まちづくりの考え方・すすめ方〜個別意向の積み上げによる合意形成

まちづくり研究所 田村孝平 丸山 豊 杉田典夫


     

長崎市・斜面住宅市街地再生事業のとりくみ

(日本住宅協会、「住宅」2000年12月号掲載)
(株) まちづくり研究所 丸山 豊
 平成9年度より、長崎県長崎市において、斜面住宅市街地の再生事業に取り組んでいる。
 積年の願いであった生活道路の整備を契機に、自らの生活再建を図ろうとする地域住民と、その願いに真摯に応えようとする長崎市役所との、共同建替えを柱にすえたまちづくりの物語である。  

1.はじめに(長崎市の概要)

1-1 坂のまち長崎)


 深く入り込んだ長崎港を取り巻くように発展してきた長崎の街は、港にそそぎ込む河川沿いの僅かな平坦地と、  それに連なる斜面地に形成された歴史ある「坂のまち」である。実に、市街地面積の約7割が、傾斜度5度以上、標高20m以上の斜面地となっており、  海と川と市街地と山とが渾然一体となった人口43万人のコンパクトシティである。

1-2 坂のまちの抱える問題


 この斜面住宅市街地は、段々畑を這い上がるように形成されてきたため、  そのほとんどが狭あいな坂道や階段道に覆われており、車の通れる生活道路は僅かにしか存在していない。  このため、日常の階段道の上り下りはもとより、車輌を使った消防・救急活動や宅配サービスにも支障をきたしている。
 一方、劣悪な接道条件は、住宅の更新を阻んで老朽住宅を集積させ、車道のない不便さと住宅の不足が若年層を中心とした人口の流出をまねき、  地区の高齢化率を高めている。高齢化の進行は、さらに老朽住宅の更新を阻み、総体として地区の活力を低下させる悪循環に陥っている。

1-3 斜面市街地再生事業の取り組み


 長崎市では、このような斜面市街地が抱える問題を総合的に解決するため、密集住宅市街地整備促進事業の導入をはかり、 公共の地区施設整備と民間の共同建替え事業の一体的な促進によって、安心して住み続けられるまちづくりに取り組んでいる。
 これまでに、十善寺地区、江平地区、稲佐・朝日地区、北大浦地区、南大浦地区の計5地区が整備計画の大臣承認を受け、  今年度、さらに2地区で整備計画の策定に取り組んでいるところである。

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2.稲佐朝日地区のまちづくり


2-1 地区の概要

 今回紹介する稲佐朝日地区は、浦上川や長崎港を挟んで中心市街地の対岸に位置し、標高 333mの稲佐山の中腹に広がる32haの地区である。
 歴史的には、近世商業都市長崎が、明治期に始まる造船業あるいは大正期の以西底引漁業などによって近代都市へと変貌を遂げた中心地の一部であり、  これらの造船や水産業に従事する人々の住宅地として形成された斜面市街地である。
 中心市街地に隣接しながらも、豊かな自然環境に恵まれ、稲佐国際墓地などの歴史的遺構が残存するなど、立地条件は優良といえる。
 一方、道路をはじめとする地区施設の不足や老朽住宅の集積は、住生活に多大な不便と不安を投げかけ、若年層を中心とした人口の流出を招き、造船業や水産業の衰退と魚市の移転がこれを加速させる結果となっている。

2-2 住み続けられるまちづくり

 稲佐・朝日地区のまちづくりの基本は、「住み続けられるまちづくり」にある。坂段の上り下りに耐えられない高齢者の生活を支えるために、  利便性を当然の要求とする若者が地域内に戻ってこられるように、「せめて一本の車の通れる生活道路を」という地域住民の切実な願いに応えるものである。  また、「古くなった住宅を建て替えたいが、建築基準法や資金調達がネックになって建て替えられない」という問題に応えるものである。

2-3 従来の整備手法の問題点

 この願いに対して、従来の街路整備の手法で取り組んだのでは、道路整備にあたった人を地区外に追い出すことになる。住民のための道路整備が、  住民を追い出す結果になっては、何のための道路整備か分からなくなってしまう。また、道路から少しでも離れた住宅は改善されず、若者の住む新たな住宅も確保できない。これでは事業をする意味がない。

