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2010年09月30日
地デジ化は「地アナ終了」だけど、、、
しばらく前からTVの画面に「2011年7月アナログ終了」の枠がつくようになった。 どうせなら、CMにもつければいいのにCMでははずしている。 うちの場合、団地全体がケーブルTVで、ここでもだいぶ前から「地デジ見れます」というメッセージを流している。 そこで先週テストのつもりで、地デジ・チューナーを3980円で買ってきた。
ところが、アナログTVの代わりに地デジ・チューナーをつないだけど、「受信できる局はありません」という表示が出た。 3回くらいやってもダメだったので、メールでケーブルTVに「ホントにデジタルを流してるの?」と聞いたら、「はい流しています」という返事。 そこで、もう1台のほうのアナログTVの代わりにつないだら、OKだった。
最初試したアナログTVは、家の中に引き込んだ端子から10メートルほどさらに同軸で伸ばした場所で、減衰が大きくなっていた。 アナログではこのくらい伸ばしても大丈夫なのに、デジタル信号のレベルには問題がある。 こういう場合は「ブースターを買え」という戦略らしいが、これには乗らない。
ところで、BSデジタルもうちのケーブルTVで宣伝してるが、Extra Charge がけっこう高い。 今回は「地デジ化で地アナ終了」だけと思っているが、「BSアナログは存続」としていていいのかな?
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と書いたけど、BSアナログも同時に停止だった。 こちらは宣伝不足じゃないかな。
投稿者 tadashi : 15:24 | コメント (0)
2010年09月28日
So bad day!
今日はついていなかった。 近くのショッピングセンターのATMが不調。 めったにやらない記帳がおかしな状態になった。 再度通帳を挿入すると「この通帳は使えません」というメッセージが出た。 備え付けの電話をかけたら「銀行窓口へ来てくれ」という。
16というナンバーは「通帳と口座の不一致」を示すとか。 広島銀行は福岡銀行とシステム統合したから、この2銀行では共通の数字だろう。 いわば、「ダーティな状態」を示している。 都合をつけてから銀行窓口へ行ったところ、25分待たされた。 ATMトラブルは2回目、いずれも広銀である。
夕方、車検に出してた車は出来ていた。 明日は good day であることを願う。
投稿者 tadashi : 18:32 | コメント (0)
2010年09月27日
代車生活
車検で代車になった。 今回はふだんと全く同じタイプ。 7万キロと自分の車の半分くらいの走行距離だけど、15年もの(平成7年製)。 スバルの自社所有だから、車検はすぐ通せるだろう。 うらやましい。
明日までは代車なので、おとなしくしていよう。
投稿者 tadashi : 10:07 | コメント (0)
2010年09月25日
新たな歴史の始まり
日本が第2次大戦(太平洋戦争)で負けた時点で、形式的には中国は戦勝国だった。 もっとも、毛沢東の共産党政権でなく蒋介石の台湾が、これも形式的には、中国政府だった。 理由は簡単で米英がバックについていたから。 しかし、英そして米が手を弾き、毛沢東の北京が正式に中国になって久しい。
1977年、パリからの羽田行きエールフランス機が当時の北京空港に着いた。 トランジットだったが、乗客は空港ビルには行かずに機内に残されたままだった。 しかも、すでに文革は終わっていたのに、紅衛兵みたいな若い軍人がパスポートをとりあげ、乗客を監視していた。 私は乗客の1人だった。
中国からの留学生も徐々に増えたが、最初は人民服のままだったので、一見して中国人というのがわかった。 しかし、やがて服装では区別できなくなったし、裕福な中国からの学生さんも増えた。
盧溝橋事件が1つの歴史をつくったとしたら、今回の尖閣沖事件はまた1つの歴史をつくるだろう。 いずれアメリカが手を引いた時点で、日本は沖縄を手放すことになるから。
