時間ぐらい外出した。

2003/8/4(月)
 朝採血。白血球数は4700。明日化学療法の2回目を行うとのこと。主治医への質問を家内と一緒にした。正式病名は「B細胞/びまん性大細胞/B細胞 悪性リンパ腫」非ホジキンとのこと。

2003/8/5(火)
 となりのOさんが退院した。来客が面会時間以外にも来てうるさかった。罪滅ぼしにテレビカードの余りと豆乳の菓子箱をいただいた。今晩はいびきを聞かずにゆっくり寝られそう。午後から化学療法の第二回目としてCHOを100CCずつ点滴。またプレドニンを朝10錠、昼・夕各5錠、朝と夕はガスター10を各1錠。37.3度の微熱。

2003/8/6(水)
 同室にKさんが入室された。昼間っからイビキが強烈にウルサイ。こりゃ夜は寝られまい、と観念していたら午後6人部屋に移られた。元々費用面(差額ベッド代)から6人部屋を希望されていたらしい。

2003/8/7(木)
 朝採血。プレドニンのせいで白血球数は9300に急増。体が非常にダルイ。
 昼にHさんという方が入室。扁桃腺が腫れていて熱があるとのことだが、伝染しない病気か心配。
 先日栄養士さんが来られてやわらかいおかずに変えるとのことだったが、メインは白身魚の煮物がほとんど。たまにハンペンを煮たり焼いたり炒めたりしたもの。付合せはブロッコリと人参のサラダかスープ煮ばかり。もう一品は芋の煮たもの。さつまいもが一番多く、たまに里いもかじゃがいもが出る。白身魚の煮物+ブロッコリのスープ煮+さつまいもの煮物の組み合わせが一番多い。ワンパターンでちょっと飽きてきた。

2003/8/8(金)
 となりのHさんのいびきが夜中じゅううるさくて寝られない。おまけにいびきが止んだかと思ったら、朝の3時頃に部屋の電気をつけて体温を図ったりガチャガチャうるさい。耳栓をしても完全には聞こえなくならないし、膨張型なので長時間装着していると耳が痛くなってくる。時々咳をしているので伝染してはマズイと思ってマスクもしているので、それもあって眠りが浅い。 看護婦さんに「本当に感染の心配は無いか?うるさくて眠れないので耳栓を貸してほしい」と頼んだのが功を奏してか、となりの二人部屋が退院でちょうど空いたのを機に部屋を移動させてくれた。これで安眠できそう。 体がだるい。

2003/8/9(土)
 今日は台風。家族も夜にしか来れそうに無い。毎日ベッドから間近のテレビを見ているか本を読んでいるかのどちらかの時間が長いので、視力が落ちたような気がする。また目が疲れやすい。本日でプレドニンの錠剤は終わるとのこと。最近必ず明け方の3時か4時ぐらいに尿が膀胱に一杯になってトイレに起きる。このせいで睡眠不足気味。体はだるいのだが、運動してここちよい眠たくなるだるさではなく、体がやるせない感じ。したがって起きてなにかをする気にもなれず、かといって良く寝られるわけでもない。

2003/8/10(日)
 今日は台風一過で暑くなるらしい。外出も日暮れ後か。やはり頭がすっきりしないし、体もまだだるい。あまり長時間外出しないほうがよいかもしれない。先日主治医から「2ケ月ぐらい自宅療養が必要」と聞いたときには「大げさな」と思ったが、長時間の通勤と過酷な労働に耐えるだけのスタミナを取り戻すには、やはりかなりの時間がかかるかもしれない。体重が59.7kgに落ちている。運動もせずに家族の差入れも食べているのに体重が減っているということはいかに治療の身体への負荷が高いかがわかろうというものだ。
 盆が近づいて実家の両親が帰省を楽しみにしているので、「今年は入院していて帰れない」旨の電話をした。病気についても心配をかけないように話したつもりだが、親だけあって心配していることだろう。今まで心配をかけないように電話もしなかっただけに、一応連絡できてほっとした。自分で電話して元気な声を聞かせられたので、親も少しは安心したと思う。

2003/8/11(月)
 昨日から持病の不整脈がひどくなっているような気がする。時々心臓に負荷を感じる。プレドニンで白血球数が1万以上あり、血液がどろどろ状態で心臓に負荷がかかっているのではないか?