2-4 共同建替えの提案

 この矛盾から抜け出すためには、これまで一・二階建てで建て詰まっていた住宅を、少しだけ縦に積み重ねて用地を生み出す以外にはない。  いわゆる共同建替えの手法である。今まで地域に暮らしてきた人たちみんなが住み続けた上で、さらに駐車場や公園用地も確保できるし、床を少し余分につくることで、子や孫の世代が戻ってくる住宅も確保できる。  さらに、共同住宅のエレベーターを地域に解放すれば、道路から離れた人の階段道の上り下りを軽減することもできるし、共同での生活の中に、高齢者の暮らしを支える仕組みを組み込めるかもしれない。

2-4 みんなが参加できるように

2-4-1 再建方策の自由な選択
 一方、すべての人が共同住宅での生活を望んでいるわけではない。戸建て再建をしたいという希望もできる限り実現していきたい。  そのためには、少し広い範囲で住宅の再建を検討してはどうだろうか。そうすれば、道路から離れた人の住宅再建も支援できるし、敷地をやりくりすることで、意向と条件にあわせた選択が可能になる。  現状維持、戸建再建、曳家、転出、共同住宅、コミュニティ住宅など、それぞれの意向と条件にあわせた生活再建を検討していこう。もっとも、みんなが戸建再建を希望したら、現状と変わらないため事業は成立しない。  共同建替えを選択する人が一定程度いることが事業成立の条件である。

2-4-2 古い住宅の買収による建替え支援

 実際に建て替えを行う場合には、建替え資金が問題になる。一般に住宅を建て替える場合には、古い住宅を壊して新しい住宅を建設するのだが、  当然に壊す費用も自らの負担となる。まちづくりにおいては、住宅の建替えを支援するために、道路整備と一体に建替えを行う場合には、  古い住宅を市が買い上げ、その資金を建設費の一部に充ててもらうことを考えている。また、古い住宅を市が買い上げてしまうので、その除却も市が行うことになる。
 その上で、共同住宅に再建する場合には、古い住宅と土地の価額をあわせた金額を元手に、新しく自分たちで建設する共同住宅を取得(等価で交換)することになる。  もし、必要な広さが確保できない場合には、販売経費を含まない原価で買い増しをすることもできる。また、地区外にいる子どもたちが住戸を購入して戻ってきたいという場合にも、  原価での購入が可能である。ぜひそうした若い世代に積極的に戻ってきてほしいと考えている。
 一方、戸建てで再建する場合には、現在の土地の位置をずらして宅地を確保し、古い住宅の価額を元手にして、戸建て住宅を建設することになる。  この場合、古い住宅を買収した金額なので、以前と同じ広さに建て替えようとしたら当然に資金が不足してしまう。この不足分は新たに負担する必要がある。
 宅地の位置をずらして曳家をする場合には、曳家に係る一切の費用が補償されるため、現金支出の心配はない。

2-4-3 コミュニティ住宅

 借地や借家など従前の権利が小さい場合には、必要な住戸を所有できないことも考えられる。この場合でも、誰もが住み慣れた地域に住み続けられるように、新しく建設された共同住宅の一部を市が借り上げ、公営住宅(コミュニティ住宅)として賃貸することを考えている。この住宅は、建物所有者からは市場家賃で借り上げ、入居者には所得と広さに応じた家賃で居住してもらうことになる。その差額は市が負担する。また、20年間一括して借り上げるので、建物所有者にとっては空き家の心配をせずに賃貸運用ができる仕組みとなる。

2-4-4 日常の生活費から現金支出をしない

 建替えに伴う引越費用や仮住まいの家賃は、日常の生活費から現金支出をしないですむように、事業によって補償する。

2-5 段階的な検討手順

 「さて、まちづくりの仕組みは以上の通りです。あなたは事業に参加しますか?」といきなり問われても、返答できるはずがない。
 事業への参加を判断するには、仮にまちづくりを進めた場合に、各人の権利がどのようになるのかを試しに検討してみることが必要である。  この検討結果をみて初めて、事業に参加することの是非について、主体的に判断できるようになるのである。
 検討にあたっては、関係者間で「検討を開始する確認書」に調印しあい、自分たちのまちづくりとして検討をすすめていくことになる。
 試しの検討では、権利を有する土地・建物の概算額、事業後の権利内容、自己負担の有無、賃貸収益の予測など、関係者それぞれの不安に対して  判断材料をそろえる必要がある。その上で、自らの生活がよりよく改善されていくことが確認されなければならない。
 検討の結果、事業に参加しても良いと思えたら、いよいよ建替え事業の始まりである。事業参加に合意した人たちで「事業に参加する合意書」に調印しあい、  土地測量や家屋調査、不動産鑑定評価を行って従前資産を確定させるとともに、本番の基本設計や資金計画を進めていくことになる。