投稿者 tadashi : 06:32 | コメント (0)
2010年09月24日
急に秋らしくなった
朝晩は涼しいより、寒く感じる始末。
車のバッテリ交換にJMSへ行ったら、ピットがいっぱいで帰ってきた。
週末は避けて再度出直すことにした。
投稿者 tadashi : 11:43 | コメント (0)
プライベート(その1)
プライベートを少しだけ告白(?)することにした。
この3日間で「私の子供時代」を書いてみた。 井上陽水の「少年時代」なら甘く切ない香りがするが、甘くもないし切なくもない。
カテゴリー名は、大学業務からプライベートに書き換えたので、アーカイブでは3/31までの大学業務もくっついている。
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ボケないうちに備忘録を書いただけだけど、「苦労を知らないのでは?」という陰口への反論でもある。
投稿者 tadashi : 09:16 | コメント (0)
イチロー200安打達成
7/27に「今年は難しいのでは?」と書いた。 予想がはずれてしまったが、まずはめでたい。
投稿者 tadashi : 08:05 | コメント (0)
2010年09月22日
白い侵入者
我が家の黒犬ハリーが不在のときに、どこからかネコが侵入して来た。
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昨夜一晩早く中秋の名月を楽しんだ、今夜は曇りで見えなくなるので。
雑誌でもデカイ活字の部分は、月明かりで十分読めるくらい明るい。
平安時代に戻った気分になるのは、おじゃる丸の影響かも知れない。
投稿者 tadashi : 08:00 | コメント (0)
2010年09月20日
思い出話〜電子レンジ〜
今ではどこにでもある電子レンジ、これが日本では高根の花だった。 一般家庭では一部にしかない1960年代の話であるが、業務用にはすでに使われていた。 初任給が2万円のころ、一番安い製品でも20数万円。 みかけは今でいう簡単レンジみたいな製品。 これが、仙台の繁華街東一番丁の(当時の)丸善ビル隣の小さいビル2Fの「カレーショップさかい」では、客の目の前にあった。 高価家庭用を業務の補助に使っていたのである。
経営者のおじさんは、山形工専(現山形大工学部)出身の技術屋さん。 会社勤めをやめてカレー屋さんを始めたわけで、当時はまだ珍しい「脱サラ経営」だった。 店はカウンタのみで、10席程度の小さい店。 ビル横の階段をちょこっと昇るので、隠れ家的でもあった。 そうこうしてるうちに、ここがバンドの溜まり場になった。 ケータイのない時代だから、レンラク先にも使わせてもらっていた。 (私のつぎのバンドリーダーYさんも脱サラして、カレーショップを始めるきっかけになった店でもあるが、今回は省略。)
電子レンジの基本部品はマグネトロン。 このマグネトロンは、岡部金治郎さんが1927年に東北大学で発明したもの。 真空管にコイルを巻きつけると数千MHzの電磁波を発生するのが原理。 電子レンジの場合は、2450MHzが国際規格になっている。 このコイルが曲者で、細い線を太い束になるくらいぐるぐる巻きするが、寿命がある。 カレーショップのおじさんいわく、いいとこ2年くらい。 家庭用の10倍くらいの使用頻度だから、仕方ない。 小さい店だから、修理に出していたし、その間は「電子レンジなし」ですませていた。
このマグネトロンに細い線を、コイルを巻くような機械で、ぐるぐる巻きつける作業をしてたのは、大阪のある中小企業。 手作業で巻きつけるが、作業が正確で故障が少ないというのが、評判の会社だった。 もちろん、アメリカへの輸出品である。 1ドル300円台の時代だから、20数万円というのはアメリカでは、7万円程度。 当時の日本は、ナイキの製品をつくるインドネシアみたいな立場にあったのである。
1万円以下でも電子レンジが買えるのはスゴイことである。