2003/8/12(火)
 朝採血。白血球数は5200。 昨日、持病の痔と不整脈の話を看護婦さんにしたら、早速本日外科で痔の診察があり、不整脈についても心臓のX線写真と心電図をとるとのこと。痔は小さいが残っているので注入薬で治療。念のため潜血便検査も行うとのこと。
 本日で放射線照射がやっと終わった。自分では見えないが、扁桃腫瘍は平らになってはいるものの、白いアトがあるらしい。舌の味覚は戻らない人もいるとのこと。治療で残りの人生が味がしないとなると、文字どおり味気ない人生になってしまう。早く良い治療法が出てほしいものだ。
 家内が夜セキが止まらないということで耳鼻科の診察を受けた。胃から上がるものを抑止する薬と抗アレルギー剤が処方されたが、後者は花粉症のときに飲んだがちっとも効かなかった薬とのこと。
 同室の人が入ってきた。またいびきがうるさい。また寝られないかも。
 7月分の医療費請求書がきた。2人部屋で差額ベッド代も含まれるので、金額はこんなものかも知れないが、請求書が渡された日と支払い期限の間が当日含め3日ぐらいしかない。請求書作成日付は結構早い日付なので本人に渡されるまでに病院内で5日ぐらいかかっていたようだ。どうなっているんだろう?

2003/8/13(水)
 やはり一晩中となりの人のいびきがうるさくて寝られなかった。
 不整脈に関し、循環器内科の診療を受けた。24時間ホルター心電図計を明日つけるとのこと。また8/29に心臓の超音波検査実施の見込み。
 本日は曇天なので、暑くも無く雨でもないことから外を散歩した。足の筋肉が細っているので足がガクガクになる上、スタミナが無い。10分も歩くとヘトヘトになる。食道が先週よりさらに狭くなっており、液体かドロドロ状態になるまで噛まないと飲み込めない。
 潜血便検査の1本目を提出。
 夜うるさくて眠れないので、睡眠導入剤LendorminD 0.25mg/錠を出してもらって寝た。

2003/8/14(木)
 寝つきが良かったわけではないが睡眠導入剤が良かったのか夜中いびきで起きることなく眠れた。
 朝採血。白血球数は4500。24時間ホルター心電図計を装着。先週末は心拍の乱れをすごく感じたが、この2日ぐらいは感じない。マーフィーの法則を思いついた。「検査のときほど症状が出ないで調子良い」

2003/8/15(金)
 37.6度の微熱。右のあご舌の唾液の腺らしきあたりを押さえると痛い。アイスノンで冷やすと気持ち良い。唾液が異様な匂いがする。これが口内を刺激しているのか、別のものが刺激してこのねばっこい臭い唾液がしみるのか、口の中だけでなく舌の表面も痛い。口の中すべてが痛く、舌が動かずうまくしゃべれないし、何を食べても舌が痛くて冷や汗がでる。舌の側面が白や黄色や赤でボコボコに変色していて見るからに痛々しい。放射線照射を終えて3日目にもなるのに、口の中に関しては日に日に状態が悪化している。

2003/8/16(土)
 朝採血。白血球数は4000。熱は平熱。外泊の許可は何とか出たので15:30より外出。いびきをかく人がいないので睡眠導入剤を飲まずに寝たら、口の中が痛くて夜中に何度も目がさめた。

2003/8/17(日)
 夜20:30頃に病院に戻った。やはり自宅で過ごすのは幸せだ。
 放射線を浴びていた後頭部の毛が抜けてしまった後の皮膚がここ数日ボコボコに腫れていたが、そこから透明の汁が出ている。

2003/8/18(月)
 朝採血。白血球数は4100。3回目の化学療法は前回8/5の3週間後に行うとのこと。通常3週間空けないといけないらしい。今週は治療が何も無いのでほっとする。口の中が痛いのを緩和する(痛みをマヒさせる?)うがい薬をだしてもらった。夜中に痛くて目がさめることは無かった。

2003/8/19(火)
 同室のHさんが退院した。やっと眠れるか?すぐに次の人が入ると思うがうるさくない人であることを願う。

2003/8/20(水)
 それほどダルくないのと天気が曇りなので病院の敷地内を散歩。最近よく四つ葉のクローバーを見つける。もう3個もたまった。
 夜テレビを見ていたら家内の渋谷のおじさんが出ていた。「春の小川」の歌の小川は渋谷にあったというトリビアの解説に出ていた。
 会社の教育講座の副講座長のメールに良さそうな本の話があった。ガンを克服して自転車レースで優勝した人の話で「ただマイヨジョーヌのためでなく」という本。

