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描かれた女性

 「水差しを持つ女性」のひとつのポイントは、やはり描かれた女性の繊細さでしょう。実に奇麗な魅力的な女性が、右手で窓を開けて、左手に水差しを持って、窓の外を窺っている。となると、次に彼女がすることは?ここからは、私の推測です。そうです、水差しの水を捨てようとしているのだと思います。このことは、フェルメールの絵では、大きな意味を持ちます。水差しが、節制を意味するからです。ですから、私には、この絵は、「真珠の首飾りの女」の女性のように、「恋に走る女性」を描いたような気がしてならないのです。こうやって、Catch eyeしてみると、女性のウエストは細く、顔もとても奇麗で、迷いがないように、私には見えます。



マウスポインタを写真の上に載せてみてください。

普通に観られます。

 「尼僧のような白頭巾の女性。」(⇒フェルメールの眼・水差しを持つ女・39ページ)そう、すごく清楚な女性に、見えます。そうなると、私の考えは、間違いかもしれません。この白い被ったものを、別の本では、「若い女性は、糊のきいた白いスカーフとレースの縁飾りを着けている。」(⇒VERMEER・良い模範に導かれて・62ページ)と、記載されて、さらに透き通ったレースを丁寧にフェルメールが描写していることを記載している。(愛がこもった描写)であることは、間違いないと思う。

    

 「この女性は、所有物を吟味する葛藤のなかにいる。」(⇒VERMEER・良い模範に導かれて・64ページ)と、記載されていますが、私は彼女は、すでに心を決めて、水差しの水(=節制)を捨てるタイミングをはかっているように思えてなりません。


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