投稿者 tadashi : 08:29 | コメント (0)
2010年09月19日
五十歩百歩だけど
柔道の谷亮子より、女優の三原じゅん子のほうがまし。 民社より自民のほうが、今回はまだマシ。 「女優から国会議員」のはしりは山東昭子、70年代の参議院選挙で全国行脚のとき、神戸の須磨駅前で見かけた。 通勤時の時間帯なので、みんな顔をチラっと見るだけ。 みんなと同じように前を通り過ぎたけど、演説ではなく「連呼」をしていた。
じつは、アイドル時代の三原じゅん子を見たことがある。 広大が西条へ移転する前年だから1981年、約30年まえのこと。 西条がどんなところか知らなかったので、街を見にやってきた。 ビルらしいビルがない。 唯一、駅から近いところにヴェルディ(のちのフジで今は更地)があった。
ショッピングビルのヴェルディ5階の食堂街で昼食後、屋上に出たら仮設スタジオがあって、そこに三原じゅん子が出てたのである。 トークをしてたように思うが、チラっと見ただけ、さっぱり興味はなかった。
つぎは、2人とも落選するだろう。
投稿者 tadashi : 11:17 | コメント (0)
2010年09月18日
総選挙をしたほうがいい
政争はいつも存在する。 古くは、岸、石橋、石井の3つ巴、中学時代の話である。 3番目の石井光次郎は、こないだ亡くなった石井光子(シャンソン歌手)のお父さんだけど、早々と脱落し石橋湛山と2位・3位連合を形成。 これが功を奏して、1位の岸を破って石橋首相が誕生した。
しかし、病状悪化ですぐに石橋はやめて岸首相が誕生し、これが1960年の「60年安保」で退陣するまで続いた。 岸政権は、中学から大学入学時まで続いたので、けっこう(日本では)長かった。
つぎに有名な政争は、田中と福田の「角福戦争」。 田中角栄の時代は日本の成長期だったから、景気のいい話が多かった。 田中のつまづきは説明すると長くなる。 キーワードは「コーチャンとピーナッツ」とだけ書く。
今回の管と小沢の政争は、景気が悪いという背景もあるが、なんかスケールが小さい。 どちらもなんら有効な景気対策を持たない。 これは政党が民主党だからで、早く総選挙をして、民社から自民に戻ってほしい。
投稿者 tadashi : 08:36 | コメント (0)
2010年09月17日
例題から汎化をしてほしい
長いこと授業をしてきて、「根底にあるもの」を伝えられるのは、学生さん全体の1/3くらいのような気がする。 研究室に入れば時間をかけられるから、2/3くらいにアップする。 あと、1/3はムリかな、と思う。
例で教えるのは簡単だから、「このタイプの問題はこうやって解く」という教え方になる。 試験前にこの勉強をしてくれれば、単位は取れる。 しかし、それだけではホントにわかったことにはならない。 「ホントにわかった」という感覚は持てないはず。 ホントにわかるためには本人の自覚しかないが、これが問題である。
ニューラルネットの学習は「汎化」であるが、人間の場合、「汎化がすぐ出来る」から、授業の5倍くらい時間がかかる、10倍以上時間がかかる、までバラつく。 そして、10倍以上時間のかかる人は、あきらめて考えようとはしない。 一番の原因は「興味」がないからである。
この話は、世の中の話すべて、に当てはまるような気がする。
投稿者 tadashi : 08:32 | コメント (0)
2010年09月16日
コーヒーより安いジーンズの1ヵ月
880円ジーンズをはき始めて、ちょうど1ヵ月経った。 ベルト付近が少しくたびれたけど、うすでだから仕方がないだろう。 まぁ値段からみればいいところ。 来夏も普段着としては使えるだろう。
もっとも、高いホテルコーヒーはあれ以来飲んでいない。 880円あれば、安いコーヒーなら3,4杯は飲めるだろう。
投稿者 tadashi : 10:28 | コメント (0)
補足資料削除(情報科学関連特別講義)
このTeblogをダウンロードのために使用しましたが、資料のファイルは削除しました。
投稿者 tadashi : 08:33 | コメント (0)
2010年09月15日
