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2005年12月31日

2005年の終わりに

あっという間だった。 4月から、長年勤務した職場から、新しい職場に変わった。 一番変わったのは実務の直接担当者も兼任になったこと。 学生実験で切れた線のハンダづけをしたり、研究室のコンピュータの設置とソフト開発の指導など、、、

まえの大学でも昔はそうだったが、いつの間にか優秀な助手さんや院生にお任せするようになり、たまに横目で眺めるだけたった。 これは「仕事の分担」上自然にそうなった。

私立大学では、そういうわけにはいかない。 教授も助教授も独立で、しかもそれぞれ助手を兼務する。 その分、仕事の段取りには気をつけないといけない、同時にはできないから。

もちろん、こういう状況は「想定内」だったので、毎日楽しくやっている。
年内は幸い風邪も引かなかったし。

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夕方、頼まれて近くのスーパーまで買い物に行った。 
レジでカウント中に、後ろのおばあさんが最後の商品を見て言った。
 「おたくは”くわい”を煮るのですか?」
ふいを突かれたので、正直に
 「どうするのか知りません、頼まれたので」
と答えた。 人の買い物に一言言われても困る。

地域サービスとしては、ボケを入れるべきかも知れないが、咄嗟には思い浮かばなかった。
知らないおばあさんにまで、ボケる必要もなかろう。

田舎の年の暮れの一コマ。

投稿者 tadashi : 04:22 | コメント (0)

2005年12月30日

正義と利益

「正義とは?」ということになると、定義が必要になる。 定義は人により異なるから、法律が必要になる。 「法律が正義か?」ということになると、いろいろ問題も多い。 しかし、世の中をまるく収めるためには仕方がない。

個人の関係は国単位の法律ですむが、国どおしの関係は、アムステルダムで扱ってはいるが、全然有効ではない。 力のある国は勝手に「正義とは」と言うことになる。

「アメリカは正義である」という定義がある。 これを仕方なく受け入れる国も多い。 理由は簡単、お金が欲しい。 もちろん、この定義を受け入れない国がある。 イラク戦争に反対したフランス、ドイツなど。

「EUは正義である」というには、まとまりが問題。 イギリスがEUの議長国になってうまくまとまるか、どうか。 もう1つの勢力は、かつてのソ連の代わりであるが、ロシアではなく中国。

「中国は正義である」と思う日本人は今は少ない。 しかし、そのほうが利益は多い、ということになると豹変すると思う。

日本は1945年8月15日に「豹変した」という事実があるから。

投稿者 tadashi : 17:31 | コメント (0)

時代による変化(#5:食)

食は異常に変化した。 戦争で窮乏した時期は別にして、ふつうなら戦前からの継続として和食の進展のはず。 ところが草食動物が肉食動物になってしまった。 おかげで身長が伸びたが、贅沢病である糖尿病も増えた。

さらに、「もっと肉を食え」という戦勝国は言う。 80年代以前は「牛肉とオレンジ」に関税で対抗したが、もうその障壁はない。 おまけに、「牛丼屋」という肉食文化を和食化した明治維新の知恵も生きている。 3大成人病にBSEをおまけにしようとしている。

「食の誘惑」には弱い。 なにかのはずみで輸入が減ると、本来の和食中心に戻るのかも知れない。 老人にはいいが、若者は食を求めて海外に流出し、老人大国はさらに加速するだろう。

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戦後かなりの間、肉屋のショーケースは並、上、すきやき(特上)ぐらいしかなかった。 並、上はコマ切れの集まりで、どの部位かさっぱりわからなかった。 高校の先生が「アメリカでは部位ごとに売ってるよ」と言ったのを覚えている。 

日本でも、いつごろからかステーキ肉でも、ヒレ(テンダーロイン)、サーロイン、もも、ランプなど分けて売るようになった。 70年代半ば、フランスで1年滞在したときは、昼、夜とも「ステーキ&フリット」の生活をした。 たぶん、ももとかランプを食っていたのだろう、学内のカフェテリアで500円程度の感覚だったから。


 

投稿者 tadashi : 03:19 | コメント (0)

2005年12月29日

時代による変化(#4;衣服)

