元禄地震前のこの地は野島という、それはそれは小さな島でした。地震により海底が隆起した結果、地続きとなり「野島崎」という岬に変貌しました。 房総半島最南端のこの地には写真の様な碑とバックに灯台があります。房総半島の最南端、太平洋に向かって突き出た岬に立つ野島崎灯台は、明治2年(1869年)にフランス人技師ウェルニーによって設計され建設されました。 この年は安政江戸地震を教訓に地震対策が明治政府により立案された年でもあります。(またの機会にお知らせします。)この灯台は元禄地震の再来といわれ発生メカニズムが酷似しているため元禄地震と大正の関東地震は双子の地震と称されている関東地震により倒壊します。元禄地震の波形はありませんがおそらく同一の波形を示した事でしょう。元禄時代の波形が共鳴して灯台を倒壊させた関東地震の様な気がしてなりません。 関東大震災によって一度倒壊しましたが、大正14年(1925年)に再建され現在に至っています。 この灯台は開国の歴史を飾る慶応年2年にアメリカ、イギリス、フランス、オランダの四ヶ国と結んだ「江戸条約」により建設を約束された八ヶ所の灯台の一つです(条約灯台)。 灯台の第1号が、観音崎灯台であり、その後、野島埼灯台、樫野崎、潮岬、佐多岬、剣崎などに洋式灯台が設置されましたがそのどれもが地震の巣窟なのは興味深い処です。 高さ28.98mの白亜の灯台で、ラセン階段で登って行くと展望台からは太平洋や遠く伊豆半島まで見渡せる絶好の眺め。また、灯台の下から岬にかけて遊歩道が整備された公園にもなっています。 ここに心配事があります。観光地故の心配事です。避難場所がないことです。近くにはホテル等の丈夫な建物がありますが徒歩でそこまで行くには時間が掛かり過ぎます。 灯台辺りにいて地震が来れば?野島崎が今度は「野島」に戻ってしまう事です。これは本当に心配でなりません。この最南端の野島崎から外房寄りは隆起し、内房寄りは沈降した事が分かっています。隆起した地層調査によると隆起と沈降を繰り返している事が分かりました。(千葉県南房総市白浜町白浜630 N34,54,06 E139,53,18) |
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