3D TV
プレステ3並みに普及という見方もあるが、やや鈍化気味。 値段もプレステ3並みなら、という条件つきか。 うちの場合、Wii はあるがプレステ3はない。 だから、3D TV がなくても不思議ではない。
考えてみれば、大画面TVもない。 液晶1つとブラウン管1つ、どっちも24インチ。 95年製のブラウン管{当時はけっこう大画面)もくたばりそうで、なかなか壊れない。 日本の製造技術の優秀さを示している。
3D TV の話も先週K先生(近大)との話で出た、K先生は3Dの専門家だから。
投稿者 tadashi : 08:13 | コメント (0)
2010年09月14日
SOS
日本は、これからもっとひどい状況が想定される。 2人のうちどっちが首相になっても、この状況は改善されるわけではない。 ペイオフ第1号も出たが、まだ限定的。 そのうち、地方の信用金庫あたりからペイオフが出ると、騒ぎ出すだろう。
今年はショパン生誕200年だけど、2014年は第一次世界大戦の生誕100年になる。 大戦になるかどうかは別にして、2014年までに中東で戦争はあり得る。 もちろん、きっかけは「イスラエルのイラン攻撃」、オバマ退陣後の可能性が高い。
SOSを出すタイミングではないか。 Save Our Ship でもいいし、Save Our Souls でもいい。
先週近大でのK先生(黒瀬先生)との会話の中、デジタルの話でモールス信号の話題が出たので。
投稿者 tadashi : 08:12 | コメント (0)
2010年09月13日
ほんのちょっぴり秋の気配
といっても朝晩だけ、日中は相変わらず猛暑。 ここのところ、世の中呑気な話が多いので、ここに書くには値しない。
Going my way しかないだろう。
投稿者 tadashi : 12:05 | コメント (0)
2010年09月11日
疲れはなかった
今週は4日間の集中講義、4コマ3日間と最終日3コマ。 毎年、「そろそろ限界か?」と思いながらやってきた。 大学院の場合、マイペースでやれるせいか、疲れは感じなかった。 好きでやってきた研究を中心にしゃべっているからだろう。 それと、若い学生さんが話を聴いてくれるから、でもある。
途中から1名増えて、受講生は14名。 全員M1の諸君だから、来年の就職状況がよくなればいいのだけど、、、
投稿者 tadashi : 16:49 | コメント (0)
2010年09月10日
またお犬さま ハリー君
人間なみに枕をつかって昼寝します。
投稿者 tadashi : 08:15 | コメント (0)
2010年09月09日
情報科学関連特別講義終了
4日間の講義は無事終了しました。 黒瀬先生にはお世話になりました。
このTeblogに載せたファイルのダウンロード期限は9月15日とします。
投稿者 tadashi : 17:22 | コメント (0)
情報科学関連特別講義4日目(補足)
「補足資料はなし」と書きましたが、1つだけ印刷中の論文をアップしておきます。
昨年の国際会議(CASYS09)発表の論文で、今年度中に発行されるAIP(アメリカ物理学会)の論文集に掲載予定です。
投稿者 tadashi : 05:35 | コメント (0)
2010年09月08日
情報科学関連特別講義4日目
補助的にアップする資料はありません。 もし、印刷配布のないpptファイルで希望するものがあれば、メールまたはこのTebolgのコメントで連絡してください。
投稿者 tadashi : 16:48 | コメント (0)
2010年09月07日
情報科学関連特別講義3日目
補助的にアップする資料はありません。
投稿者 tadashi : 16:47 | コメント (0)
2010年09月06日
情報科学関連特別講義2日目
正規集合と逆ポーランド電卓のプログラム(calc.awk)についてのpptファイルです。
投稿者 tadashi : 17:19 | コメント (0)
calk.awk の説明
scalk.awkと書いていますが、同じです。