80年代までの中国からの留学生は1目見たらわかった。 毛沢東さんのように人民服を着ていた。 しかし、それもつかの間。 同じような服を着ているとアジア人、区別がつかなくなる。 福岡から大韓航空に乗ると、私に係員が韓国語で話しかけてくるのも同様だろう。 金大中さんタイプに見えるのかな、と思う。

我々の着るものも、戦後はひどかったのが、60年代にはファッショナブルになった。 デザイナーという華やかな職業でも、日本人が世界的に認められるようになった。

しかし、日本の学校も中高は制服がふつう。 パブリックは自由で、一部が制服という欧米とは逆。 日本のパブリックの制服は概して割高で、御用業者の営業に貢献している。 

大学に入るまでは締め付けておいたほうがいい、というのは制服だけではないが、これに「反乱」が起こらないのも不思議。


投稿者 tadashi : 03:23 | コメント (0)

2005年12月28日

今年の勤務終了日

4月からかなり真面目(?)に勤務したと思う。 先週土曜日(12/24)Xmasイブのように休みたいときは、きちんと休暇届けを出している。 

勤務は終了しても仕事は終わらない。
いろいろ持って帰る荷物がけっこうある、ふだんは弁当箱だけなのに。
もっとも、今日(12/28)は半ドンではなく、1日勤務というお達しもあった。 
午後はその整理をしよう。

この4月からは宮仕えの身。
とすると、3月までは「何仕え」だった、のだろうか。


投稿者 tadashi : 12:55 | コメント (0)

2005年12月27日

通過が速過ぎる?

昨夜ETCゲートでトラブった。 西条インターの出口では窓口で申し出て、事務所での処理になった。 迅速なはずのETCが5分ぐらいかかった。 5月末以来だから120日以上は往復しているから、片道換算すると240回イン/アウトぐらいゲートを利用したので、ざっと0.4%ぐらいの誤作動率になる。

誤差範囲内ともいえるかも知れないが、今朝はプロトコルを気をつけて見ていた。 といっても音声メッセージとLEDの点灯/消滅。 今朝は問題がなかった。

どうも昨日は、往路での出口、五日市インターの出方が速すぎたみたい。 ゲートは開いたので問題ないと思っていたが、出てすぐ装置に赤ランプ。 帰路もゲートは開いたので入ったが、すぐ赤ランプ。 「Uターンになってますよ」と係員。 どうも、往路の出口処理が不完全だったみたい。

装置を疑ってもみたが、今回は「ゲートの通過が速過ぎる」のが直接の因だろう。
一般に、「スピードの出しすぎ」には注意したほうがいい、という教訓。


投稿者 tadashi : 07:49 | コメント (0)

2005年12月25日

データ捏造までして、、、

データ捏造問題はアネハに収まらず、韓国ファン(黄)教授のES細胞も捏造と発覚、理解に苦しむ。 30年ほどまえには、広大で医学部某教授の人工心臓実験のデータ捏造もあった。 牛につけた人工心臓の長寿世界記録がウソだった。

「世界で初めて」なんていうデータを捏造すると、すぐバレる。 学生の卒論や修論じゃあるまいに。 ついこないだも、米国AT&T研究所でのデータ捏造も発覚したように、チャンピオン・データは世界中で注目されるから、誤魔化しは利かない。

「素直さのない研究」は無意味である。 「謙虚であれ」とまで言わない。 「素直であれ」と言いたい。 研究なんて、たかがそんなものである。

企業化レベルでは話が違う。 昔の話だが、60年代に「カラーTV受像機」を10万円以下で出す、と言ったメーカがあった。 それも家電メーカではない東洋電機。 結局、株価を吊り上げただけの話で、メーカー・スキャンダルとなった。 

いずれにせよ、目のまえの現象には素直に従おうではないか!