2003/8/22(木)
 朝採血。白血球数は3500。舌の痛みは少し薄らいだ。食道の腫れも少しマシになってきた。味覚は依然回復しない。歯茎はまだ腫れて痛い。薄皮を1枚1枚はぐようにわずかずつではあるが、副作用・後遺症から回復しつつある。

2003/8/22(金)
8/25から3回目の化学療法を実施するとのこと。その後2週間から3週間弱で退院できるらしい。 土日の外泊許可が出た。嬉しい。

2003/8/23(土)
 朝9:00に迎えに来てもらって自宅に戻った。家族と過ごせるのと食事がおいしいのがうれしい。

2003/8/24(日)
 先週の外泊時は寝てばかりいたが、今回はかなり回復したのかかなりの時間起きて行動できる。口の中の痛みもだいぶん収まったので食事もかなり進む。
 先週後頭部で汁がでていた部分がかさぶた状に固まって皮膚に貼りついている。放射線をやめてそろそろ2週間にもなろうというのに、髪の毛は毎日抜けつづけている。特に後頭部は下部はかなり前にすべて抜けその上もかなり薄くなってきた。ヒゲも7月下旬ぐらいから剃っていないが、顎の部分はすべて抜け中学生のようにスベスベで生えてこない。もみあげの下も2ミリぐらい伸びたまま全然伸びない。そういえば髪の毛も7月上旬に病院の床屋で切ったままほとんど伸びていない。この床屋の名前は「オチャメ」。髪型がかなりオチャメになった。

2003/8/25(月)
 朝採血。本日午後より3回目の化学療法に入った。会社の勤怠は有給休暇も少なくなり、有給休暇のカット分を一定分病気の際に使用できる有給休暇も使い果たした。傷病欠勤で欠勤届にするとボーナスはカットされ、人事考価にも影響するが15年以上勤務の場合9ケ月まではそれほど月給が減ることなく支給されるらしい。9ケ月以上休むと自動的に傷病休職となり2年間は給与の半分が支給されるが、それ以上休職すると自動的に退職となるらしい。生命保険の入院特約を調べたところ、1疾病の1回の入院は120日以内、通算700日以内となっていた。

2003/8/26(火)
 会社の上司、同僚が見舞いに来てくれた。同僚の一人は今年始め肝臓ガンで入院していたがその後退院し職場に復帰している。自分で読んで良かったとのことで食事療法(ゲルソン療法)でガンを克服する本を貸してくれた。
 ここ数日、向かいの内科入院患者の切ない声(おもに看護婦さんを呼ぶ声と呼んでもすぐ来てくれないことに対する不満の声)が終日聞こえるのが気になる。いろいろ看護婦さんにやってほしいらしいのだが、看護婦さんも他の患者さんもいるので忙しいのとあまりに頻繁に呼ばれるためか、双方で不満がある様子。
 今回入院してみて、患者、医師、家族の間での介護やケアの難しい問題についてつくづく考えさせられる。

2003/8/27(水)
 化学療法の影響か、吐き気とだるさと口の中のまずさを感じる。昨日貸してもらった食事療法の本をほぼ読んだ。
  これは星野医師という精神科の医師が大腸ガン、移転肝臓ガンで5年生存率0%を食事療法(ゲルソン療法)で克服して現在も元気にしている体験に基づくもので、食事療法自体は外国のゲルソンという医師が開発したものを改良している。
  基本的にガンは体全体の栄養バランス、免疫バランスが崩れていることに着目したもので、免疫力を高める食事療法を適用するもの。オリジナルは食塩を一切とらない、動物性蛋白も一切とらない、油も亜麻仁油・えごま油・しそ油など特定種類のものに限定し熱を通さないで摂取する、豆類やナッツもダメ、コーヒー浣腸をする、野菜ジュースを3リットルぐらい毎日とる、などの厳格かつ実行困難なものだが、星野医師の改良版はかなり緩和し、実行しやすいものになっている。ただし、尿療法という朝1番の尿をコップ1杯飲むことを勧めている。これは少し実行に抵抗がある。ただしオリジナルで禁止している豆類やナッツは奨励しており、これは賛成である。古来から何千年も継続してきた食生活より現代生活で急に摂取量が多くなった肉類や糖類・塩分・油分に問題があるのであり、穀物・野菜・豆類・ナッツ類・果物・海藻類・貝類はどんどん食べて問題ないと思われる。次いで適切な量であれば、乳飲料・魚類なども良いような気がする。