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3.まちづくりの経過

3-1 STEP1:構想検討と協議会の設立

 地元住民と自治体の協力によってまちづくり構想を検討し、その検討の過程で、地元住民によるまちづくり協議会を設立する段階である。
 平成6年度に、長崎市の音頭のもと、稲佐校区連合自治会、朝日校区連合自治会、稲佐中央通り商店街、長崎総合科学大学鮫島研究室の参画により、アンケートや現地踏査を行いながら、
 1)生活道路と歩行者道ネットワークづくり
 2)快適な住環境と住宅の計画的供給
 3)公園緑地など緑の住環境ネットワーク
 4)地域の生活中心としての市場・商店街の再生
の四つの柱をもつ住環境整備誘導計画を作成した。
 引き続いて地元勉強会を重ねる中で、平成8年11月には、地元自治会や商店会の代表による「稲佐・朝日地区まちづくり協議会」が設立された。
 この協議会は、その後のまちづくりの過程において、地区全体のまちづくり計画や事業の優先順位を検討するとともに、地元住民が事業の進捗状況を把握する場となっている。

3-2 STEP2:整備計画と事業計画の策定

 まちづくり構想を具体化するため、整備計画の大臣承認を受け、客観的条件と個別意向にもとづいた事業計画を検討する段階である。
 平成9年度には、誘導計画に示されたまちづくり構想の具体化を図るため、32ha全域について密集住宅市街地整備促進事業にかかる整備計画を作成し、建設大臣の承認を受けた。
 さらに、優先的に整備を行うべき9.4haの事業地区について、物件調査と権利関係調査を行い、平成10年度には、記名式の戸別アンケートを実施して、客観的条件と個別意向にもとづいた事業計画を作成した。
 この事業計画では、生活道路の配置を検討するとともに、共同建替え事業によって道路整備と住宅再建を一体的に検討すべき区域「建替え検討区域」を明らかにした。

3-3 STEP3:戸別訪問と検討開始の合意形成

 計画道路沿道や建替え検討区域において戸別訪問を行い、その意向にもとづいた生活再建について、試しの検討を開始する段階である。
 平成11年度には、計画道路沿道と建替え検討区域において戸別訪問を行い、その意向にもとづいて、生活道路の配置を修正し、建替え検討区域を絞り込み、事業実施のプログラムを検討した。
 戸別訪問では、事業計画とまちづくりの考え方を説明するとともに、各世帯の生活の歴史や住まいの問題点、将来の生活設計などについてお伺いした。
 優先的に事業をすすめる建替え検討区域では、戸別訪問と懇談会を繰り返し、共同建替え事業の考え方や段階的な検討手順について理解を深め、試しの検討を開始することについて合意形成を行った。

3-4 step4:検討合意と協議会の設立

 関係者のそれぞれが「検討を開始する確認書」に調印しあい、試しの検討を行いながら、事業への参加・不参加を判断する段階である。
 平成12年4月には、曙町中道地区の懇談会において「曙町中道地区共同建替え事業の検討開始に関する確認書」の調印式が行われ、試しの検討が開始された。また7月には、確認書に調印した関係者よる  「曙町中道地区まちづくり協議会」が設立され、自らのまちづくりとして検討が進められている。
 試しの検討では、関係者それぞれについて、補償の内容や従後の権利、負担の有無、収益の予測などを明らかにし、各世帯の意向にそった生活再建が可能かどうかを確認していった。
 検討の過程では、事業の組み立てを検討しながら資金計画や建築構想を練り、みんなで模型を囲みながら意見を出し合い、新しい生活のイメージを共有できるように工夫した。

3-5 STEP5:参加合意と事業計画の検討

 試しの検討の結果、事業に参加することに合意した関係者が、「事業に参加する合意書」に調印しあい、本番の計画検討をすすめる段階である。 
 10月には、第4回曙町中道地区まちづくり協議会において参加合意の調印を開始することが確認された。検討合意とは違い、事業への参加という一歩踏み込んだ合意内容のため、  みんなで集まって調印式を行うことはせず、一軒一軒の意向を確認しながら調印を進めることとした。11月現在、戸別訪問をしながら、調印を進めているところである。
 今後は、土地測量、家屋調査、不動産鑑定評価を進めながら、12月を目処に各権利者の参加形態を確定させ、生活道路や戸建用地の配置を明らかにして、共同住宅の敷地を確定させる予定である。  またその後は、3月を目処に、基本設計と事業計画の作成を進める予定にしている。