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そういえば、高知大理学部の某助教授の昇任用の論文リストに架空の論文が2つあったとか。 これも空いた口がふさがらない。 もちろん、審査した教授の責も免れない。 アネハとEホームズの関係と同じである。

審査書類を「別刷り添付」にしておけばすむ話。 今まで「いかにいい加減な審査をやってきたか」を立証している。


投稿者 tadashi : 16:16 | コメント (0)

2005年12月24日

時代による変化(#3:マナー)

昔は「歩きながら食べる」というのはご法度だった。 変わったのは、60年代ごろのアメリカ映画の影響が大きい。 アイスクリームを食べながら歩く、のがカッコよく見えた。 

戦後のヤミ市でやむを得ず外で食う際も、すわるか立っていても動かなかった。 屋台はこの流れであろう。 決して「食べながら歩いた」わけではない。 歩きながら食べるのは「行儀が悪い」と躾けられた。

「行儀が悪い」という言葉は死語に近いし、「躾」も死語に近い。 子供を躾けようにも、親の躾けがなっていないから、無理。

もちろん、よくなった面もある。 電車を待つマナーはよくなった。 ある意味余裕ができたからであろう。 その反面、「遅れたら仕方がない」で許されると思う奴が多い。 だから、授業やミーティングに平気で遅れる。 もっとも、時間に甘い奴が交通機関でマナーがいい、とは限らないが。

日本が完全に欧米化されたわけではない。 After Five(今はSix ?)では上下関係なく First Name で呼び合い、対等な時間を過ごす、のは無理だろう。 だから、After Five には上司とつきあわない。 上司もそれなりに部下には気をつかっているが。

もっとも、「マナーは時代で変わる」というのは歴史が示している。


投稿者 tadashi : 15:03 | コメント (0)

2005年12月23日

メリークリスマス

我が家のクリスマスツリー

Xmas.jpg

ドラちゃんはUFOキャッチャーの景品です。
1日早い”メリークリスマス”の挨拶。


投稿者 tadashi : 22:55 | コメント (0)

時代による変化(#2:笑う)

「泣く」とは対照的な行為は「笑う」。 笑い自体はさほど変化しているわけではない。 しかし、大きく変化したのは、「人に笑われる」ということへの抵抗がなくなったことである。 否、最近では「笑いをとる」ということに、積極的な価値観が見出されている。

プロの芸能人でも「お笑い」の連中の地位が高くなった。 昔は、2枚目、今のイケメンが上で、お笑いは下という序列があった。 現在では同等あるいは逆転している。

「笑いをとる」というのは難しい。 軽妙なツッコミとボケが必要。 ツッコミはしないたちなので、せめて上手くボケたい、と思うがいつも失敗している。 同僚の先生方はどちらもうまい。 先日も私に上手くツッこまれたのだが、マジに返してしまった。 反省(?)している次第。

「笑いをとる」というのは「人に笑われる」という行為の中で「捨てていい」という部分。 人間誰しも「捨てたくない」という部分もある。 昔はすべて後生大事に持っていた。 現在は、その中を整理した結果、どうでもいい部分は捨てることで、世の中の潤滑油にしている。

つまり、じつは「人に笑われる」という行為にも2種類あるということである。

投稿者 tadashi : 00:23 | コメント (0)

2005年12月22日

2度目の大雪

12月にして今日は2度目の大雪。
これから冬本番になると、どうなるだろうか?


投稿者 tadashi : 16:51 | コメント (0)

CDとライブの違い

CDはスタジオレコーデイング、 やり直しが効くから概してよく出来ている。 一方、ライブはその日の調子もあるから、ひどいこともある。 しかし、送り手と受けての一体感がある。 つまり、心が通い合う。 「教育」もこうでないといけない。

勤務する大学では、教養関係は10単位までは放送大学の単位でもいいことになった。 我が家のケーブルTVでは放送大学が見れるから、どういう授業スタイルかは知っている。 講義はそれなりに金がかかっているし、よく出来ている。

気になるのは出欠。 ライブのほうは出欠がうるさいが、放送あるいはビデオの方は自由。 「2/3以上の出席は必要」なんて制約もない。 じつは、昔は出欠なしで講義をしていた。 たまにではあるが、出てこないのに試験はちゃんと出来る学生がいた。 しかし、「それはまずい」ということになり、逆に厳格にやるようになった。

前大学同様、今の大学も出欠には厳格。 「教育は愛なり」という建学精神とも合致する。 しかし、放送とかビデオだと、そこはウヤムヤになる。 心が通い合うとはいえず、「教育は愛なり」とはズレが生じるだろう。

誰かここを突くかと思いきや、会議ではそういう反応はなかった。


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最初は大丈夫、全回の放送かビデオを見るだろう。 しかし、試験問題はそんなに変わらない。 2回目以降はズルをする奴が出てくる、先輩に問題を聞くから。