投稿者 tadashi : 17:15 | コメント (0)
calc.awk
Linuxのhomeにダウンロード後、awk -f calc.awk を入力すれば、逆ポーランド電卓が起動します。
投稿者 tadashi : 17:08 | コメント (0)
2010年09月05日
情報科学関連特別講義(近畿大学大学院)
明日(9/6)から4日間、近大(東広島)大学院の集中講義をします。
ほとんどの資料は印刷物としてお渡ししますが、例外をここにアップします。
イントロのpptファイルです。
投稿者 tadashi : 12:55 | コメント (0)
2010年09月04日
相撲は人気スポーツだった
昔のプロスポーツは野球と相撲だけだったから、野球がオフになったときは「相撲」しかなかった。 今みたいに器具が簡単に手に入る時代でなかったから、相撲は子供がすぐマネできるスポーツだった。 栃錦と若乃花の終日決戦も白黒TVで見ていたが、栃錦はもうやめる寸前で力は落ちていた。 若乃花のような軽量で強い横綱は、その後はウルフ千代の富士と最近やめた朝青龍の2人だから、20年に1人くらいしか出てこない。
野球は1リーグから2リーグに分かれて、隆盛の勢いもあった。 王・長嶋時代のまえで、1リーグのときは、巨人は青田・川上、阪神は別当・藤村。 須磨寺駅(山陽電車)のホームのイスに別当が坐っているのを、偶然小学校の帰りに見た。 5人くらいで帰る途中だったが、1人が駅裏にまわった。 ホームを板で囲っている私鉄の小さい駅。 そいつはその板めがけて体当たりした。 ただ驚かせてやろう、という幼稚な行動だったが、、、
相撲に話は戻って、20年くらいまえに横綱になってすぐにヤメたのがいた。 シコ名は思い出せないが、北尾クン。 いま、どうしてるんだろう?
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もう1つ人気のプロスポーツがあった。
それは「プロレス」で、なんといっても「片手チョップ」の力道山。 力士出身だそうだけど、そのころは知らない。 家にはTVのない中2のころ、柔道出身の木村と力道山の試合を、よそのおうちのTVで見せてもらった、がアッケナイ幕切れの試合だった。
その後、ジャイアント馬場や猪木が人気者になったが、馬場は巨人の2軍のピッチャーからの転身。 たまに、1軍に出てきた試合をTVで見たが、1回ともたなかった。 とにかく、相手のチームは馬場が出てくるとバント攻め。 ピッチャーゴロをノロノロ取りにいくから、みんなセーフで、すぐ満塁。
馬場が出てくると、マンガみたいな試合になった。
投稿者 tadashi : 06:30 | コメント (0)
2010年09月03日
マイクは高価だった
マイクロフォン(通称、マイク)は、家庭用の製品は当時まだなかった。 業務用としては、ダイナミック・マイク、ハイ・インピーダンスとロー・インピーダンスの2種類があって、校庭での朝礼や集会のたびにマイクを設置していた。 要するに放送部の技術グループは、中学校の用務員代わりだった。 メリットは、クソ暑い日でも(日にあたらない)校舎内のミキサー室に居れることだった。
放送局のヴェロシティ・マイクは雲の上の製品だったし、ダイナミック・マイクも買えなかった。 雑誌で「マグネチック・マイクのつくりかた」があったので、つくってみた。 当時、マグネチック・スピーカーという安価なスピーカーがあったので、これを改造するのである。 残念ながら、キンキン音でマトモなマイクにはムリだった。 ダイナミック・スピーカーをマイク代わりにという手もあったが、電圧レベルが低く、当時のアンプには向いていなかった。 結局、マイクを手に入れるのはあきらめて、ラジオ放送をテープレコーダーの音源にしていたのである。
安価なコンデンサー・マイクの普及は、ずっとあとのことであるが、ダイナミック・マイクのいい製品は、今でもそれなりに高い。
Tips:
「ダイナミック・スピーカーをマイク代わりにという手もあった」と書いたが、スピーカーで放送する装置のある建物では、煙検知器と一体化して、連絡用に使用されている。 別の云い方をすれば、管理室のアンプで各部屋の盗聴が可能である。