   
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4.曙町中道地区の住民意向

4-1 地区の概要

 稲佐朝日地区で一番最初の建替え検討区域である曙町中道地区には、約5千・の区域に、48戸の住宅が立ち並んでいる。
 もともとは段々畑であったところに、徐々に住宅が建て詰まったため、地区の北側にかろうじて軽自動車の登れる細街路があるのみで、街区内部に車の通れる道路は一本もなく、幅員2m未満の2本の階段道が地域住民の生活を支えている。
 地区の高齢化が進み、高齢者のみの世帯が13世帯と全居住世帯44戸の3割を占めている。うち3世帯は長期入院のため留守である。また、空家4戸のうち2戸は、長年暮らしてきた高齢者が地区外に住む子ども世帯と同居するため転出した結果である。
 一方、小学生のいる世帯は5世帯のみで、全体の1割にすぎない。

 

曙町中道地区の区域

4-2 参加合意に至る様々な願い

 曙町中道地区では、6ヶ月近い検討期間をへて、11月現在、参加合意の調印を進めているところである。それぞれの関係者はなぜ事業参加という選択をしたのだろうか。戸別訪問を通じて見えてきた、様々な願いを覗いてみたい。

4-2-1 せめて一本の車の通れる生活道路を

 急病人が出て救急車を呼んでも、坂の下の商店街までしか車が入らないため、急病人を家に残して救急隊員を呼びに走り、家まで案内する必要がある。救急隊員も 100m以上の階段道を上り下りして、息を切らして患者を運んでいる。一刻を争うときに、命に関わる問題である。

4-2-2 自宅の近くに駐車場を

 自宅から遠く離れた場所に、月15,000円という高額な賃料を払って駐車場を借りている。生活の上で車は手放せないので、なんとか自宅に駐車場を確保したい。自宅のそばなら共同駐車場でも構わない。駐車場があれば、子どもたちも同居や近居を考えてくれる。地区外に暮らす子どもたちにも、もっと気軽に遊びに来てほしい。

4-2-3 暮らしにあわせた住まいの再建を

 これまでは、建築基準法の問題があったり、敷地が狭かったりして、住宅を建て替えることができなかった。古くなった住宅を買い上げてもらえるこの機会に、みんなと協力しながら、これからの生活にあわせた住まいに建て替えたい。
 高齢になると、戸建て住宅より共同住宅の方が安心できる。高齢者に対応した住まいにすることもできるし、気心の知れた仲間と住めるのも心強い。足が悪くなり、階段の上り下りが辛くなっていたので、エレベータの存在も大きい。
 子どもが大きくなり、家が狭くなっていた。敷地が狭いので建替えをあきらめていたが、この機会に広い住宅に建て替えたい。
 自分に何かあった場合でも、障害のある兄妹が安心して暮らせる住宅を確保したい。20年間の一括借り上げにより賃貸収入も安定するので、生活費の面からも安心できる。

4-2-4 家族のそばで暮らしたい

 共同住宅の建設にあわせて、地区外に住んでいた息子家族が戻ってくると言っている。自分だけなら住み慣れた住宅で暮らしていこうと考えていたが、子どもたちが戻ってくるなら古くなった住宅を建替えたい。

4-2-5 市営住宅に入居したい

 これまで何度も市営住宅に応募してきたが、なかなか当たらなかった。住み慣れた地にコミュニティ住宅ができるなら、是非入居したい。
 無理をして狭い住宅を所有するより、ゆとりのある住宅に入居して、県外に住む子どもたちに僅かばかりのお金を残したい。

4-2-6 この機会に子どもたちの所へ

 子どもたちはみんな県外に住んでいる。連れ合いも亡くなり、長崎に住む身内は自分一人になった。この機会に土地建物を売却して、子どもたちの所へ転出したい。

4-3 よりよい暮らしを求めて

 関係者の願いは、よりよい暮らしを実現したいという、極めて控えめな当たり前の願いである。この願いはまた、一人ひとりの努力では実現できないものとして諦められ、胸の奥底に封印されてきた願いである。
 この願いが、生活道路の整備と住宅の建替え支援を掲げた長崎市の参画により、それを契機とした地域住民の協同を伴いながら、実現の可能性をおびてきている。検討合意にもとづく試しの検討は、この可能性におぼろげな実体を与える作業であった。
 現在進められている参加合意の調印は、可能性をおびて表面化し、おぼろげな実体を現してきた願いに対し、はっきりとした実体を与えていこうとする協同の意思の確認である。


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