放送大学は独学する人のためのものであるから、補完の域を出ない利用法でないとまずい。

10単位までなら「愛」がなくてもいいかな。


投稿者 tadashi : 01:36 | コメント (0)

2005年12月21日

時代による変化(#1:泣く)

いつの間にか「人前で泣くこと」を恥とはしなくなった。 子供に「泣いてはいけません」という親が平気で泣く。 

TVではアクションの一つとして有効になる。 うまい役者はすぐ泣ける、というが、一般人もこれに習う。 まぁ、見てるほうも冷静にみている、感情移入の苦手な人は。 「人生は芝居」かも知れないから。

「恥」と思うかどうか、は時代で大きく変わった。 「男は人前では泣くな」というのが昔。 泣くのは「女」であっても、顔を手で隠して泣く。 第一、男がこう女がこう、ということ自体今やご法度。 ジェンダーの話では批判される。

涙腺も若いうちに決まるようで、しょうもないことではなかなか泣けない。


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とは云うものの、男も泣くときは泣く。 これこそ「男泣き」。 人生でそんなにあるものではない。
「1リットルの涙」なんてよくつけたタイトルだと思う。 ただし、中味は知らない、ドラマは見ないから。

むしろ、ほろっとするくらいのほうが多いが、涙は出ない。

女の涙は「武器」、騙されないほうがいいだろう。

投稿者 tadashi : 01:42 | コメント (0)

2005年12月20日

バンプを聴きながら

電車通勤時は約1時間は電車の中。 本を読むより、目を閉じて曲を聴く。 なぜかバンプが中心。 アップテンポの割りには「言っていること」がよくわかる。

若い学生さんとつきあっているから?
そういう面もあるけど、昨夏のユグドラシル以来、けっこう気に入っている。

今日、いや、昨日も雪の後遺症で電車通勤だったので。



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「オリビアを聴きながら」という曲があった。 オリビア・ニュートンジョンとか尾崎亜美とか、あれから何年経ったのかな、、、、

投稿者 tadashi : 00:43 | コメント (0)

2005年12月18日

江戸の仇は長崎で?

ソニーのデジカメが中国で不合格とか。 国が商品の「合否」を決めるのも、さすが共産主義国家。 それはさておき、ウオークマンなど登録商標侵害での追求のしっぺ返しという見方もある。

技術的には、中国のPC(もとIBM)とのミスマッチかな、と推測する。 係官が下手な操作をしてうまく行かなかった、悪いのは「このデジカメ!」。

もっともソニーのVaioというPC、どこか使い勝手が悪い。 家と職場で2台使ってみた感想。

なんにもないHP Compaqは意外と使いいい、それに超廉価なのがいい。


投稿者 tadashi : 19:38 | コメント (0)

やはり大雪

昨日は吹雪の中、山陽道を帰って来た。 今朝は20センチの積雪、まだ降り続いている。 12月にしては大雪。 午前中は家にいたほうがよさそうだけど、チェーンでも巻いてみるか、、、

用心深いほうであるが、好奇心も強いほう。 ただし、雪は昔十分経験したから別に興味はない。

クリスマスとか正月に大雪のほうが風情がある、と思うが。

投稿者 tadashi : 07:12 | コメント (0)

2005年12月17日

OHP発表とは!

来春の某学会の全国大会。 別に発表しなくてもいいのだが、移籍(?)後でもあり、また、一応研究を継続しているという証(?)のために、単名で1枚原稿を書いた。 

題目:「仮説/検定サイクルによりデータ集合を生成するシステム」

なんのことはない夏の国際会議とその後、しかも1枚なので要約のみ。 図がないのはさびしいので、K君のを拝借、謝辞をつけて。 拡張ARTについては、データがまだ出ない。 拡張ARTは、学生さんをアジるときはMRT(Mind Resonance Processor)といっているが、まだ残念ながら乗ってこない。

Webから申し込みとか原稿送信をしてから、発表形式をみて驚いた。
フラッシュ持参でいいか、と思っていたら、「OHPのみ」という記述。

弱ったな、、、、


投稿者 tadashi : 11:12 | コメント (0)