「部下の悪口」を聴こうと思えば、聴けるようになっている。
投稿者 tadashi : 07:53 | コメント (0)
2010年09月02日
若乃花もノスタルジーの1つ
中学生の頃の話。 中2のころテープレコーダに熱中した。 放送部技術グループでは、小型のアンペックス製(輸入品)と当時ベンチャー企業の東京通信工業(通称東通工で現ソニー)製の2つを使っていた。 自宅では、ラジオやアンプ(ハイファイ)の製作に飽きてきたので、「テープレコーダを作ろう」と思い立ったのである。
ゼロからの開発だし、小遣いでつくろうというので、困難なことが沢山あった。 まず、メカをどうやってつくるか? ヘッドは中古品を大阪(日本橋)で手に入れた。 パーマロイのカバーのある立派なものだけど、ジャンク屋なので1千円程度。 試しに古いSPレコード用のモーターでテープを引っ張ってみたが、キャプスタンとピンチローラがきちんと動かないとムリ。 もう1人同調して始めたO君は、非常に器用でここから始めたけど、途中で断念した。
そうこうしてるうちに、赤井電機がメカだけをキットで発売した。 1万3千円程度だったが、現在でいえば10万円以上の感覚で、中学生が小遣いで簡単に買える額ではない。 電気屋通いは定期的にしてたので、赤井が改良品を販売したとき、初代の製品の展示品をかなり安く売る店があった。 6千円程度だったが、すぐこれを購入した。 メカ以外は自作したが、大したことはなかった。
こうして中2でテープレコーダをつくったとき、録音の対象として選んだのが「相撲の実況放送」だった。 そして、若乃花が大関から昇り調子で横綱へ向かっていく頃。 毎日、若乃花の取り組みを録音したのである。 逝去を知り、思い出を書いた次第。
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技術的なことは追記で。
「交流バイアス」について
テープに音声のようなアナログ信号を記録する場合、磁性体にバイアスをかける必要がある。 テープのまえのワイヤー・レコーダは直流バイアス。 ワイヤーが磁性体としてはお粗末だったこともあるが、直流バイアスでは、ノイズが多く、また音も歪んで「記録する」という以上のことはムリだった。
赤井の第1号機も直流バイアスだったので、やってみたけど、とても使えない。 学校ではマトモなものを使っていたから、差は歴然としていた。 なぜ、赤井は交流バイアスを使わなかったか? それは交流バイアスの特許(発明者は永井東北大教授)を東通工(現ソニー)がそれを持っていたから。 東通工は他社の特許利用を認めず、テープレコーダを官公庁、学校などに一手販売し、経営の基礎を築いた。
赤井の2号機は、東通工の特許を逃れる方式を「新交流バイアス」として採用した。 交流バイアスの特許範囲が、50KHz-200KHzぐらい、そこでこの倍くらいの周波数を使うというのが新交流バイアスだった。 もちろん、新交流バイアスの性能は(直流バイアスよりはぐっとよくなるが)イマイチだった。
しかし、完成品でなくキット販売なので、購入したユーザは「コンデンサを替えれば」東通工なみの製品にできた。 そこで、1号機にはなかった交流バイアス用の鉄芯入りボビンのコイルを手に入れた。 特許逃れのなんともいえない方法だけど、他のユーザと同じように、特性のいい東通工の方式を使って満足していた。
投稿者 tadashi : 08:04 | コメント (0)
2010年09月01日
8月のような9月の始まり
涼しくなるという期待はもたないが、雨ぐらいは降ってほしい。 台風もカスりもしないから、ムリみたい。 「気候と政治には期待するな」ということだろう。
ザッケローニにも期待しない。 むしろ、グルノーブル松井大輔の移籍、それもロシアの(聞いたことのない)クラブへの移籍、のほうが気になる。 ロシア1部リーグのほうが、フランス2部リーグよりマシなのはわかるが、、、
どうせ、2014年までには代表監督はまた変わるだろう。