2003/8/28(木)
 朝採血。白血球数は9700。プレドニンの効果。肝機能も落ちていないとのこと。
 午後から心臓超音波検査。これはガンの関係でなく不整脈関係の検査。

2003/8/29(金)
 不整脈関係で内科の診察があった。「どこも悪くなかった」とのことでひと安心。会社の検診で心電図再検査や「左心房肥大の傾向あり」などの気になるコメントが出たり、不整脈がひどいときには心臓が少し痛む感じがしていて気になっていた。入院中は過度のストレスが無いので、不整脈や痔もひどくならない。仕事のストレスは本当に健康に悪い。
 昨晩、免許取りたての時にファミレスの駐車場で後ろを良く確認せずにバックした時に後ろの車のバンパーにぶつかったが、その車の人はたいしたことないからと、住所の確認もお金も受け取ることも無く、謝罪しただけで許してくれたことを何故か思い出した。
  バンパーがそれなりにへこんでいたので修理すれば何万かかかったのではないかと思う。日頃思い出すことはないが、潜在意識にはあの時もう少し先方を気遣った対応をしていればという思いが刻まれていたのかもしれない。
  いずれにせよ人間はいろいろな人に支えられ助けられて生きていることを実感するとともに、それらを受け取るだけでなく与えていかねばならない。それを実感したことが最大の収穫かも知れない。のど元過ぎれば熱さ忘るるにならぬよう、この気持ちを維持しつつ生きていかねばならない。

2003/8/30(土)
 朝採血。白血球数は6900。昼に家内が迎えに来てくれ、自宅に戻った。ゲルソン療法をまねて食事前にニンジンジュースを毎回300mlぐらいずつ飲みはじめた。そのせいかくさくないおならが良く出るようになった。肉類をできるだけやめ、油を使用した調理を減らす。どうしても油を使う場合はオリーブオイルを使う。塩分を控える。そのため減塩しょうゆを買ってきた。また精製された砂糖はやめ、黒砂糖やきび砂糖を使用する。甘いものも控える。
 以前から家内が持ちこんで食べさせてくれている玄米がゆ・玄米ごはんも継続している。圧力釜で炊くとやわらかく味わいがありおいしい。モロヘイヤのおひたしも良く食べる。モロヘイヤや納豆、オクラ、メカブ、もずくなどヌルヌル系の食物はガンにも良いようだ。自宅で家族とともに家内の作ってくれた食事ができるのはこの上なくありがたい。

2003/8/31(日)
 ゲルソン療法の本を貸してくれた同僚にメールしてどれくらいやっているか聞いて見た。彼は毎日ニンジンとリンゴを生食しているらしい。ニンジンを毎日生食するのは結構大変そうだが頑張ってやっているとのこと。さすがに尿は飲んでいないとのこと。野菜中心、塩分控えめ、サプリメントなどで対応しているとのこと。
  インターネットで青汁を調べていたらF社がコンビニで冷凍青汁を1袋100円ぐらいで販売しているとのことなので、家内に買ってきてもらった。全国どこのコンビニでも買えるなら出張などでも入手でき便利だ。しかもそれほど高価でないのが嬉しい。
 病院に夜戻ると二人部屋の病室の一方にNさんが入室していた。扁桃腺が腫れていて熱があるらしい。

2003/9/1(月)
 朝採血。白血球数は5000。F社の青汁を飲んでみた。おいしくはないが、思ったほどまずくもない。午前中非常にダルイ。昨晩となりがバタバタしていて眠れなかったからか、青汁が強烈だったのか、原因は不明。

2003/9/2(火)
 同室のNさんが個室に移ったのと入れ替わりにEさんが入室。
 夕食事に久しぶりにカレーを食べたら、何もしていないのにひとりでに鼻血が出た。まだ粘膜が回復していない上に香辛料で血管が拡張して血が出たのだろう。自分が思っているよりは体は回復していないようだ。

2003/9/3(水)
 朝採血。白血球数は3600。隣の人が朝の4時過ぎからテレビを見ていた。ちょっと迷惑。

2003/9/4(木)
 隣の人が夜中じゅうテレビをつけていた。見たり寝たりしている。隣に光が漏れていて迷惑がかかっていることがわからないらしい。今日退院されるらしいので言わないが、本当に迷惑。
 夜寝る前に鼻血がまたポタポタ出た。