鉄骨のほうが好き

1982年新キャンパスで、研究棟8階建てが鉄筋で建つ、と聞いて「大丈夫?」と質問した。 昔は5階建てぐらいより高い建物は、鉄筋コンクリートではつくらなかった。 「最近の鉄筋は丈夫なんです」という答え。 「鉄骨のほうがいいのに」というのが偽らざる感想だった。

今では、10階以上でも「鉄骨でなく鉄筋」。 鉄筋は現場組み立て。 だから起こるべくして起こったともいえる。 

鉄筋の本数は大丈夫でも、コンクリートの施工がいい加減なことも多い。 これは専門家の話。

私は専門家ではないが、大いにうなづける。


投稿者 tadashi : 08:26 | コメント (0)

2005年12月16日

「すごい」は形容詞なのに

「今年はすごい充実していました」なんて平気でいう。 「すごく充実していました」でないと耳障り、なのは年寄りだけか? 若者は、ごくふつうに「すごく」の代わりに「すごい」という表現を使う。

「すごい充実した一年でした」ならまだいいが、「すごい充実していました」はおかしい。 しかし、「すごい充実」までが名詞句とすると、「お茶する」のように do XXX の構文を認めるなら、この場合はおかしくない、ことになる。 でも、「すごい面白い」はやっぱりおかしい。

形容詞の「すごい」を副詞としてつかう使い方が定着すると、国語審議会も認めてしまうのかな?

若者が「すごい充実していました」と言ったのに、NHK TVのテロップは「すごく充実していました」となっていた。

まだ、救いがあった。


投稿者 tadashi : 08:09 | コメント (0)

2005年12月15日

財政赤字

フランスの財政赤字が(円換算で)140兆円になるとか、で問題になっている。 人口は日本の半分だから、日本では280兆ぐらいに相当する。 日本はといえば、700兆だから赤字自体は半分以下。

フランスが重症とすれば、日本は瀕死状態。 年金とかすべてに関係する割りには、日本ではニュースの度合いが小さい。

個人に跳ね返るまでは、「不感」なのが国民性かな。


投稿者 tadashi : 12:03 | コメント (0)

2005年12月14日

若いなぁ

アメリカで「中国脅威論」なんていうから、中国からは、前原さんも小泉さんと同列に見られてしまう。 思っていることを正直に言うのは、政治家としてはまだ若い。

向こうは昇り竜、こちらは老いぼれつつある国。 先の勝負は見えている。

日本の将来を考えたとき、アメリカ一辺倒では無理なのは自明。

投稿者 tadashi : 07:48 | コメント (0)

2005年12月13日

今年はさむい

12月というのに雪は2度目。 先週の雪の時より温度が低い。
去年、ちょうど今頃はまだ暖かかった。 九州へ出張するのに、コートなしで出かけた。

今年はすでに着膨れして電車に乗っている、雪の日は。

投稿者 tadashi : 08:25 | コメント (0)

2005年12月11日

フィアットの街

冬季オリンピックの開催されるトリノといえば、フィアットに代表されるように工業都市。 聖骸布、すなわち、キリストを包んだという布のある教会へ行こうとしたこともある。

じつは、前述のグルノーブルとは車で2時間少しぐらいの距離なのである。 知り合いのS教授は「明日はトリノへ日帰り出張」なんて気楽に言う。 じつは、北イタリア、フランス間のフレンチ・アルプスをトンネルで抜けられるからである。

かつては汽車のトンネルしかなく「汽車に車両を載せていた」が、高速道路のトンネルができてから、気楽に往来ができるようになった。

さらに新幹線用のトンネル工事もしているが、この路線にウランやアスベストなどの埋蔵物があり、もめている。 新幹線なら、パリからリヨン経由で3時間少しで行けるだろう。

ヨーロッパは狭いのである。


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車を汽車に載せる、というのは好きではない。 70年代、まだ車は峠越えしないといけない時代、グルノーブルの友人の車にキズがついた。 車両の設定が緩んでいたためである。
まだ、スイスにはこういう路線がある。 時間短縮にはなるのだが、どうも敬遠したくなる。

トリノへのトンネルがない時代に、車でフランスから行くには、さらに北のモンブラン・トンネルをとおり、アオスタ経由で下るのが1つのルート。 もう1つは、南のニースからリヴィエラ海岸経由でイタリア入りして北上するルートだった。


投稿者 tadashi : 07:20 | コメント (0)

2005年12月10日

ドイツ・ワールドカップ

来年ドイツでのワールドカップの組分けが決まった。 これから騒がしくなるだろう。 98年のフランス大会以来、日本が出場できるようになったので、盛り上がるのは当然かも知れない。
いずれにせよ、大会期間中はドイツに近づかないほうがいい。

98年喧騒が収まった10月、パリでの学会の際、フランス北部のホテルで売れ残った記念のマグカップを買った。

今年、バーデン・バーデンへ昼食のため立ち寄ったが、郊外に新しいスタジアムが建築中だった。 街からアウトバーンへの道の途中で、駅への道がY字型に分かれるところ。 しかし、クラブチームがあるような街ではないから、カールスルーエとして使うのかな。 

来年8月のバーデン・バーデンの学会から、お誘いが来た。 もとの静かな状態に戻っていることを期待して、出かけるか、、、

投稿者 tadashi : 08:48 | コメント (0)

2005年12月09日

グルノーブルへ移籍とは

オオグロさん(G大阪)がグルノーブルへ移籍というニュース。 5年前にフランス2部リーグに昇格したチームとか。 日本企業がバックにある、という点ではマリナーズに似ているが、スケールは小さい。

1部リーグのパリ・サンジェルマンや(中田浩二さんの居る)マルセイユは有名。 そういえば、松井さんの行ったルマンも2部リーグのはず。 これでJリーガーからも3人フランス・リーグへ行ったことになる。

ルマンもグルノーブルも小さい街。 ルマンは「車の耐久レース」で知られているけど、グルノーブルは地味で知名度はない。 が,グルノーブルへは、30年ほどまえの長期滞在を含め、しょっちゅう行っている。
郊外には、フランスのシリコン・バレーと呼ばれるIT産業もある。

四方が岩盤で囲まれている盆地なので、フランスで2番目の原子炉もある。 原発をつくるのなら、消費者の居るところへ設置したほうがいい、という例。 地盤が硬く地震もない、という背景もあるが。
この施設の入り口の警備員は肩に銃を下げている、昔から。

スケートリンクは街中の公園にあるけど、サッカー・スタジアムがどこにあるのか知らない。

投稿者 tadashi : 07:56 | コメント (0)

ダイエーなき跡は?

広島からダイエーが消えた。 店自体はどっちでもいいのだが、紙屋町近辺に用事があるときは、ダイエーの駐車場を使う、30年くらいまえから。 理由は、比較的空いているのと安いから。

先日行ってみたら、ダイエーは11/29に閉店していた。 が、駐車場はそのまま。 30分100円というのもいい。 いつの間にか、150円から100円に下がったのはデフレ現象そのもの。

近くの信号機は「歩車分離型」になっていた。 これもけっこうなのだが、本通りをクロスする道路そのものがよくない。 「車に気をつけて歩かないといけない商店街」は田舎そのもの。 いかにも「古い」というのがいいのかも知れないが。

建物は商業施設に売却されたとか、早速、外装工事をしていた。 

アスベストが怖いから、近寄らないほうがいいかも。

投稿者 tadashi : 02:01 | コメント (0)

2005年12月07日

続続・技術倫理

欠陥FF式暖房機の事故、天下の松下も地に落ちた。 すでにリコールしたものが、再度事故るという最悪のケース。 じつは、このFF式を合計3台使った経験がある。

ちょうど事故った年式のは、昔の鉄筋アパートで88-94年の6年間1台使用した。 機密性が高いので、今思えば怖い。  そのあと、94-00年くらいの間、今の家で2台使用した。 

室外へ排気するので原理的にはクリーン。 しかし、使用を続けると3年くらいから段々おかしくなる。 きちんと、メンテをする業者がいない。 一度頼んだ業者はいい加減で、改善されなかった。 6,7年が使用限界。

灯油が安いので使っていたが、01年からはデロンギに切り替えた。 現在、デロンギが3台あるので、冬の電気代は高い。

じつは、FF式2台はまだ設置したままなので、5万円で引き取ってくれないかな、と思っている。


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しつこくTVで「引き取り広告」を出し始めたので、念のため調べてみた。 設置中の2台はともに「1年違い」で引き取り対象にならず、残念!!!