2003/9/5(金)
 朝採血。白血球数は3700。月曜日再度採血して良ければ火曜日退院とのこと。月曜の17:00頃から家族とともに主治医の話を聞く予定。

2003/9/6(土)
 9:00頃に迎えに来てもらって自宅に外泊。ゲルソン療法に出ていた亜麻仁油を家内が通販で注文していたのが届いたので早速飲んでみる。少し苦いような味がしたが大さじ1杯飲めば良いので飲むのに苦労することはない。気のせいか少し肌がしっとりしてきたような気がする。亜麻は日本では現在栽培されていないらしく、通販のものはどれも外国産。酸化して日持ちがしないので、できれば国産があれば国産にしたいのだが。北海道の農業振興策か何かで栽培してくれると良いのだが。250CCぐらいで2000円ぐらいするので、十分採算がとれるような気がするがどうだろうか。

2003/9/7(日)
 午後から会社の別の部署の方が見舞いに来られた。結構会社にも難病、持病をごまかしながら仕事をしている人が多いらしい。
 自宅でも横にならず、病院でも見舞い客がいる間は横にならなかったせいか微熱がある。
 インターネットを見ていたら免疫を高めてガンを直すという、いつも自分が本来そうあるべきと思っていたことを唱えている医者が「爪もみ療法」というのを推奨していた。やり方が載っていたので、半分だまされたものと思ってやり始めた。血行が良くなるのか手足が暖かくなるような気がする。

2003/9/8(月)
 朝採血。白血球数は3800。安定している。明日退院して良いとのこと。。夕方主治医から今後の治療および注意事項についての話を聞く。
【治療計画と注意事項】−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
・通院は水曜午後。最初は毎週。徐々に2週に1回とか間隔を空けていく。まずは来週水曜の午後。水曜の午後は予定を入れないように。
・ガリウムシンチとかX線での検査は通院時に行う。
・自宅療養期間は2から3ケ月。無理をするとぶり返してゼロからやり直しになり、余計に時間がかかることになるので無理をしないこと。
・強化療法として化学療法をまず2、3ケ月後に1回やる。2週間の入院と1週間の自宅療養。全部で5から6回行う。(3回やったのであと2から3回)  途中で再発が見つかればすべてやり直し。
・ストレス,寝不足,疲れ、カゼなどは可能な限り避けるよう意識的に努力せよ。職場の協力も可能な限り得ること。
・たばこ、お酒は当分ダメ。
・食事は何を食べても良いが体力や免疫が落ちているのでなるべく栄養価の高いものを食べる。
・会社への出勤可否判断は体の状態と職場の配慮具合で時期を調整。
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2003/9/9(火)
 朝、退院診察と元々の放射線科、内科の診察、退院手続き、荷物のまとめがすべて10時までに終えないといけなかったため、バタバタした。
  放射線科で胸部X線写真を撮影。放射線療法の直前と現在の胸部X線写真を比較して医師が一言何か言った。「肺がつぶれている」と言ったように聞こえた。何かの聞き間違いかと思って「どういうことですか?」と聞いた。「放射線が照射されていた部分の肺がへこんでいる」と医師は言った。「時間がたてば元通りに回復するんですよね?」と聞いたら「いや、一生治らない」と事も無げに言われ余計ショックを受けた。
  医師は可能性のある副作用を全部並べてこのような副作用があるが治療を進めてよいかを患者に事前に確認したり、選択肢があるならそれらについて説明したりしないんだろうか?少なくとも私の仕事では複数の選択肢があればメリット・デメリットを比較し、どのトレードオフを選択するのかお客様に最終的な選択をしていただくようにしてきた。医学の世界では普通ではないのだろうか? 放射線療法での味覚障害は一生直らないこともあることを聞いたのも、放射線療法がかなり進み味覚が無くなってきたので、どれぐらいで味覚は回復するものか聞いたときだった。一生直らない副作用なら治療を開始する前に確認して欲しいものである。もし私が料理人だったらどうする気だろう?味覚が戻らない=元の職業に戻れないことを意味する。そしたら化学療法だけまずやってみるとか、他の医者を探すとか、放射線療法を受けない選択肢を取るかもしれないのだ。医師は極力患者の側に立った治療の進め方をしてもらいたいものである。
 10:30に会計を終えて看護婦さんにお礼と花を渡して退院。
 以前鎌倉に住んでいたときに家族ぐるみでおつきあいさせていただいた英語の先生からお守りと励ましのお手紙が届いた。他人でありながらここまで気遣っていただきありがたい。
 親、兄弟、会社の人、同窓会支部役員などに退院した旨を連絡した。皆、ひとまずホッとした様子。