無理やり使って「危うい状態」でもつくらないと駄目みたい。


投稿者 tadashi : 07:40 | コメント (0)

2005年12月04日

続・技術倫理

今回の「建築設計問題」で思い出すのは、アメリカで欠陥車の事故が多発した5年ほどまえのこと。  
「Firestoneのタイヤ」が大問題になった。 Firestoneの親会社はブリジストン、だから副社長が米議会で聴聞された。 

このタイヤの設計・製作はブリジストン系の会社、これをパーツとして組み立て販売したのはフォード(車種はExplorer)。 被害にあったのは、もちろん購入したユーザ。 ブリジストンとフォードは互いに責任のなすりあいをした。
今回はこれに検査機関が入り、3つ巴、しかも会社の数も多い。

建築設計の欠陥が第1の問題であるのはもちろん。 しかし、設計がまともでも、「工事がいい加減」というのは日常茶飯事。 個人の家でも、施工管理は自分でやらないといけない。 つまり、毎日見て、おかしいときは指摘しないといけない。

ブリジストンのタイヤを扱う「タイヤ館」では、Firestoneのタイヤを半値で売っているけど、買う気にはなれない。 


投稿者 tadashi : 10:11 | コメント (0)

2005年12月03日

ロック生誕50年

今年は「ロック生誕50年」と言うらしい。 エルビスのデビューに合わせてとか。 そういえば、そんな頃かな、と思う程度。 日本で初めてのレコード発売はハートブレイク・ホテルだけど、アメリカではそれ以前にレコード・デビューしている。

大体、いつから、というのは明確でないことが多い。 映画「暴力教室」のテーマ曲Rock Around the Clock はエルビス以前のような気がするけど、デビューと重なっていたのかも。  まぁ、こういうのはイベントを盛り上げるだけの話。 「ボサノバ誕生」みたいには明確ではないだろう。 

アメリカの50年代から60年代のイメージは「ジュークボックス」と「リーゼント」、これに「キャデラック」かな。 こういうオールディズの似合う安レストランはもう少ない。 が、SFO空港近くにある。 まだ暗い明け方、ハイウェイパトロールのお巡りさん達がコーヒーを飲んでいるのを見ると、「これがアメリカだな」という気がする。

エルビスとビートルズの間には少し時間がある。 しかし、ローリング・ストーンズなんて今でもやっているのは立派。 

コピーしていた学生時代が懐かしい。


投稿者 tadashi : 21:10 | コメント (0)

2005年12月02日

デュアルブート化完了

PC10台のデュアルブート化が本日完了。 Sさんからの情報にも感謝。 ただ、今回はntfsXXXXの出番はなかった。 

ここ2日ほどで、「Windowsの再インストールとLinux(Fedora)のインストールほか」を10台分やったので、さすが疲れました。

1人でやったのは、3年生は時間がとれないので、バラバラの時間にやらせると手間もかかるし、完了が遅くなるので。

学生実験の整備をする助手の仕事みたいですが、それなりに楽しみながら(?)。

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「Windowsの再インストールとLinux(Fedora)のインストールほか」で2時間半くらい。 単純には10台やると25時間。 

しかし、3台分なら目に入るように配置しているので、同時処理可能。 シーケンシャルなインストールもあるが、3時間弱で3台分の処理ができた。 結局、1台は試行のため初めにやっていたので、9台分は 3時間弱X3 ですんだ。

パーティションツールを使わずにできたのは以下のとおり。 

Windowsのインストーラーは「パーティションの変更はできません」とメッセージ。 ディスクサイズは80Gなのだが、少しいじっていたら、見えないところに40Gでのインストールもあるのを発見。 40Gのバージョンも発売しているので、コンパチのCDをお互いデフォールトの設定で対応しているみたい。

つまり、Windowsは半分の40Gでインストールして、残りの40GにFedoraをのっけるという「便法」を使った。

Linuxのハードインストールは、この春からKnoppix(CDでないやつ)、Vine, Debian, Fedora をそれぞれ2、3回づつやってみたが、Fedora が一番楽、というのが感想。

投稿者 tadashi : 20:34 | コメント (0)